【中国(チベット)】 2つの対比
2007年07月13日 01:22
チベット最終日。
昼12時に迎えが来ると聞いていたのに、朝8時半に宿屋の主人が来て、「あと5分で出発すると連絡が来たから急げ」と言う。
大慌てで荷物を詰め込む。
宿で仲良くなり、現地旅行会社の対応の悪さに一緒に文句を言っていたリンリン(ニュージーランドで働く中国人で、彼氏が日本人のため日本語ぺらぺら)たちに別れを告げ、急遽空港行きの車に乗り込む。
空港までの道は自然がそのまま残されていて、人もおらず朝の太陽に照らされていた。
目を奪われ、スピッツを聞きながら一人物思いにふける。
荘厳な山。山。山。麓に広がる水辺。合間を縫う雲。
形を変えながらも、それがどこまでも続く。
ああ。そういうことか。
一昨日の晩から悶々と考えていたことに答えが出た気がした。
まず、自然と人間の対比。
どんなに人間が開発しようとも、恐らくチベットの大自然にはこの先も敵わないだろう。
ナムツォへの道路が開発されても、道路と通関以外は全てそのままの自然だった。
青蔵鉄道でさえ、敷設までに1キロ当たり1人の高山病による死者が出たほどなのだ。
チベットでは観光客を呼ぶためにこれからも開発が進むだろう。
でも、人間の生活水準に対する考え方が変わってどんなに足掻こうとも、大前提であるここの自然は変わらない。
そして、人間のローカルとグローバルの対比。
人間の基本にあるのはローカルな家族。永遠不滅。
貧しいチベット人でも裕福な都市部中国人でも変わらない。
チベット人は家計を助けるために、観光客向けのショーで踊り、子どもに物乞いに行かせ、中国語と英語を練習して土産物屋を経営する。
裕福な中国人は、一人っ子政策によるたったひとりの子どもの教育に大金を投資し、子どもをヨーロッパに行かせ、一族の団結を深めるためにチベットまで家族旅行に赴く。
グローバル化によって生活は変わる。それに順応していくのは、家族の幸せのため。
自然と家族が大前提とさえわかっていれば、どの状況が不幸でどの状況が幸福かという基準はない。
チベット人も中国人もこの点では変わらない。
結局、1時間くらい走ったところで、17時の飛行機だという連絡が入る。
しかし私は怒らない。早朝のドライブ、いい時間だった。
道端に車を止め、運転手と二人、スイカを食べて空を仰ぐ。
ラサに引き返し、向かったのはもちろんMakye Ame Restaurant。
またコルラする人を眺めていた。
帰りの飛行機、上空から見るチベットの山々がまた素晴らしい。
四川航空でまずは成都へ。隣席の南京在住・チャン・イェンちゃんに「中国人かと思った!」と言われる。「南京へ来るときは必ず連絡してね!」
乗り換えて海南航空で北京へ。隣席の出張帰りのビジネスマン・ヤン・シャオプーくんも、私を中国人かと思ったらしい。3時間かけて中国語講座をしてくれた。
挙句、私が空港からバスとタクシーで北京大近くの海淀橋まで移動しようとしていることを知り、
「23時半北京着なのに女の子一人で危ない!僕は車で来ているから任せて!!」
と言い、全く違う建国門方面(恐らく高速使って30分ほど)に住んでいるのに送ってくれる。
今夜は北京大の寮には入れないので宿に向かうが、あいにく空室なし。
困った私を受付のお姉さんが別の宿まで連れて行ってくれ、交渉してくれる。向こうも、改装中だけど尽力するよ、というような意味のことを言って普段は客を入れない部屋に泊めてくれた。
後にヨシが、「日本人は曖昧な距離で人と付き合うことが多い。一方中国人は、親密か他人かのどちらかしかない」と言った。
中国人のあったかいハートを感じたチベットからの帰りだった。
<今日のグルメ>
ランチはバルコル北東の角に位置するMakye Ame Restaurantにて、本格的な西蔵(チベット)料理を頂く。
①蔵式酸夢ト炒牛肉。
18元≒270円+1チャパティにつき3元≒45円。
ヤク(チベットの牛)とラディッシュのピクルスを唐辛子で炒め、チャパティに包んで食べる伝統料理。ピクルスは見た目も味も紅しょうが。不思議な味。
②卓 王馬 哲 基折 (ジュオマ・ジェシ)
20元≒300円。
蔵式甘食(チベット式デザート)。
レーズン、りんご、人参、緑色の豆、木の根のようなものをご飯と一緒に甘く煮込んである。何が入っているか食べるのが楽しくなるデザートだが、甘ったるい。
ここのレストランには、チベット伝統料理を現代風にアレンジしたメニューも多いので、その方が美味しいと思う。
昨日飲んだ自家製ヨーグルトワインはかなりイケた。



