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2007年08月 アーカイブ

【フィンランド】 ムーミン谷の真実

2007年08月01日

CIMG1738.JPG
アンタを待ってたよ!太陽!!














ゴキゲンな空模様を目にしたらバルト海が見たくなって、宿をチェックアウトして街の南に向かう。


昨日より人が多い。
でも昨日よりパッと見のオシャレ度は低い。観光客が多いのかな~。
日本人も見掛ける。

CIMG1808.JPG有名なMarimekko。














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あれ?人が多いっちゅーか多過ぎない??












なんだなんだ?


ローリストォ?




…!


ローリング・ストーンズ!!!!




えっここから出てくるの!?
ワーオ!!


現金な私は、にわかローリング・ストーンズファンになって人混みと共にホテルの前で待つことにした。






でもなかなか出てこない。




まだかなぁ。






…なんかめんどくなってきた。








筋金入りに現金な私は、「あたしはローリング・ストーンズを見たいんじゃない。ローリング・ストーンズファンのフィンランド人を見たいんだ」というめちゃくちゃな理由をつけ、人混みの後ろのオープンテラスのカフェで座って待つことにした。

こりゃミーハーたちのミーハーですな。


待つこと1時間。




来た!!!!


CIMG1789.JPGきゃー見ちゃったホンモノ!!!(笑)












ま、一瞬だったけどね。
今日はツイてるかも!

でもフィンランド人たちの熱狂ぶりはやっぱり控えめだった。
普通に沸き起こった拍手と、2~3人の口笛のみ。
うーんお国柄ですかねぇ。




でも、晴れて雰囲気が変わった街と、これだけ出待ちが集まるってことは結構ミーハーな人が多いんだなという印象で、まだフィンランドわかってないんじゃーん?と思い始める。


もう1泊するか。

でもあの坂を上って宿に戻るのは億劫(おっくう)だわ。
直近で宿を取ろう。




そう思って1件目。
満室。残念。


2件目。
ドミトリーもシングルも空いてないが、ダブルなら空いてると言う。
70ユーロ≒11200円という値段にしばし迷う。
でももう6時だしな。この調子だと他ももう空いてないかもしれない。

ダブルで決心をする。


CIMG1796.JPG部屋に入って、ホテルマン・赤川一平としての使命を思い出す。
んーやっぱりお洒落!!












ただ、お洒落さと値段の話は別。1晩70ユーロはどう考えても高過ぎる。
シェア仲間を探すことにする。


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ヘルシンキ駅に向かい、着いたときに使ったツーリストインフォメーションの前で張り込む。

女の子1人もしくは3人連れがホテル探して来たら、ドア入る前に先取りじゃ。
できればフィンランド人だとおもろいな。
フィンランドらしいひょうきん(失礼!)な顔した子来ないかな。

しばらく待ち伏せするも、1人30歳くらいの女バックパッカーが地図を取りに来ただけで、しかも今夜は友達の家に泊まると言う。

あー空振りか…。

すごすごと宿に帰る。




フロントで明日の朝ご飯は?と聞くと、プラス7ユーロ≒1120円必要という。

「それって伝統的なフィンランド料理を食べられたりする?」
「いや、コーヒーとパンとサラダだね。でもホテルの隣にビュッフェ形式で朝食が選べるところがあるよ」

「そこはフィンランド料理もあるのね?てか、そもそもフィンランド料理ってどんなのか教えてもらってもいい?」
「おーそれは難しい質問だね。実は先日友達と議論したばっかりなんだけど、そのときはハンター料理じゃないかって話になったんだ。ウサギ使った料理だね。
 あとはこの旅行雑誌を見てごらん。このライ麦のパンはやっぱり有名だね。これは隣のビュッフェにもあるはずだ。
 それから蟹。ここに載ってるレストランの蟹はお薦めだけど、高級な店だから小さい1匹が5ユーロ(900円)もするんだ。もしお金があるなら行ってみたらどうかな。」


あれ。なんかこのお兄さん、今まで会ったフィンランド人とちょっと違う…。




「ありがとう。もうひとつ聞いてもいい?あなただったらヘルシンキの中でどこを最もお薦めする?」

「おーそれも難しい質問だね(笑)。よしわかった、この地図を見てごらん。世界遺産のスーメンリンナ要塞はもう行った?あー確かに雨だったもんね。ここはやっぱり行っておくべきだよ。船はここから出てる。 でもよく見比べた方がいい、船会社によって値段が違うからね。
 あとはどんなジャンルのものが好きかによるな。面白いものが見たいならここの市場。建物が見たいならこの2つの教会は有名だけど、僕なら別の教会をお薦めするね。ちょっと遠いけど、なんと地下にあるんだ」


あ。このお兄さんなら何でも答えてくれそうだわ。


そこで、一番聞きたかったことを聞いてみた。






「よくわかったわ、ありがとう! 明日行ってみるね!
ついでにもうひとつ教えてほしいことがあるの。




フィンランドにはサンタクロースがいるって本当?」






「それはね、“true”なんだ。サンタクロースは存在する。


 フィンランド人は子どものときみんなサンタクロース村のサンタに手紙を書くんだよ。僕も書いたし、返事ももらった。これはファンタジーじゃないんだ。
 
 いろんな人がサンタに成り済ましているけど、それは構わない。だってフィンランドに経済効果があるからね。ただ、アメリカ人なんかがサンタはスウェーデンにいると思っているのは許せないな。」


ほう。なるほどねー!




「あなたは親切ね。実は私寂しかったの。フィンランドに来てから友達ができなくて。普通のフィンランド人ってシャイ過ぎない?」

「そうだね。フィンランド人は外の人間が怖いんだよ。独自の文化を持ってきたから、外国人と触れ合うのを恐れるんだ。友達をつくるのは難しいだろうね。もし6月に来てたら、学生がガイドのボランティアをやってるからもう少しいろいろ話ができたかもしれないね。」

「でもあなたはフィンランド人よね?どうして?」

「僕はエストニアに留学してたから慣れてるんだろうね。」

「どうして留学してたの?」

「エストニアの文化と言語を学びたかったからさ。でも僕みたいなのは珍しい。フィンランド人はたいてい国内の大学に行く。
 
 ところでキミ日本人だよね?日本の学校はランクが決まってるんだろ?フィンランドには国立の大学しかなくて、しかもレベルは全て一緒なんだ」




なにー!!




「NOKIAについて教えてほしい。どうしてノキアはあそこまで成功できたの?」

「僕こそ教えてほしい。どうして日本のメーカーはソニーもトヨタもあんなに成功できたんだ?」


もうここからお互い質問が止まらない。
なんと4時間もフロントで話し続けた!!気付いたら日付が変わってた。


CIMG1813.JPGむっちゃくちゃ面白かった。
彼の名はMarko Haajanenマルコ・ハージャネン。
エストニアの大学を卒業して現地のフィンランド大使館で働いた後、政府の教育機関と外交機関に勤めていたという。今はとある事情でHotelli Finnのフロントマンをしている。だが、ローンを考えると転職したいと言っていた。

こんな人と出会えるなんて、やっぱり今日はツイてる。


もちろん、途中で他のお客さんも来たから多少中断もしたのだが、

「日本って家がすごく狭いんだろ?」
「そうよ。…実はひとつお願いがあるの。狭い部屋に慣れてる日本人の私にはあのダブルルームは広過ぎる。しかも私はそんなにお金を持っていない。もしホテルが満室になった後に女の子が泊まりたいと言ってきたら、シェアしたいから教えてくれないかな」
「わかった、知らせるよ」

という会話をしていたので、予約をしていたはずのおじさんの部屋がないということになったとき私が部屋を譲り、代わりにスタッフルームのソファベッドに25ユーロ≒4000円で泊まれることになった。

やっぱり今日はツイてる!!
CIMG1810.JPGこんな部屋でした。トイレ付、シャワー共用。














私たちの会話はお互いの国への興味から始まってその比較へと議論になっていったのだが、整理して記してみようと思う。この頃には私はメモを取っていた。
Mがマルコ、Wがワカコねん。


○経済

M 「日本の経済力は世界でも驚異だ。第二次世界大戦で同じ敗戦国だったのに日本とフィンランドにこれだけ差が出たのは、やっぱりその後ソ連側についたかアメリカ側についたかだよね。」

W 「日本は戦後すぐにアメリカによって国のシステムが変えられた。でも戦後1960年代を中心に高度経済成長があって、日本人自身もすごく頑張ったんだよ。このときメーカーも技術発展に全力を尽くして、 その後80年代バブルのときに一気に世界に打って出た。
 1964年の東京オリンピックも加速要因だけど、フィンランドは戦後すぐヘルシンキオリンピックがあったよね。」

M 「敗戦の引き換えに日本は国内に米軍を受け入れたよね。でもフィンランドはずっとソ連のために経済発展し、ソ連に金を供給していたんだ。
 でもいいこともあった。冷戦終盤、ゴルバチョフがレーガンにホットラインをかけたろ?あのときゴルバチョフが使っていた電話を見てアメリカでは大騒ぎになったそうだ。なぜコードがついてないんだ!ってね。つまり、旧ソ連の軍事技術をフィンランドが受け継いでできたのがノキアってわけなんだ。」


○国民性

W 「マルコはフィンランド人にしてはとてもフレンドリーだし、私はクレイジーな日本人だから典型的な国民ではないけれど、シャイという面では両国共通するよね。同じように独自の文化、独自の言語を持っているからかもしれない。
でも、私の感覚ではまだフィンランド人の方がオープンな気がする。だって話しかけたらみんな英語が話せたよ?」

M 「フィンランドは95%がフィンランド系、5%がスウェーデン系の人口構成になってる。普段はフィンランド語、そして学校でスウェーデン語も習うからこの二つが公用語。
あとは、テレビなんだ。フィンランドで流れてる番組はほとんどがアメリカなんかから輸入しているから、みんなテレビを見て英語を覚える。」


W 「もうひとつ共通する点として、自殺大国ってことがあると思う。日本人はストレスによって自殺する人が多い。」

M 「フィンランド人で一番多いのは経済的な理由。ローンが払えなくなって自殺したりね。」

W 「日本は精神的な理由が多くて、フィンランドは経済的な理由かぁ。」


○政治

W 「日本ではこの前なんと大臣が自殺したのよ。」

M 「知ってるよ。それで選挙は大変だったんだろ?首相が辞めるかもしれないとか。」

W 「!! 詳しいね!! どうして!?」

M 「だって日本の国会議員にはツルネンがいるじゃないか。


この新聞見てごらん、アベの写真がでかでか載って、1ページ全部日本の選挙のことだろ。この下の方にコメント載ってるのが2回目当選のツルネン。」

W 「彼が日本とフィンランドの“橋”ってわけね。」


○文化交流

W 「ツルネン以外にフィンランド出身で日本で有名なのは…ごめん、あまり知らないや。多分、母は音楽家なんかをよく知ってると思うけど。」

M 「日本人はF1ドライバーのミカサロと結婚したノリコ、スキージャンプの原田、映画監督の黒澤明が有名だね。

 今ヨーロッパでマンガやゲームだけじゃなく、日本の音楽が大流行なのは知ってる?この前のヘルシンキ音楽祭でも大人気だった。みんな日本のバンドをコピーしたがってる。

  しかもフィンランドには日本の音楽をやって日本で売り出そうとしてるバンドがあるんだ。日本ではミリオンセラーとかが大変なことかもしれないけど、フィンランドは人口500万しかいないから2~3万部売れただけで大変な騒ぎだよ。だから日本で少しでも売れればそれで十分元が取れるのさ。」


○教育

M 「フィンランドは小学校から大学まで国立しかなくて、しかも学費は全部タダ。大学なら最大8年間無料で通える。学校ごとにランクはなし。

  大学は各都市に1つずつあって、ちょっと学部の差はあるけれど大抵地元の大学に行く。僕みたいに留学する人は珍しいし、それも外国の言語や文化を学びたいという人だけだ。

 それ以外だと、どんなに大金持ちの家庭でも子どもをハーバードやオックスフォードにさえも行かせない。みんな国内の大学に行く。なぜなら、フィンランド人はフィンランドの大学がナンバーワンだと思っているからさ。」

W 「教育の機会が平等なのね。日本は私立もあるし家庭の経済力で教育格差も広がるし、だいぶ違う。

  日本では子どものイジメが問題になってる。原因は2つあると思う。
一つは、コミュニケーション不足によるストレス。親が忙しくて子どもと十分向き合えなかったり、塾通いが多かったり、テレビゲームで1人でも遊べたりする。

 もう一つは、教育の建前と本音の食い違い。表向き、みな平等だという教育をしていて、個人よりも団体でどう行動するかというような学校イベントも多い。でも、本当は常にランク付けされていて、成績順位だけじゃなくて学校自体にもランクがあるし、会社に入るときは学歴が見られて収入に大きく影響する。この食い違いを子どもたちもどこかで気付いてる」

M 「信じられない。ケンカはあるけど、子ども同士で他人を生死に関わるほどまで追い詰めるなんてその社会はどうなってるんだ。」


○福祉

M 「福祉財政を支える消費税22%、表示は税込み表示。所得税は僕はたった18%で済んでるけど、もし医者だったら月収10000ユーロ≒160万円として60%。あと僕は郊外に住んでいるから住民税は抑えてるけど、ヘルシンキに住んだらめちゃくちゃ高いよ。」

W 「消費税高っ!累進課税は一緒だけど、フィンランドの福祉は本当に平等に配分されるから、それで格差をなくしているわけね。」

M 「僕がもし指を切って病院に行ったら、そのタクシー代も全てタダになる。でも保険の制度には問題もあるんだ」(この話は私の英語力では理解できず。残念)


W 「日本も高齢化が進んで問題になっている。このままじゃ支えきれない。」

M 「中国やインドの人口を見るとこのままでいいのか不安になる。でも女性の晩婚化が進んでいて、母は25歳で僕を産んだとき、その時代じゃ遅すぎるくらいだった。でも、今は平均30歳で産んで1~2人。子どもを持たない、という選択肢が生まれてきた。日本の女性はどうして産まなくなったの?」

W 「日本でも同じで女性が働き始めた。経済成長の始まる60年代から家族の形態は稼ぎ役、専業主婦、子ども平均二人に固定化されてたけど、社会が成熟して女性の選択肢は増え始めた。」


○労働

M 「さらに特徴的なのは、労働時間に制限があること。1週間に最大37.5時間しか働いてはいけないんだ。それ以上働いても残業代は出ない。」

W 「日本では土日も出勤するビジネスマンがたくさんいるよ。」

M 「日本人は働き過ぎなんだ。もっと生活を楽しめばいいんだよ。そうすればストレスも減って、自殺率も減るんじゃない?」


○環境

M 「スーパーで水買ってたの? フィンランドの水道水は世界で最高に綺麗な水なのに。
世界ミネラルウォーター大会って知ってる?去年、ボルヴィックなどのメーカーを抑えてフィンランドの生活用水が1位になったんだよ。湖から引いている水で、水道パイプも40年に1度の割合で変えてるんだ。」

W 「だからどこのトイレにもコップが置いてあるんだね。私がフィンランドに住んでたら絶対にミネラルウォーターの会社を起業する。あ、でも世界では売れないか、ユーロ高いから市場はヨーロッパかな。」

M 「ユーロが高いのはフィンランドにとってとても良いことだ。僕らはかなりの恩恵を受けている。」




うわー超長い。読むの大変だ。

私の力不足・認識不足で議論が詰め切れてないところも多々あるけれど、大体こんなところだった。


私なりに見えてきたのは、外側から見た日本の姿。

フィンランド人より日本人の方が間違いなくシャイだ。外国人への免疫が圧倒的に少ない。英語を話せる人口の少なさがそれを物語る。外国人が日本に来てとまどう気持ちが私は今回初めて理解できた。

しかし、誇れるものはたくさんある。マンガ、ゲームといった文化は言うに及ばず、音楽まで注目されているとは知らなかった。元々ツルネンも日本に惚れ込んで国籍を変えた。


手放しでフィンランドの政策が良いとは決して思わない。福祉を充実させて労働時間も制限したところで、彼らは経済的理由で自殺していくのだ。教育で競争がない代わりに、新しい技術も生まれにくい。ノキアだって冷戦時代のソ連の遺産だ。

日本の税政、教育、労働は経済力とトレードオフなんだ。その事実をはっきり認識する必要がある。


<今日のグルメ>
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高級ホテルPalace Kampローリング・ストーンズの出待ちをしているときに大衆の後ろで悠々と食べたケーキセット。
ベリー系がムースやソースになって何種類か組み合わせられ、絶妙なハーモニー。

もちろん彼らが出てきたとき座っていた椅子の上に立って見てましたが、何か?(笑)

【フィンランド】 経験は凌駕(りょうが)する

2007年08月02日

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オリンピックのとき北京に行くから日本にも寄る、再会しよう、と約束してマルコと別れる。














まずはバルト海を臨むKauppatoriの市場へ。

CIMG1819.JPGCIMG1827.JPG世界でも有名な魚市場だが、他にもチェリーやアップルといった果物、じゃがいもやスイートビーンズなどの野菜、舞茸を黄色くしたような見た目のマッシュルーム、手作りのパン、惣菜、花、帽子に毛布、アクセサリーと多種多様。日本人含め観光客も多い。

売り子は普通のフィンランド人より積極的、やっぱり商人(あきんど)は違いますなぁ。


まぁ、呼び声に乗ったら最後、買うまで腕を掴んで離さない中国人やチベット人とは全く違う(だからこちらは帰るフリしてマケさせる)けれどね。


味見させてくれるのでついつい手を伸ばしていたら、いつの間にかちょっと買い過ぎたわい。

座って遅めの朝ご飯。










と思ったら、フィンランド人の方から話しかけてきた!!

初めて!!


CIMG1838.JPG空席はたくさんあるのにわざわざ相席してきたのはSakari Salmivirtaサカリさん、法人向け保険のセールスマン。営業職だから積極的なんかなぁと思っていたら、3年前に仕事で北京に住んでいたとあると言う。マルコと同じで他国の文化に触れている人というわけだ。

さらに、この写真を撮ってくれたのもフィンランド人にしては珍しいフレンドリーなおばちゃんだったが、一緒にいたオーストラリア人の友達を案内している最中だという。


ふーん。

多文化と交流したことがあるという経験は、既成概念を凌駕(りょうが)するのかもしれない。経験はマインドを変えうる。

であれば、島国・日本人ももっともっと外に出るべきだ。時代は交流を求めているし、そうでなければ取り残されてしまう。
独自のアイデンティティは変える必要はない、むしろ胸を張っていい。しかし、外部に対するスタンスがシャイであり続けたら、日本にとってとんでもない機会損失になってしまうと思う。




市場と隣接する港から、船に乗ってユネスコ世界遺産・スオメンリンナ要塞へ。

CIMG1850.JPGロシアの東部侵略に対し、1748年に6つの島に渡って造られた防御施設である。
島の地形に合わせて綿密に積み上げられたレンガ造りの強固な壁が出迎える。
ところどころに窓が開いており、そこに大砲がスタンバイ。






CIMG1897.JPGしかし、予想と違って全く重層な感じがしない。かと言って寂びれた基地といった印象も無い。
島の地形に合わせて造られているので、丘の合間からところどころレンガ塀が見えるといった感じで、後は柔らかく生えた草とそこに咲く花々なのである。










なんだか、自分の知らない世界に対して恐れを抱いて外側に塀を張り巡らせつつも、内側はムーミンやサンタクロースに代表されるノスタルジックなメルヘン世界が広がるという、フィンランド人の性格と重なって仕方が無かった。
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港でフェリーを待っていたらとても感じの良い日本人の家族を見つけたので、荷物になるのを承知でシベリア鉄道で読み終えた3冊の本の引き取りを願い出る。
快くOKしてくれる。しかもコーヒーまで頂いて恐縮です。
ヒトミちゃん、その子たちよろしくね!


CIMG1929.JPGバイバイ、フィンランド。キートス(ありがとう)!!










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さて、向かうは南じゃ!














<今日のグルメ>
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Kauppatori市場で試食しながら買ったのは、
①名物のライ麦パン、1/2サイズ
②クリームりんごパイ
③スイートビーンズ
④小魚のフリッター

①黒い見た目のライ麦パンは水分少な目の素朴な味で、フィンランドの主食。
②チーズを使わずサワークリームのみで仕上げてある。酸っぱさとりんごの甘さが絶妙。
③スイートビーンズはなんと生で食べられる!山と積んである中から量り売り。
④小魚はからっと揚げてあって、お好みでタルタルソースを。

てか、アンタいくらなんでもやっぱり買い過ぎや!!だって積極的なフィンランド人がたくさんいて嬉しかったんだもん…。もちろん今日は3食これの残り物でカバー(笑)
これ以外にも、舞茸を原色の黄色で染めたようなマッシュルームや、獲ってきたばかりの生の魚など食材の種類も多い。






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それから、マルコが国民的お菓子だと言っていたSalmiakki。

定番は黒の市松模様だが、スーパーのお姉さんが赤い箱の方がオススメ、というのでそちらを。
中は真っ黒の固め練りケシのようで、しょっぱくて甘い不思議な味覚。

語源はsal(塩)+ammoniac(アンモニア)+pastille(パステルorトローチor練香)。
アンモニア入ってるんか!!メンソール代わりみたいな感覚なんかなぁ。
ネットカフェのドリンク1杯で15分インターネットが使えるので、順番を待ちながらもぐもぐ。

【エストニア】 フルコースでどうぞ

2007年08月03日

ヘルシンキからフェリーに乗ってちょうど100分。
向かったのはバルト3国北端のエストニア。
今朝は首都Tallinn(タリン)はOld Town(旧市街)の宿で目が覚める。


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今日はチャリダーで行きまっせー!!












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まずはOld Town。

石畳でちょっとおケツが痛うございますが、まるで中世の古き良きヨーロッパに迷い込んだよう。





CIMG2002.JPGタリンのシンボル、高さ1237メートルのOleviste Kirik教会に上ってみる。

60メートルにある展望台からの眺め。

昔行ったフィレンツェよりもだいぶこじんまりしていて、家々の屋根の色合いにバラエティがある。








CIMG2015.JPG教会内部はこんな感じなのだけど、スピーカーとテレビがさりげなく配置されていて、この歴史的な教会が今日でもミサなどに使われていることが偲ばれる。








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CIMG1965.JPGOld Townを抜けると、おしゃれで現代的なNew City(新市街)が広がる。
















CIMG1959.JPGその端には、地元民が集う市場があり、生活の匂いを感じる。農協の倉庫のようなものが近くにあるみたい。














CIMG2031.JPG林を抜け、


















CIMG2035.JPGロシア正教の天使が導くままに進むと、


















海だ!!!!!!!

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浜辺でビーチバレー。いいねぇ。






















これに加えて、
川あり、
森あり、
草原あり、
池あり、
庭にブランコのある丸太小屋あり、
手入れが行き届いた高級住宅地あり。
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山だけがない。平坦な地、それが逆に移動をしやすくしている。本格的なマウンテンバイクもたくさん見かける。

ここはヨーロピアンバイカーたちの聖地のようよ、みおーちん。

しかしよくもまぁこんな小さな地区にこれだけの要素が集まったものだな。
もしこれだけ上質なテーマパークをつくることができたなら、ディズニーランドなんて目じゃないに違いない。


そして物価の安さ。
EU加盟国だが通貨はクローン、ドミトリーで同じ部屋だったアイルランド人のおじさん(旅好きらしく色々教えてくれるのだが、文末にyou know? =知ってるかい?ばっかりつけるのでユーノーおじさんと命名)も、煙草のマルボロが1ユーロ≒160円(母国では7ユーロ≒1420円、実に7倍)で買えると喜んで何カートも買い溜めしていた。


エストニアの観光要素と物価安。
ヨーロッパ人がバカンスにここを選ぶ理由がわかりまんなぁ。






さて、今日からエストニア人の家庭にホームステイします。

ホームステイ紹介所にいたのはMadli O’hakaさん。
私が日本人とわかるや、「空手やってるの。日本語で数を数えられるわよ!」
となかなかフレンドリー。

「私の名前、日本語で“お墓”という意味なんでしょ」
と悲しそうに言うので、
「ファーストネームは“レイアウト”という意味よ。」
と教えたらびっくりしてた。

CIMG2163.JPGそうしておしゃべりしているうちに、Erendi家から空き部屋の連絡が入り、私はそこにお世話になることに。

出迎えてくれたのは笑顔の素敵なSadeママ(デジカメにちょっと緊張気味)。
しばらくご厄介になります!












<今日のグルメ>


CIMG1949.JPG昨夜宿をとったのはOld TownにあるOld Houseというホステル。
風情のある街の様子をインテリアにも反映したこだわりの宿なのに1泊290クローネ≒2610円。安!!
朝私を待っていたのは、目覚めたことを幸福に思わせるような朝ごはん!
バカンスでもう2週間もここに滞在しているというスイス人と一緒に食卓を囲む。

珍しいのは伝統的エストニアンフード“KAMA”。
テーブルに添えてあったメモ書きに拠ると、ライ麦、コムギ、オオムギ、ピースミール(えんどう豆の粗びき粉)を混ぜてあり、100gあたり341kcal。見た目はただの粉、食感はきな粉に近い。
これにKeefirという白いどろっとした液体をかけて食べる。見た目は白いのにラズベリーの味がするヨーグルトのようなソースで、木の実の味がするものもある。

【エストニア】 アットホームな順応性

2007年08月04日

サデママの家にホームステイしているのは、イタリア人エド(エドアルド)、アイルランド人アン、私の計3人。

昨夜は初対面5分でエドにクラブに誘われ、「さすがイタリア人、誘いがめちゃ早いな~」と感心しつつノリ良く合意。え?2週連続だって?いやいや今回は受動態ですって(笑)

エドは英語を学びたかったので、物価(つまり学費)が安く古き良きヨーロッパの風情も残るエストニアの大学を選んで留学し、そのままここで社会人になったらしい。サデママと同居して2年。
2ヶ月前にエストニア人の彼女と別れてブロークンハート中、金曜は毎週クラブ通いをしているが、今夜は誰も女友達が捕まらなかったところにタイミング良く私が現れた、幸運だー、ということらしい。さいでっか~。
IM000156.JPGしかも私が撮った写真が気に入らず、Eメール添付で自分の写真を大量に送ってきた。はいはいはいはい、仰せのままにこちらの写真に致しますデス。はい~エドくんです~。












今日はアンがオープンエアー(野外)博物館に行くと言うので一緒に行くことにした。

アンはアイルランドの大学で化学の研究者をしていて、1年間休みをとって世界一周。私と逆の東回りコースで、ちょうどサデの家で出会ったというわけ。

タリンの中心からシティーツアーバスに乗り込み、インターホンで流れるガイドを聞きながら博物館へ。

ここは農民たちの家を歴史ごとに保存してあり、彼らの生活の変化を垣間見ることができる。


CIMG2135.JPG…てか、アン!
私、日本の田舎にいるみたいよ!!












CIMG2125.JPG日本農家とのクリソツさに驚いていたら。












CIMG2129.JPG…ってここは登呂遺跡か!!




弥生時代と変わらぬ竪穴住居的保存庫が19世紀製?
原始的だよなぁ、ロシアから移民してきたばかりで大変だったのかなぁ








そう思っていたら。


その後の変化が凄まじい。

CIMG2142.JPGあっと言う間に江戸時代を乗り越えて明治維新、昭和初期の農村形態へ。


そのスピードに驚いていたら、
「急激なmodernization(現代化)ね」
とアン女史も言う。






帰りのバス内の説明で、エストニアは中世にドイツ荘園の一部となり、その後ロシア、スウェーデン、デンマークの影響を経て、ソ連の支配下になったことを知る。
順応性の高さはその歴史の中で磨かれたものか。




サデ家に戻る。
ここで繰り広げられる会話は凄まじい。

私の英語はJapanese+English=ジャングリッシュどころか、
まぁ通じればいいジャン!グリッシュといえるノリのテキトー英語だが、
それに加えて、アンのアイルランド訛りのクイーンズ・イングリッシュ、エドのイタリア系巻き舌発音(インターネットがインタルラネットに聞こえる)、そしてサデのエストニア的スタッカートが利いたブツ切れ英語で、もはや誰もきちんとした英語ではない。

それでも会話が成立するから面白いもんである。

そして圧巻は、サデママの話せる言語の数!
エストニア語、英語に加えて、ロシア語、フィンランド語、スウェーデン語、スペイン語、ドイツ語の実に7ヶ国語!!
エストニアの学校では、第一言語でエストニア語、第二言語で英語とロシア語、第三言語でドイツ語かフィンランド語かどちらか、を勉強するらしい。
それに加えて、サデママは昔何年か南米で暮らしたことがあり、スペイン語もカバーしている。

私がびっくりした顔をしていたら、
「これはヨーロッパ人のスタンダードよ。みな母国語と英語は話せるし、それ以外にもいくつか話せるという人は多い。似たようなアルファベット文字だと単語の形が似ているものも多いから覚えやすいのよ」

いやいやいやいや。恐れ入りました。
ヨーロッパ人の言語能力の高さにはびっくり。
その中でも特にエストニア人の言語に対する順応性の高さは群を抜いていると思う。
確かにスーパーひとつに行くにしても、全てがエストニア語・英語・ロシア語・ドイツ語の4ヶ国語で表記されてるんだよね。

複雑な歴史と、そこに支配されていた中で言語や文化を柔軟に吸収していった様子が容易に想像される。




CIMG2168.JPGサデのお嬢さんはフィンランドでのプロの演奏家をしており、サデ家にも高価なチェンバロがあった。
ピアノの起源となった楽器だ。
私の祖母と母はピアノの先生だ、とサデに言ったら、
「あなたは伝統を受け継がなかったのね」
と言われる。ほんまや!確かにそうや。

触らせてもらう。ハンマーでなくて爪で弦を弾くので、ギターに似た音がする。
サデママが丁寧に説明してくれ、楽譜も見せてくれる。

サンクトペテルブルクで観たオペラの話をしたら、
「それはきっとチャイコフスキーね」
と言っていろいろ教えてくれた。
なんだか包容力のあるサデママが私の第二の母に思えてくる。
ヨーロッパにおけるマイ・マザー。


サデママと話していて、彼女の持つ雰囲気はエストニア全体にも通じるかもなぁと思う。
エストニアは様々な国に侵略されてきた歴史を持つのに、全く悲しげな感じがしない。
むしろ、それらを全て包み込む形で自国自体も変容してきたような印象を受ける。

象徴的なのがスカイプだ。エストニアはインターネットの普及が世界でも驚くほど速かった国で、選挙もインターネット投票、口座振込みも97%がネット経由と言う。その文化が私たちが日常使っているスカイプを生み出した。

昨日見た旧市街と新市街の見事や融合やよりどりの自然の種類の豊富さも、今日見た農村の現代化の速さも、この国の言語や文化の幅の広さも、こんなフレキシブルな国民性があるからこそ維持できるのかもしれない。


エストニアは変化に対する順応性が驚くほど強い。しかし、それは全く主張することなく、静かにしなやかに、まるでサデ家のようにアットホームな雰囲気で進行している感じがする。


本当に強い変化というのはこういうものではないかと思う。



<今日のグルメ>

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オープンエアー博物館でアン女史がご馳走してくれたカツレツセット。昔の農民の食事を再現したものらしい。
円形に焼いた豚のひき肉。フォークで触れるとすぐ崩れるほどの柔らかさ。
ポテトとサラダ、ライ麦パンがつく。
アンが手にしているのはりんごで作ったサイダー。

【ラトヴィア】 ジャパンはチョーイケてる!

2007年08月05日

早朝乗り込んだ長距離バスがラトヴィアの首都Rigaリガに着く。速攻インフォメーションで安宿を探してチェックイン、荷物を解いて最寄り駅に向かい、電車に乗り込む。ここまでわずか1時間。

海があたしを呼んでいる!!


CIMG2183.JPG向かったのは電車で30分のMajoriのビーチ。
車内のラトヴィア人はみな親切で、私がビーチに向かってるとわかるや否や、あとどれくらいで着くかなどを通じない言葉とジェスチャーでにこにこしながら教えてくれる。

駅のホームで話し掛けてきた二人のイギリス人ボーイズと仲良くなり、街の中心を歩きながら一緒にビーチに向かう。




CIMG2188.JPG二人はネパールで出会った旅仲間らしい。向かって左がフレッド。保険会社勤務、多分20代後半、スコットランド出身。日本のテレビゲームとアニメが大好きでめちゃめちゃ詳しい。

「スーファミもロクヨンもよく知ってる。PSPもDSもWiiも今世界中が持ってるし、『BLEACH』(My弟②が大好きなマンガ)はみんな読んでるよ」


マンガはどこに行ってもBLEACHが一番人気だ。フィンランドで会ったチャオさんに至っては、いつもインターネットで読んでいる中国語版ブリーチのページすら見せてくれたっけ。




ダンは大学で数学と哲学のダブル専攻をした後、ケンブリッジ大学で経済学修士号を取得して働き始めた24歳。学部時代の選択が日本語だったらしく、片言だが日本語を話せるのでときどき会話に日本語が入る。9月からは上智大学の国際関係学部に留学予定。

今は英国銀行(日本でいう日本銀行)勤務だと言うので、ポンドに固執してユーロを導入しないのはなぜ?と投げてみたら、
「ポンドはまだまだ強い。維持しているのはアメリカへの対抗カードだよ。」
おうおう。ここらへんのパワーバランスは私もうちょい知る必要がありまんな。

「日本は結構アメリカの言いなりだよね。」「どうして靖国であれだけ対応が後手後手なの?」
おっ。反撃キターーーー!!!!日本への関心高いなー。

日本語選択にして留学先も日本を選んだ理由は?と聞いたら、
「全く違う言語を持っていて面白いのと、先進国のうちの一つだから」
という返事。


二人にとって日本のイメージはすこぶる良いらしく、ジャパンの5大イメージは
①マンガがめちゃ面白い(「ブリーチ」「ナルト」)
②テレビゲームでエンターテイメントを生み出す(PSP)
③食事が美味しい(スシ)
④技術水準がとんでもなく高い(ソニー、キャノン)
⑤人々がとても礼儀正しい(旅行した経験から)
らしい。

うーむ。想像できる?
イギリス人のいい歳したビジネスマンが嬉々としてPSPやニンテンドーDSで遊び、マンガの魅力について熱っぽく語る。
無敵の英語を話す彼らが、日本語の難しさに嘆きつつも貪欲に勉強。
「日本人は中学・高校・大学と10年勉強しても英語を話せない人が多くて、英語圏に生まれた人をうらやましく思っているのよ」
と言っても、彼らにとっては、アルファベット起源の文字を持たず常用漢字だけで約2000字も使う日本人の方が信じられないらしい。

日本を知れば知るほど、全く違う文化を持っていて驚きの連続、それが面白くてたまらないと言う。




泳ぐ気満々で下に水着を着てきたはいいものの、この辺は日が長いと言えどやっぱり17時ともなるとさすがに水温下がり始めて入れず。ぶぅ。
テンション高い音楽かかってる浜辺の店で、ビール片手にビーチを堪能。




CIMG2191.JPG『ブリーチ』好きのフレッドが、よくセリフに出てくる「バンカイー!バンカイ(挽回)ー!!」を叫ぶので、そのうちイギリスと日本のスラング(流行りの言葉)教え合い。

「チョー腹減ったは“ravenous”。ravenという黒い鳥の語尾にousをつけるんだ。」
「like ~ は“~みたい”、“~そう”、“~っぽい”。バカっぽいって言ってみてー(笑)」
「美味しそうはdelicious(デリシャス)よりも“tasty(テイスティ)”、女の子に対しても使うぜー」

特に彼らが気に入ったのは、文末に否定が来る日本語の文法。
「これ、美味し…くナイ!」
こらこら、一応店の中でっせ(笑)。




電車でOld Townに戻って晩ごはんを食べ、一度解散。
英国有名小説家で待ち合わせね~と言って、Dickens(ディケンズ)というバーで再び落ち合う。

近くに座る一団があまりに笑い過ぎていて、“laughing gas(笑うガス)”というスラングを覚える。日本語だと「笑い病」かな~と返す。


CIMG2199.JPGそのうち、近くに座っていたアイルランド人と2人組ドイツ人のおっちゃんたちも輪に入ってきて、ふいにEU政策について議論が始まる。
すごいなぁヨーロッパのこの風土。若いのもおっちゃんも、酒を片手に一緒になって政治談議ができるとは。

私のこの旅で、EU談義、いよいよ事始めかいな。

とチョーシぶっこいて言ってみたけど、実際、すでにビールを海辺でジョッキ2、ディナーでジョッキ1、この店来てからジョッキ1+ジントニック2+さっきみんなで一気したテキーラ。しかも長距離バスの疲れもある。さすがに頭が回らなくなってきた…。


CIMG2198.JPG閉店だといって店を追い出されたので、夜道、日本語を叫びながら通りを闊歩。
「クレイジー!チョーアタマぶっ飛んでるー!」
「ワカは、カワイ…クナイ!!」
「フレッドは、イケて…ナイ!!」
「バンカイー!!バンカイー!!!」

途中、警官に職務質問されました…。アハ。








<今日のグルメ>
CIMG2195.JPGドーム大聖堂近くにあるAlus Seta。テラス席からOld Townの街並みが臨める。
カフェテリア形式で私が選んだ紫色のスープzupa ar bulcinnに二人は苦笑い。
「ワオー。美味し…クナイ!!」
多分ベースはピートの色。マヨネーズを混ぜたような感じで、コールスローサラダの味がする。

【ラトヴィア】 V♪ A♪ C♪ A♪ T・I・O・N♪

2007年08月06日

気づいたら、外は明るい。ダンとフレッドのホテルで話しながらいつの間にか寝ていた。
月曜の今日は仕事、朝の飛行機でロンドンに帰るという二人と別れ、散歩がてらOld Townにある自分の宿へと帰る。


街はもう起き出している。

CIMG2208.JPGリガのシンボルであるゴシック調のSt.Peter’s教会と、世界最大のパイプオルガンを所有するドーム大聖堂を背景に、出勤する人たち。
















CIMG2213.JPGNew TownとOld Townの境界にある自由のモニュメント。てっぺんに金色の3つの星。
中世以来ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ロシアに占領されてきたラトヴィアは、第一次世界大戦時に初めて独立するも、すぐナチスの支配下に置かれ18万人近くが犠牲になった。また、モニュメントの足元には1991年にソ連によって殺されたラトヴィア人民戦線の4人の代表も彫り込まれている。

自由の象徴である星を一心に掲げるモニュメントからは、長年占領を余儀なくさせられてきたラトヴィア人が、独立したとき心底平和を願ったことが伺われる。






CIMG2216.JPG遠くに噴水が見える川辺のBrivibas piem公園。














CIMG2211.JPG途中、ロシア正教の教会でミサをやっていたので覗かせてもらう。
残念ながらカメラお断り。内面はロシア正教独特の絵画が水色を基調として壁一面に描かれ、金でできた説教台がろうそくで照らされた中に朝日が差し込む。
普段着に白いベールをかぶった女たちが列になり、一人ひとり正面に向かって祈りを捧げる。

ふいに横手から赤地に金色の幾何学模様の入った服を着た牧師が出てきて、手にした大きな黄金の数珠を振りながら教会を時計回りに祈りを捧げながら進む。
彼が通るとベールの女たちは頭を垂れて、彼の振っている数珠の先から出ているお香を身体に浴びる。

ロシア支配が長期に渡った際、宗教が生活に根付いたことを感じさせる一場面。




宿は学生向けの1泊(朝食付)9ラッツ≒1800円という格安ドミトリーで、一つの部屋に2段ベッドが10個、男女関係無く詰め込まれている。
起き出したグループがゲイの話で盛り上がっているのを尻目に気持ち良く2度寝。




CIMG2227.JPGCIMG2228.JPG昼チェックアウトして港に向かい、1日1本運行の17時半発リガ発ストックホルム行きフェリーのチケットを買って、そのまま海辺でのんびりする。


ひと気の少ないオープンテラスのカフェでアップルパイクレープを食べながら、半乾きのまま宿から持ってきた洗濯物もちゃっかり乾かす(笑)


強い日差しをパラソルで避けながら潮風に吹かれ、しばし時間を忘れる。
この最高の環境、ヨーロッパ人が夏のバカンスにここを選ぶ理由がわかるぜ~。
加えて観光スポットは揃っているし、夜遊びも楽しいし、物価も安い。ダンとフレッドが週末を利用してここにバケーションしに来た気持ちがわかる。

V♪ A♪ C♪ A♪ T・I・O・N♪ In the summer sun♪

コニー・フランシスの“Vacation”が口をついて出るも、…懐メロ古い?(笑)




CIMG2242.JPGフェリーは17時間半ほどの航海だが、夜はレストランでオーケストラ、バーでバンド演奏、カジノにパブになんでもござれ。
33.5ラッツ≒6700円の4等、4つのベッドの他に各部屋トイレとシャワーもつき、快適でやんす。

夜10時、バルト海に遅い夕陽が落ちる。

さーて、目指すは北西、スカンジナビア!












<今日のグルメ>
CIMG2237.JPGフェリー内のスーパーでカマンベールチーズとオリーブ、クラッカーを買い、バーでビールを調達。海風に吹かれて甲板で至福のひととき。

【スウェーデン】 青と黄色のシンボルカラー

2007年08月07日

CIMG2247.JPG早朝、ストックホルムの港に到着!
首都の中央に伸びるDrottninggatan通りが浮き浮き気分を盛り上げる!
















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CIMG2285.JPGCIMG2289.JPGいくつかの島から構成される広大な首都ストックホルム。
通りを南へ直進したところにある旧市街のGamla Stan島へ。

うっきゃーめっちゃくちゃ綺麗~!!


古い建物に彫られた凝った模様、それを映し出す海面。そこを船が滑っていく。

にぎやかな通りでは音楽隊が演奏しながら列になって行進していく。

衛兵に守られたKungliga Slottet城がそびえ、Storkyrkan教会が鐘を鳴らし、傍にはノーベル賞の美術館がある。






CIMG2352.JPG建物の間に見える色はほとんどが国旗の色である青と黄色を使っていて、シンボルカラーがはっきりしてる。公営の建物だけでなく店も商品もこの色が多い。
地下鉄もほらこの通り。
















ただなんでもかんでもめちゃ高い。地下鉄初乗り26Skr(スウェーデンクローナ)≒520円。うち税金6%、これはまだマシ。買い物は25%消費税がかかる。


CIMG2309.JPG中央部は街の北側で、大きなデパートやホテルが立ち並ぶ。
広場は噴水で水遊びする子どもや足を水に入れておしゃべりする若者がいていい感じ。
あちこちにアイスを売る店があり、みんなアイスを手に日光浴してる。










不思議なのは、それに加えて男も女もみな丸い缶を持っていることだ。雑貨屋でもセブンイレブン(こちらの営業時間はきっちり7-11時)でもレジの後ろに大量に並べられている。
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試しにひとつ買ってみる。店員の説明によると、これはスウェーデン特有のタバコらしい。奥歯に挟んでニコチンを摂取するのだとか。
走れなくなるのが嫌なので私は煙草はやらないが、試しにひとつ噛んでみる。

わっ。刺激強い。生のまま潰した煙草の葉がそのまま入ってる。
煙が出ないから他人に迷惑を掛ける必要もないし、どこでもタバコが味わえるわけだ。でも間違いなく健康的ではないね。
大量のアイスといい、このタバコといい、手軽な快楽が多いんかね。


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そしてスウェーデンといえば。
早速行ってきましたIKEA本店。

今や世界中で大人気のインテリアショップ。日本での人気ぶりは言うに及ばず、北京でもドでかい店を見たし、モスクワでもたくさんの人がIKEAの袋を提げてた。35カ国に257店舗も展開してるらしい。ストックホルム中心地から無料バスで20分の本店は、店舗面積世界最大。

実は私IKEA行くの初めて。
いやーこりゃ面白いね!旅行中なのが残念だわ。そうじゃなかったら今すぐ買って帰って部屋の模様替えしたいと思うようなアイテムの山!
しょうがない。ラトヴィアでなくしたレインコートだけ買お。




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さて、今日は港停泊中の船を利用した宿で部屋ゲット。
Rygerfjord号。船室はこんな感じ。
港から見えるストックホルムの夜景が美しい。




<今日のグルメ>

CIMG2287.JPG旧市街Stortorget広場にあるレストランのオープンテラス席で、広場中央にある水のモニュメントを眺めながらランチ。
スウェーデン名物のベイクドポテト料理。巨大なメークイーンを縦に二つに切って、間に山盛りのマヨネーズソース。一緒に和えてあるのはなんとカニ!!大量のカニの身がマヨネーズと和えられてゴロゴロ入ってる!!メニューに“ポテト”より“カニ”って書いた方がウケがいいんちゃいまっか?

【スウェーデン】 海賊王!ワンピースを探して

2007年08月08日

CIMG2420.JPGぐはははは。野郎ども、覚悟しやがれ!
オイラはスカンディナビアのバイキングだぜ!!




Drottninggatan通りのスポーツショップでセール中になっていたジュニア用ローラーブレード。なんと私の24.5センチの足にぴったり。
スウェーデンの子どもは足がでかいのね~♪144クローナ≒2160円なんてめっちゃお買い得~♪♪




というわけで、今日はインラインスケーターで行きまっせ!!
海賊王に、オレはなる!!


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何?ワンピース(ひとつながりの財宝)を探してるじゃと?
あっちじゃ。
















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こっちじゃ。
















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教えてやんなーい。


















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そっちじゃ。
お前、ゴールド・ロジャーによく似とるのう。













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ようやく着いたか。
待ちくたびれたぞ、ルフィ。














街を通り抜け、橋を渡って行き着いたのはGalarparken島。
“Eyes on me”(植松伸夫)を聴きながら、のーんびりシェスタ。
至宝の時間や~。
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と言っても、光GENJI全盛期(小学生くらいだったっけ?)のローラースケート時代以来のスケーティングだったので、実際は全くスイスイと言った感じではなくへっぴり腰で何とか移動してたという感じ。ダサダサー!!

CIMG2419.JPGその様子を見て笑いながら話し掛けてきたのはボリビア人のマルコ・マロロナード。

真ん中にちゃっかり写ってる黄色いおっちゃんはペルー人。気前よく缶ビールくれたので、次の航海では船コックに任命してしんぜよう。








マルコとストックホルム中心地からGamla stan島を経由してGullmarsplanのビアガーデンへ。


CIMG2425.JPG隣に座っていたスウェーデンの美人母娘&ワンちゃんに、スウェーデン語のスラングを習う。

「超イケてる」(very good)は“ミケッブロ”。
「最悪」(very bad)は“ミケッイラ”。
「誰もいない」は“インゲン”。

三毛猫ブラザーズ、三毛猫イライラ、インゲン豆、と覚えたわ~。








CIMG2272.JPGさて、そろそろオイラは船へ帰るぜ。
今夜は昨日予約しておいた赤いMalaren号へ。4人用船室で1泊240クローナ≒3600円。
おだやかな波の音を枕にして“グッドナッツ”(おやすみなさい)。









<今日のグルメ>

CIMG2424.JPG観光客の少ないGullmasplan。広場には地元民が集う洒落たビアガーデンが並ぶ。
説明書きに“~~・bread”と書いてあったメニュー、マルコと「パンだったらきっと間違いないんじゃーん?(笑)」と言って頼んだらこんなのが出てきた。
隣席のスウェーデン美人ママによると“~~”の部分はhard(堅い)という意味だったらしく、堅めのビスケットに4種類の魚のマリネを載せるおつまみ。
カレー味、ビネガー、クリームソース、マヨネーズ&ケチャップ。右端にポテトが添えてあるのがスウェーデンらしい。
マルコ曰く、「地ビールはFalconが一番旨い。」 濃厚~!!

【スウェーデン】 ユーロバスケ・欧州選手権

2007年08月09日

いよいよやってきました!2008年バスケ欧州選手権、通称ユーロバスケ!!

CIMG2500.JPG対戦カードはスウェーデンvsエストニア。
本音を言えばもちろんギリシアが観たかったんだけど、仕方ない。本戦トーナメントは来月スペイン開催で、今回は残りの出場枠を賭けた敗者復活戦。スウェーデンはあまり強くないらしいけど、にわかスウェーデンファンになっていざ観戦!!

ヘルシンキのインフォメーションで取り寄せてもらった自由席チケット135Skr(スウェーデンクローナ)≒2025円。最前列確保!めっちゃ近いでー!!








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スウェーデンファン。












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エストニアファン。














ユニフォームは白がスウェーデン、青がエストニア。
試合開始!!


CIMG2451.JPGセンター(ゴール下、ゴリのポジション)中心に攻めるスウェーデンに対し、細かくスクリーンして3Pで点を稼ぐエストニア。

私の右はスウェーデンファンのちびっ子、「スウェーディッシュ!スウェーディッシュ!!」と叫んでいるので、私も一緒になって応援。
一方、左隣はエストニアファン。スウェーデンのフリースローのとき、「メルコメルコメルコメルコ…」と呟いてた。メルコ=外せって意味なんだろうね。

第1クウォーターは僅差で終了。


第2クウォーター、白・スウェーデン5番のガード(りょーちんのとこね)のカットインで流れが変わる。
次のドライブはファールさせて2本フリースローもきっちり。その後フォワードが3P も決めて一時5点差くらいに。

でも青・エストニアのセンターうまっ!!がっちり確実に返してくる。エストニアが追いついてきた。
確か25-24くらいの1点差で前半終了。


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ハーフタイムはちびっ子たちがドリブルリレーしたりハンドリングの芸したり。かわゆいわぁ。












CIMG2479.JPG後半開始、またも白・スウェーデン5番が流れを引き寄せる。フェイクも切れ味良いし、決めた後はディフェンス引き付けて他を生かす。りょーちんがカットインしたときゴリがオトリになって切れて、フリーの花道がパスもらって決める、とかね。
この人まじエースだわ!ちょっと五十嵐圭様にカブるわ!!MBEMBA選手というらしい。

でも青・エストニアの方が上。青センターよくあんなところでチャージングとれるなぁ!白・スウェーデンのセンターはがっちり抑えられ、もはや何もやらせてもらえない。
エース5番も疲れが見え始めて一時温存で下げられ、結局第3クウォーターは明暗分かれてエストニアが6点差くらいつけてた。


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そしていよいよ最終クウォーター。

後がないスウェーデンはプレスをかけに行く。交代したセンターも素っ晴らしいブロック(ハエ叩き)を見せる。そこからエース5番はまたも大活躍で、スティールはするわ3Pは決めるわナイスディフェンスでトラベリング誘うわ、会場大興奮。やばいー!!

でも青・エストニアも黙っちゃいない。エース5番徹底マークでファールも辞さず、もう倒しても止めに行く。そして3ポインターが多い分、ちょっとずつ引き離す。ロングパスでプレスも突破し始める。さらにファールがかさんでた白・スウェーデンは4ファールの3人のうち1人が退場。


CIMG2496.JPG結局50-57でエストニアの勝ち。
喜びに沸くエストニアベンチ。スウェーデン人はさっさと帰って行く。残念無念。
でも面白い試合だったなー。猛烈にバスケしたくなってきたー!!












バスケ観戦後、駅へ。

エ~。右手に取り出しましたるは~、ユーレイルパスな~り~。
グローバルパス1ヶ月分、18カ国乗り放題、本日バリデート(駅員による使用開始確認)!
期間が短いので、行きたい国と通過する国と緩急つけて行きまっせ!

まずは夜行列車でノルウェーじゃ!



<今日のグルメ>

CIMG2434.JPG船室での朝食。もちろん“バイキング”形式(笑)。
窓から海と対岸の街並みが見える。












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観戦前にスーパーで買った夕飯。
スウェーデン名物のミートボールのサンドイッチ。付け合わせは煮込んだピートをマヨネーズと和えた紫色のソース、外側がかりっとしたミートボールにマッチしとります。

【ノルウェー】 村上春樹の森

2007年08月10日

夜行列車の席は格安のクシェット。ベッドでなく座席のみで、まぁ高速夜行バスと同じような状況。車両はほぼ欧米人の若者バックパッカーで占められる。

朝9時半、ノルウェーの首都Osloオスロ到着。

CIMG2519.JPGあいにくの曇天のせいか夜行列車が寝にくかったせいか、気分が乗ってこない。
開催中のロックフェスティバルのチケット入手を目論むが、すでに完売。ちぇ。
インフォメーションで探す宿も満室ばかりで、市街地からだいぶ遠いユースホステルのシングルに空きを見つける。








トラム(路面電車)で30分弱。




…え?ここを登って行くの?


郊外の住宅街といった感じの後ろにそびえるのは、鬱蒼(うっそう)とした山。
手にしてるのはヘヴィーな荷物。
溜息をついて1歩踏み出す。

これじゃ地上のフィヨルドだよ…。あぁしんど。
えんえん坂を上ること40分。

やっと見つけた。Oslo Hostel YMCA。


スキンヘッドに「真剣勝負」と書かれたTシャツを着たノルウェー人の受付係に、バス停の存在を教えられる。
ちょっとーインフォメの姉ちゃんよー。
バスのあることも教えてくれよー。
しかもドミトリーに空きあるじゃんよー。


CIMG2510.JPG部屋に行って驚く。

こんな感じ。
適当にマットを好きなところに置いて、その上で寝袋にくるまって寝る。
ははーん。ここはノルウェーの青少年自然の家的な宿なのね。
黒板もあるし、これ元教室でしょ。
なんか「歩く会」(恩田陸著「夜のピクニック」の題材になったうちの高校の行事)で泊まった小学校を思い出すわ。
ここが満室になるわけなんてないわねー。




CIMG2507.JPGシャワーを浴び、髪を乾かしがてら宿の周りを散歩。
見事に山の中やなぁ。ノルウェイの森やな、ここは。
でも元気が出ないのは坂+寝不足+曇天のせい。“直子”とはだいぶ事情が違いまんな。


ぶらぶら歩いてたら1時間に1本と聞いていたバスが通りかかる。
なんとなーく乗ってしまう。
髪は半乾き、財布とパスポートとデジカメしか持っとらん。
まいっかー。

バスはゆっくりと坂を下りていく。
30分ほどで終点に着く。来るときに見たような地名だったので、トラムに乗り換えて中心駅に行き着く。
インフォメで地図をゲットし、ぶらぶら歩く。


CIMG2529.JPG海辺にある要塞。フィンランドのスオメンリンナ要塞と違ってだいぶでかいし堅固。











オスロ中央駅からロイヤルパレスまでをつなぐKarl Johans Gate通りに入る。人が多い。
薄着で出てきてしまったので風が冷たい。ワゴンセールで3着100NKr(ノルウェークローネ)≒2000円の店を見つけ、長袖などを適当に買って着る。


CIMG2555.JPG歩道はバラやゼラニウムやマリーゴールドが色とりどりに手入れされ、噴水も多く、穏やかな気分になる。












なんだかやっぱり疲れてるなぁ。もう帰ろ。
20分ほどトラムに乗ってバスの始発所まで行くも、次のバスは40分後。
げんなりして、辺りを歩いてみることにする。

人通りの少ない道をあちこち見るうち、映画館のような建物を見つけて中に入ってみる。
上映中かね。閑散としてるなぁ。


と思ったら。

CIMG2568.JPG
突然扉が開いて、テレビカメラと大勢の人がわっと出てきた。

なんだなんだ?

中央で濃いソース顔の美女が取り囲まれている。
Bollywood?ハリウッドのパクリかいな?
どうやらインドの都市Bombay+Hollywoodという意味。インドダンス映像フェスティバルという催しで、今日が初日のよう。なるほど、
中央にいるのはAmisha Patelというスターらしい。

そういえばインド系の人がめっちゃ多いな。ベリーダンスの衣装着た人もちらほらいるし。
そのうちロビーで軽食を配り始め、なぜか私にもくれる。これ幸いと頂く。タダで夕食ゲット。
いやはや、ノルウェーにこんなにたくさんインド人がいるとは知らなかった。


バスに間に合うように戻る。
あ。宿のあるバス停がわからん。
財布を探って住所の書いてある宿のレシートを見つけ、事なきを得る。


なんだか変な1日だった。
自分でふらふら歩いたんだけどさ。
なぜノルウェーに来てインド?(笑)
“僕”も日常にこんな罪のないハプニングがあったらもう少し楽に生きられたかもしれない。

疲れもピーク。
今日はもうストレイ・シープとなるわ。



<今日のグルメ>

CIMG2577.JPGバス停Torshovでの待ち時間でなんとなーく入ってみたSoria Maria映画館のBollywoodフェスティバルで配られた軽食。
手前はパイ。中にパプリカやじゃがいもを刻んでとろみをつけた具が入っている。
奥は小麦粉に野菜を混ぜてカレー味にして揚げたもの。
たぶんこれってインド味。だよなぁ。

【ノルウェー】 ムンクと叫ぶ

2007年08月11日

ここが学校を改造した青少年自然の家的ユースホステルだとしたら…

CIMG2587.JPGほーらやっぱりあった!体育館!!
一昨日ユーロバスケ観てからボールに触りたくて仕方なかったのよ。
無心にシューティング。












気分爽快。いい汗かいて、宿をチェックアウト。
外は雨。

CIMG2593.JPGムンク美術館に行くことにする。

超有名な『叫び』を初め、オスロ市が全面的に援助して膨大なムンクの作品を所蔵している。










見るうちに、ムンク的な人生観に浸る。
人間の快楽も喜びも弾けたように描く一方で、誰もが逃れられない嫉妬心や孤独感、何より死を突き詰めて突き詰めて描いているような印象を受ける。
緑と赤を好んで使ったこともわかる。
高校のとき衝撃を受けた『思春期』がなかったのが残念。

CIMG2594.JPG1番いいなと思ったのはこの『マドンナ』。
顔の表情といい、赤の使い方といい、ムンクの目を通じた愛と歓びはこうなるんだ。
でもそれだけでなく、多少『叫び』に通じる絶望の表現が頬のラインや周囲のオーラに見られて、一筋縄じゃいかない感がある。










それにしても、ムンクは非常に恵まれた画家だ。

絵を順番に見ていくと精神に異常をきたした時期や左手の指をなくした事故があったこともわかるが、世間では彼が絵を発表する度に旋風が巻き起こり、それを確かな手応えとしながら奨学金やパトロンに助けられて絵画制作に挑んでいる。それが縁で同時代のゴーギャンやピカソといった超有名画家たちと交流もしている。
この美術館にしても、遺言通りの望んだ場所・望んだ形での展示らしい。

面白いのは、第二次世界大戦時にドイツに支配されていたノルウェーは、戦後ムンクの絵を諸外国に貸し出すことで和解の道を開いていったということ。真に優れた芸術が持つ力。


ムンクワールドにだいぶ感化されて、オスロ大学の講堂(ムンクが寄贈した大作を保存)に行くが、土曜であいにく閉校。あ。叫びの顔を真似して写真撮ろうと思ってたの忘れてた。
そろそろ時間だったので、昨日ユーロパス割引で予約しておいたフェリーに向かう。
いやー。今やフェリーにも映画館やプールやネットカフェがついている時代なのね。ビックリ。
デッキからフィヨルドを臨む。明朝コペンハーゲン到着予定。


<今日のグルメ>

CIMG2589.JPGムンク美術館にあるカフェのチョコレートケーキ。
近くに座っていた人のカプチーノも叫びの顔をイメージしたものだったので、頼んで一緒に撮らせてもらった。

【デンマーク】 コインと同性愛者のハート

2007年08月12日

えー。どうしたんでしょうか。

そして誰もいなくなった。by アガサ・クリスティ…状態。

デンマークの首都コペンハーゲン、午前10時。
街はがらっがら。通りはおろか広場にさえひと気なし。
たまーにいる人は地図を持っているかデジカメを持っているかスーツケースを持っているか…つまり観光客。






CIMG2616.JPGそう。今日は日曜。
デンマーク人は完全オフです。
店もほぼ全て閉店。
大通りの店の看板を見ても、
月~木曜、
金曜、
土曜はちょっと(いやかなり)早めに閉めて、
日曜…はナシ。


スーパーはおろかデパートですら休み。
かろうじて開いていたツーリストインフォメーションで確認しても、
「当たり前よ。今日は日曜じゃない」
と不思議そうな返事。
首都なのに、まるでゴーストタウン。


あちゃあ。来る日間違えたかいな。




昼過ぎ、川辺をぶらぶら散歩。
街の人らしき人がジョギングや日向ぼっこに外に出始めたのを見て、ちょっと安心。

休みでも人が多そうなところ…と考えて、ティボリ遊園地へと行く。
童話作家アンデルセンを生んだこの街のメルヘンワールドがここにある。中央駅の横が遊園地なんて驚き。
まぁまぁの混みっぷり。
CIMG2647.JPG古くて多少流行遅れの感はある遊園地だけど、何気ないところがメルヘンちっくでかわゆい。大人も楽しめるようにオーケストラの演奏があったりオープンテラスのバーがあったり。














さーて。何に乗るかな。
やっぱ一番怖そうなやつでしょ!あれに決めた!
コペンハーゲンの街の様子をご覧アレ。



さて、やっと街の人々の姿を確認し、メルヘン度もチェックしたところで。
デンマークもう一つの目玉も確認に行くわ。

デンマークは同性愛者の楽園としても知られている。同性同士の結婚も認められていたハズ。同性の二人連れがいると、「友達かなぁ。恋人かなぁ。」と思って見ていたのよ。
コペンハーゲン市が発行している市内案内にも「ゲイ&レズビアンスポット」が載っていて、その中にある“Masken”というカフェバーがどうやら日曜も営業しているらしいので、ちょっくら突撃。

あそこやな!

さて。
覗いた結果。

おじさんたちが楽しそうに飲んでいた。
たばこをかっこ良く吸うお姉さんもいた。
地下にあるクラブは営業前で、マッチョなお兄さんのポスターが貼ってあった。


特に何ということはない。普通の人たちだ。
でも、「普通」と感じるほど同性愛者の市民権がごくごく当たり前に認められているってことかいな。特別視している私の方が変なんじゃない?


CIMG2671.JPGデンマークの国民幸福度は全世界で1位という調査結果があるという話を聞いたことがある。
その理由がわかった気がする。
まず、休みは休み。日曜は街が閑散とするほど完全オフだ。
そしてアンデルセンやティボリに見られるように、メルヘンのお国柄を自覚している。ハートが描かれた遊び心満点の2ダニッシュクローナ(≒40円)コインを見てもわかる。
そして、同性愛者などの市民権も尊重する。全ての市民のハートを重要視。




この国からは競争力といった言葉はあまり感じられない。
国全体で休みをしっかり取る。メルヘンの心を忘れない。少数派の市民権も尊重する。
徹底的な内面重視だ。
これらが国民幸福度の高さの秘密、、、、かもなぁ。




<今日のグルメ>
CIMG2640.JPGデンマークの童話作家アンデルセンの名作・リトルマーメイド。日本にも同名のパン屋チェーンがあるように、デンマークは菓子パンの国である。
日曜でも開いているパン屋はわずかだがあり、そこで買ったのはこんなかわいいパン。中には1個のりんごを5等分したものがまるごと入っている。ね、箱も洒落ていると思わない?








CIMG2626.JPGこれまたなんとか開いているレストランを探してブランチ。「スーパーブランチ」というメニューをオーダー。レタスの上にハム、チーズなどと共にいろんな種類の果物やくるみが並べられていて、見るだけで楽しい。

【ドイツ】 ドイツ人、どいつ?

2007年08月13日

CIMG2679.JPG朝7:30、デンマーク・コペンハーゲンを出発してドイツへと向かう。

昼、ハンブルクHamburgで途中下車。ドイツ最大の港湾を持つこの街で、ランチに魚を食べたい!
駅から地下鉄で6つ目、St.Pauli港を臨むLandungsbrucken駅に到着。
いやー、確かに海だけど、めっちゃ工場地帯やなぁ。さすが工業の国ドイツ。
魚バーガーに満足し、中央駅に戻って再乗車。


ベルリン西部Zoologischer Garten駅の真ん前にある巨大安宿にチェックイン。ヨーロッパなのに1泊8ユーロ≒1280円という格安さ。さすがバックパッカー天国ドイツ。


宿の周りを歩くと、…中国人ばっかり!!
中国語が飛び交い、中国料理の出店が並ぶ。
トルコ系が経営しているケバブの店もあちこちにある。


はて?ドイツ人はどいつ?


さすがにヨーロッパでロシアの次に大きい国の首都やなぁ。インターナショナルや。

中国とトルコの様相に囲まれた中で、日本では投資銀行のイメージが強いドイツ銀行の窓口に一般市民がいるのに違和感を覚えた後、ウィルヘルム2世の記念堂と反戦メモリアル(第二次世界大戦でイギリス爆撃を受けた教会)をなんとなく目にして、やっとドイツだと合点する。
昔父上がドイツ出張してからしばらく、「グーテン・ナハト!!」(ドイツ語で”おやすみ”)と言って子どもたちを寝かしつけ、嬉しそうに晩酌していたことが蘇ってくる。


CIMG2687.JPGそうだドイツだ。
ドイツだ!!

ビール飲まないと!!!!


そのままビールを心ゆくまで堪能して幸せに本日終了。








<今日のグルメ>
CIMG2682.JPGハンブルクの港で食べた魚バーガー。
すっごいグロテスク…。
ところがどっこい、これが美味しいの!おろした魚を甘酢漬けにして、生玉ねぎと一緒にパンに挟んである。寿司のご飯をパンにしたようなもんかな。
Schweden filetという赤身がおいしかったので、ついついBismarkheringという白身も頂いきました。〆鯖に近いかも。

CIMG2688.JPG駅からしばらく歩いたところにやっとオープンテラスのドイツレストランを見つける。
Berliner Currywurst、ベルリンカレーソーセージ。ソーセージに衣を巻いて揚げてからカレーソースがかけてある。ソーセージにカレーをかけるのはポピュラーな食べ方のよう。
ドイツらしい背の高い500mlのグラスに注がれて出てきたのはBerliner Kindl。ジョッキから子どもが顔を覗かせている可愛いラベル。あまりに爽快な味で、気付いたら料理が来る前に半分以上飲んでたわぁ。

【ドイツ】 ベルリン壁の向こう側

2007年08月14日

起きたらすでに…え?夕方や!!
20時間も寝ていたことになるわいな。ビールをたらふく飲んだとはいえ、疲れが溜まってたんだなぁ。

もう仕事が終わった頃かな~と思い、中国・万里の長城で知り合ったステファンに電話を掛ける。
「おー!無事に着いたか!ちょうど今同僚と飲みに行くところだよ。一緒に行くか?」
待ち合わせ場所にBMWに乗って現れた彼らを見て、ドイツやなぁと思う。


CIMG2694.JPG
駅名と同じZoologischer Gartenという大きな公園の中にビアガーデンがあり、ソフトウェア(セキュリティ関係)会社勤務の彼ら3人と乾杯。

「それで?ダンナは見つかったか?」

いやいや~まだ旅は始まったばかりでっせ。

「はっはっは。まぁ無理だな」

その後話していると結構ブラックなユーモアが多くて、これがドイツ流かしら~と思いながら合わせる。ひとしきり話すと、ビール好きドイツ人!といった体型をした方の同僚が仕事でトラブルがあったらしく愚痴をこぼし始める。どこの会社でも大変ね。。。




その後、ノンアルコールビールで我慢してくれていたステファンがドライブに連れて行ってくれた。

BMWはもちろんマニュアル型。「これがドイツ人のスタンダード。こっちの方がスポーティフだからね」さすが車に愛着を持っている国民だ。

アウトバーンはよく行くの?と聞いたら、大好きでいつも時速260キロで走っているらしい。
「問題ないよ。しかもこの車は280キロまで出るしね」
いやはや。アナタ、万里の長城で怖がって結局飛び降りて来なかったよね…?(笑)車に乗っていると命は惜しくないらしい。


CIMG2698.JPG「西側地区のシンボル、Siegessaule。19世紀にプロイセン軍が勝利した記念塔だ。」
2km以上もあるTiergartenの緑地内の中央から金色の天使が街を望み、その周りを車がびゅんびゅん通って行く。














CIMG2703.JPG「議事堂に各国の大使館。この辺は大きくてモダンなデザインのビルが多いだろ」
ステファンたちの会社も西側のあるらしい。












そして東側へ。
「ミュージアムアイランド。ペルガモン博物館から歴史博物館、天文学者ボーデの博物館まで、1箇所に集まっている。」
ステファンが好きなのはエジプト博物館らしい。外側は巨大で装飾も雄大。


CIMG2726.JPG近未来的なデザインのテレビ塔を見て、今なおわずかに残る北側のベルリンの壁へ。
「ここは最高のロケーションにも関わらず、周りは建物もなくぽっかり空いてもの寂しいだろ。ここは大勢の人が死んだ地だから、誰も開発する勇気がない。でもみんな投資の機会を狙っていて、始めに誰かが手を出してくれるのを待っているんだ」
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CIMG2713.JPG壁から離れて立ち並ぶショッピングセンターなどを見て、西側より東側の方がいろいろあって面白そう、私のイメージしていたのと反対だ、と言ったら、

「その通り。今じゃ東の方がカジュアルで人気だよ。」

確かに西側は公的な機関が多くて物々しい雰囲気だった。解放後、未開発地も多かったであろう東側に先を争って開発の手が進んでいったことが想像される。急激に土地代も上がっていったのだろう。

今のベルリンでは、冷戦時代の東や西といった概念はほとんどないようだ。より良いロケーションをいかに手に入れどう開発してどう投資するか、といったどの都市にも共通する思惑が広がっている。
ただし、壁直近の周辺だけは別だ。ここにはまだわずかに壁の歴史の傷跡が残っている。

これが壁崩壊から18年も経ったベルリンの姿だ。
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<今日のグルメ>
CIMG2693.JPG「ソーセージはどこでも食べられるだろ」
と言って、ステファンが頼んでくれたのが子牛肉のステーキ。ボリュームたっぷり。柔らか~いのにあっさりしていて、何よりビールに合う!!

【ドイツ】 己の欲せざる所人に施すことなかれ

2007年08月15日

早起きしてベルリンの街を散歩。

冷戦時代、ベルリンは東側が旧ソ連支配下、西側がイギリス、フランス、アメリカの支配下で、東側に住む者にとって西側への脱出が切なる願いだった。
しかし面白いのは、今街として発展しているのは東側だ。
ステファンの言っていたように、断然東側の方が面白い。

CIMG2744.JPG


堂々とそびえるシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)や現代的なテレビ塔、たくさんの種類の博物館がひしめくミュージアムアイランド周辺を歩く。








CIMG2787.JPG午前10時を過ぎたら、最初は“ベルリンの壁”めぐり。まず博物館へ。

当時の新聞や遺品が時系列で展示され、生々しい“壁”の歴史が迫ってくる。

東側から西側へ、人間が車のトランクの下敷きの下やスーツケースの中に身体を小さく折り畳んで脱出している痛々しい様子の横に、“Escape assistance”と呼ばれるアイディアリズムとビジネスが生まれたと記述されている。

1962年、Peter Fechterという負傷した18歳の青年が、東側の壁の上で“Help me!”と50分間叫び続けたのちに死んだとき、西側の東に対する憎悪が膨れ上がった、という事件が詳細に描かれている。


その他、海外を含めたアーティストたちが“壁”に関して寄せた全てのアートを館内で展示している。その数約1500。冷戦という出来事は政治的事件の枠を超えている。




圧倒的だったのは、最後に全ての宗教の共存が唱えられていたこと。

“己の欲せざる所を人に施すことなかれ”

と日本語も含めた各国語で書かれた表示の下に、
「世界の宗教―平和と道徳」として、仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・儒教の主な解説とそれぞれの平和に対する考え方が書いてある。
西・東という“壁”の話に留まらず、世界的平和にまで考えを持っていくその意識に敬服した。




CIMG2796.JPG館外へ出てベルリンの壁の残りを見に行く。左右に壁が二重になっており、その間に掘られた溝の中からソ連の兵士が常に監視をしていたのだ。これが43キロにも渡って張り巡らされ、幾度と無く東側から西側への脱出が試みられて大勢の人が死に、最後は歓喜の声と共に壊されたことを想像する。そして世界平和とは何なのかも想像する。










午後はユダヤ教徒の歴史巡り。


CIMG2806.JPGまずユダヤ人ホロコーストのモニュメントに行って、…驚く。
街中に突如広がる無機質なコンクリート群。
同じ底面積を持つ直方体が等間隔に並べられ、それは内側に行くほど高くなり、中央部は人間の背丈をすっぽり隠してしまうほどになる。

これが…メモリアル…。






そしてユダヤ人博物館へ。
ジグザグと不規則に曲がりながら東西に横たわる真っ黒な建物。この超近代的なデザインの建物から出てくる人たちの顔がみな一様に神妙である。
写真可なのでデジカメを持って入る。

中に入って驚く。
悲惨な歴史を、言葉や遺品で示すだけではなくなんと体験で感じさせるのだ。
現代アートを基本にして、精密に計算されたつくりになっている。
理性的に被害を語ることなく、むしろ感性に訴えかけてくる。こんなに効果的な方法があるのか…!
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CIMG2839.JPG例えば、「ホロコースト・タワー」。
高さ25メートルのコンクリート壁に囲まれた狭い空間に来訪者を閉じ込める。
上部にわずかに入る自然光が逆に空間の異常さを際立たせて、言いようの無い絶望感に襲われる。












CIMG2844.JPG「脱出の庭」。
庭と言っても、高さ4,5メートルはあるコンクリートブロックが立ち並び、他の人がどこにいるのか全く見えない。


















そして圧倒的なのが、この展示。「空っぽの記憶」。
全て人の顔の形をした鉄が敷き詰められ、そこを歩くと金属音が鳴り響き、もう言いようの無い…。









「Missing」と書かれた黒い壁。イヤホンをして前に立ち音波を捉えようとするが、砂嵐音ばかりでなかなか音が聞こえない。ちょっとずつ移動するが、音を捉えたと思ってもすぐ消える。不安に襲われる。




途中で、「あなたの願い事は何ですか」というざくろの木があり、みな実に書き込んでぶら下げる。
その後は、紀元前からのユダヤ民族の歴史が続く。幸運な時代もあれば、迫害された時代も続く。




CIMG2832.JPG博物館を設計したDaniel Libeskindは、テーマを“Between the lines”とした上で、「ここでの展示の本質は、あなたが感じること全て」と言っている。
















ユダヤ人が負の遺産を捉えることに対しての何か突出した力のようなものを感じた。




現在ドイツ国内ではほとんど国旗が掲げられていない、とその後話したドイツ人に言われた。戦時中に自分たちが犯した罪を決して忘れてはいない。そして過去の罪もその後の受難も、負の遺産として正面からしっかり見据え、世界平和に思いを馳せる形で後世にしっかり伝えられている。

奇しくも今日は日本の終戦記念日。
日本はドイツほどに戦争や民族迫害、慰安婦問題に正面から取り組んでいるか。
心底考えさせられた。




<今日のグルメ>


CIMG2750.JPG街のあちこちで見掛けるプレッツェル!
外はパリッとして、中はもちもち。外側に大きめの粒塩がまぶしてある。
もうね、病み付き。散歩途中、テレビ塔すぐ近くの赤い市庁舎前での朝ご飯でも。
いくつも買ううち、店によってはちょっと温めてくれ、それが一層美味い。








CIMG2788.JPGそれから、schwarzwalderというブラックチェリーのケーキ。これもどこの店にもあり、四角く切って出してくれる。見た目より甘すぎず、酸味も効いてる。
ステファンが、「街中にカフェはたくさんあるが、道端にテラス席を出している店は観光客用。地元のカフェに行きたかったら建物の間をちょっと入った中庭風になっているところ(“島”というらしい)の店に行くべきだ」と言っていた。確かに雰囲気が違う。

3日間で毎晩ビールを1リットル(1杯500mlなのでおかわりしたらすぐ1リットル)飲み、ソーセージはカレーソースから子牛から血詰めからあらゆる種類を食べ、お腹はもう大満足。

【オランダ】 リベラルと自己責任

2007年08月16日

ショート・トリップになっちゃうけど、多少無理しても寄ってみたかった国、オランダ。
この国でカフェと言ったらドラッグを吸う所。
リベラルさで有名なこの国は、大麻の解禁、安楽死や同性結婚の認可も先頭集団で突っ走る。

一方、日本との馴染みも深い。17世紀オランダ東インド会社で隆盛し、当時鎖国状態であった日本の江戸幕府と出島での貿易を許された国として小学校でも習う。

さーてさて、一体どんな国やねん?


朝、ベルリン中央駅から高速列車IC(インター・シティ)に乗り込む。
肌の色が濃いアジア人が多く乗っている。はて。オランダ領植民地だったインドネシア系やトルコ系の人かいな~と思う。
夕方アムステルダム到着。

CIMG2977.JPGいやー!このゴロ合わせセンス、最高やね!!











宿の場所がわからず苦労していたら、ABN AMRO銀行から勤務を終えて出て来たミシェルさんに声を掛けられる。
親切に案内してもらい、少々立ち話。見た目60歳半ばほど。話を聞くとポストバンクから転職して5年目、窓口業務の統括をしているらしい。

「日本人?日本にはお世話になっているんだ。PHILIPSに勤める弟が赴任しているから。ねぇきみ、このあと予定はあるかい?私は今から友達と飲みに行くのだが、1時間半ほどで終わるから、もしよかったらその後アムステルダムを案内してあげようか」

本当ですか?わーい!
午後6時半、再び落ち合って一緒に歩き始める。

CIMG2944.JPGCIMG2933.JPGアムステルダムは水路の街。北東で海を背にする駅を中心として半円状に水路と街が広がる。
「美しい街だろう?私はずっとここで育ってきてここが大好きなんだよ。ミュージアムがたくさんあって、ここから見るだけでもあそこにリエイクスミュージアム、こっちにゴッホ美術館、ここにダイヤモンド博物館があるのがわかるだろう?」




CIMG2921.JPG「Vondelパーク。アムステルダムには大きな公園が5つある。綺麗に整備されているだろう。ここは安全な場所だ。ジョギングやウォーキングをやっている人もいるが、一番多いのはドラッグをやっている人たちだ。」
ほんまや!ギターかき鳴らして踊ったり、怪しい足取りで笑っているひとたち…みんなふらふらしてるけど、これみんなラリってるわけですか!!
さすが合法ドラッグ大国…。




お茶をしながらいろいろ質問。

ドラッグについてどう思う?
「ドラッグを悪いと思わない。あなたがしたいなら、あなたが決めること。したいならすればいい。タバコやアルコールも一緒。」

なぜオランダはドラッグ解禁してるの?
「収入源確保のため。例えば、週末はイギリス、フランス、ドイツ、イタリアからたくさんの人が来てドラッグを楽しみ、オランダにお金を落として週明けに帰っていく。それでいい。」
そんな土地柄もあって、ミシェルは英仏独伊蘭の5カ国語が理解できるらしい。オランダは週末旅行の距離的にもベストだという。


会話を通じてわかったのは、ドラッグに関わらず安楽死・同性愛などオランダのリベラルは全て自己責任に基づいているということ。
道徳うんぬんももちろんあるだろうが、そういう政策をとることがヨーロッパ他国から人を招き、経済効果をもたらしているわけかい。戦略的ね。そしてこれが治安悪化を招かないよう苦心しているのだろう。


ミシェルとの会話はかなり面白かった。このような時間を作ってくれたミシェルにとても感謝した。
ただ。悲しかったのは、そのあと。

きみはもっとオランダについて知りたいと思わないかい?そうだ、きみに本格的なオランダ料理を作ってあげよう。明日うちに遊びに来なさい。私は1人暮らしだから何も遠慮することはない。私の仕事が終わったらうちで一緒にディナーをしよう。そして一緒にドラッグもしよう。あなたは今までドラッグの経験がないから初回は刺激が強すぎる。カフェや公園でやると荷物を盗られて危ないからね、家の中で安全にやるのが一番だ。宿から荷物をうちに運んで泊まっていきなさい。私は弟のうちが空いているからそっちに泊まればいいわけだから。そして次の日の朝になったら一緒にアムステルダムを散歩して、その後郊外にドライブに行こう。明後日はちょうど土曜日で仕事も休みだからね、オランダの綺麗なところを全て見せてあげる。何?ロンドンで友達が待っているって?じゃあちょっと遅れると今すぐ電話を掛けなさい。テレホンカードも買ってあげる。航空会社に知り合いがいるから、ロンドン行きのチケットもとってあげよう。そうだきみに服も買ってあげようね。アムステルダムの夜は寒いだろう?そんな薄着じゃ風邪を引くよ。お金は心配いらない、だって私は仕事で稼いでいるからね。私のほんの気持ちだよ。さて明日は何時待ち合わせがいいかな。私の仕事が終わった後、5時はどうだろう。何を作ってあげようか。やっぱりチーズは欠かせない。…。

勝手に話が進んでいく。私にほとんど口を挟ませず、ずっと同じことを繰り返し言い続ける。
途中で、あぁこの人は寂しい人なんだな、と思う。初老の男性だが、さりげなく聞くと、奥さんも子どももおらず趣味も特にないらしい。

しかしここで同情の余地はない。誘いに乗るかどうかの判断だって全て自己責任である。

見た目も仕事も本当にきちんとした方だ。そして恐らく騙したりするつもりも全くなく、私のことを気に入ってくれている。しかし。

ああダメだな、と思ったのは、「一緒に二人で」という言葉である。

日本でもナイスミドルのおじさま方とお付き合いさせていただく機会はあったのだけど、きちんとした方ほど決して二人きりで会おうとはなさらない。特に初回はなおさら。必ず、先方が他に誰かお連れになる、もしくは誰か友達を連れてきなさいと言われる。二人でお会いするとしてもランチどき。そこらへんが、ジェントルマンの愛情だなぁ、と思う。

お茶と素敵な会話を楽しんで、せっかくいいひとときを共有できたのに…。悲しくなりつつその後2時間も彼と押し問答し、やっとの思いで宿へと帰った。


<今日のグルメ>

CIMG2921.JPG街角で見かけるまるでおもちゃのようなチーズたち。もちろんハイネケンビールもよく目にする。

【オランダ】 鎖国日本の足跡

2007年08月17日

昨日、現代のオランダの様子は垣間見ることができた。
でも、まだオランダの中にかつての鎖国日本の姿を見出せてなーい。

当時、和蘭(オランダ)から持ち込まれる品々は日本人の目を奪い、和蘭千里眼と言ったらメガネ、和蘭墨はインク、和蘭石竹はカーネーション、和蘭三葉はセロリ、和蘭芹はパセリ、和蘭雉隠しはアスパラガス、和蘭焼は白身魚に卵を使った料理…さすが私、だんだん食べ物ばっかりになってきたわい(笑)。
情報に高値がつき、オランダの知識を持っているものは金持ちになれた時代。

日本はオランダから西洋文明の影響を受けただけ?
江戸幕府はオランダに何も影響を与え返していないの?


朝一番で向かった先はヴァン・ゴッホ美術館。
浮世絵にインスピレーションを受けたゴッホについて知りたかった。

ノルウェーで触れたムンクと真逆で、19世紀に生きたヴィンセント・ヴァン・ゴッホは本当に恵まれなかった画家。
貧困を極め、独学で絵を学び、当時世間にはほとんど認められず、恋に破れ、病に苦しみ、最後には援助をしてくれていた弟テオの足手まといになっているのではと悩んだ挙句自殺…。

オランダでミレーを目標として素朴な農民たちを題材とした後、パリに移り住んで技法の革新を試みる。モデルを雇うお金がなかったため自画像で技法の実験を繰り返し、その数なんと27点。
そしてこのとき浮世絵に出会う。江戸日本から持ち出されていた歌川広重らの浮世絵を集めて模写に没頭。
彼が油彩で一生懸命描いたであろう「振り返り美人図」や「吉原八景」を観て、その後作風の画面構成・色彩・輪郭がくっきりと変化したことに魅入る。



この後、南フランスの田舎アルルに移り住む。絵から、貧しさと絶望感と、絵を描ける喜びが伝わってくる。


そして1枚の絵に釘付けになる。あまり有名ではない絵のため、他の人が素通りして同時代に描いた「ひまわり」へと移動していく中、私はその「Field with flowers near Arles」がすごく気になった。

手前にはアヤメの花。遠くに木々といかにもヨーロッパ風の赤い屋根と白い壁を持つ家々が並び、その間には一面の麦畑のようなものが広がる。
そしてテオに宛てた手紙の文面が添えられていた。
「牧草地いっぱいのキンポウゲ、水路にはアヤメの紫の花と緑の葉。遠くに映える街。グレーの柳が2~3本、そして青い空。テオ、知っているかい?これこそが日本の風景だよ」

ああ。
彼は見たことのない日本の風景をフランスの田舎から懸命に想像して描いたのだ。
浮世絵から始まって、どんなに日本のことを想っていたのだろう。
田んぼも藁葺き屋根も日本のそれとかけ離れた様に描かれたその絵は、でもどこか日本人の私に懐かしさを覚えさせる雰囲気を持っていた。

ゴッホの真摯な姿勢に打たれ、また日本とオランダの文化が確かに相互交流をしていたことを思い、私はおそらくその絵の前に一番長くいた。


その後彼の作品は、独特の色遣いと点・線の見事な融合を見せて終わる。
弟テオを想って自殺。わずか半年後にテオも亡くなる。本当に仲の良かった兄弟の墓は今も並んで葬られている。




<今日のグルメⅠ>
CIMG2969.JPGゴッホ美術館の開館を待つ間、水路を越えながら駅まで散歩。
大航海時代、1633年に港に建てられた見張り塔に起源を持つ由緒正しいVictoria Hotelでちょっとリッチにオランダ式朝食をとることにした。
①Hollandse “Polderbol”
通称「農民ロール」というらしい。メインは肉ではなく何枚もの古チーズ!オランダ名物の丸型をそのまま輪切りにされた巨大なチーズはとても素朴な味がする。
②Etwtensoep
伝統的なエンドウ豆のスープで、さつまいもやじゃがいも、ソーセージをとろっとろになるまで煮込んである。つけ合わせとして黒麦パンにカラシとスモークベーコンを挟んだものがついて、味に飽きさせない。

【ベルギー】 UK洗礼

実はオランダと同日の出来事なのだけど。
しかもベルギーの街へはちゃんと行ってないのだけど。
ブリュッセルの駅にて、なぜかUK=The United Kingdom=イギリスの話。


アムステルダムでゴッホ美術館に行った直後、ベルギー行き列車に乗り込む。
ブリュッセル中央駅着のつもりがブリュッセル北駅で降りてしまう。どうやら到着時刻が予定よりズレていたみたのを見過ごしていたみたい。駅を出て街をうろつき、やっと間違っていることに気付く。手間取っている間に時間が過ぎていく。ロンドンで待つ友達になぜか国際電話が掛けられず、長い間待ってやっと順番が回ってきたネットカフェから到着時刻変更のメールをケータイ宛に送る。

駅の中はすごく国際色豊か。特に黒人が多く、昔ベルギー領だったコンゴの人たちもいるのか?
そしてロンドン行きのチケットを買う。

イギリスはユーレイルに加盟していない。ユーレイルパスを持っていれば割引は効くが別途ユーロトレイン代がかかる。
割引があっても75ユーロ≒12000円。高っ!!
さらに、イギリス行きユーロトレインのホームまでたどり着くには、荷物チェックに加え、厳格なパスポートチェックが2回もある。
内心、EU加盟国のくせになんだよこりゃと思う。


そして事件は起こった。

「いつ日本に帰りますか?帰りのチケットを出しなさい。」
いえ、次はフランスに行きます、と言ったら、係官はその証拠を見せろと言う。
まじかいー。すでに入手してあった英仏間の格安往復切符(本当は行きもパリからのはずだったけど予定が合わなくなり急遽ベルギーからにした)を苦労して引っ張り出す。

「フランスの後は?日本行きのチケットを出しなさい。」
いえ、今回はユーレイルパスでしばらくヨーロッパを回って、次の切符はヨーロッパを出るときに買うつもりです、と答える。

「なぜ日本行きの切符を持っていないのか。どこに住んでいるのか。」
あーもー。しょうがないなぁ。
私は日本に住んでいるが今こういう長距離旅行をしていて、まだ日本への帰りの切符は買っていません。

「お金はどうしているのか。証拠を全部出しなさい」
財布を開いて中身を見せ、クレジットカードとキャッシュカードも全て出す。が、

「あなたがロンドンに行くことは許しません。」
え?
「こちらに来なさい。」
そしておばちゃん二人がかりで別室に引っ張って行かれる。
1人が私の荷物を全てぶちまけ、もう1人は質問攻めにする。

「身分は」 「大学名は」 「大学の専攻は」 「親の職業は」 「家族構成は」 「旅の予定は」 「旅程の陸路と空路を全て答えなさい」 「どこから日本に帰るのか」 「日本行きの切符を見せなさい」(この質問何回目ですか…だから今はまだ無いって) 「どうしてまだ日本行きの航空券を手配していないのか」(8ヶ月先でっせ!?) 「どうやって手配するつもりなのか」 「前の国で買うという答えは納得できない。証拠を見せなさい。」(どうやって?笑) 「旅の予算はいくらか」 「どうやってその予算を得たのか」 「どうやってお金を手配しているのか」(だからさっきもあなた様にカードお見せしましたよね?) 「何が目的か」 …。

()のようなことを思いながらも、一つ一つ丁寧に答えていく。


一人当たり同じ質問を2回ずつ×2人分される。
しかも、めちゃくちゃ速い英語でよくわからず、申し訳ないのですがゆっくり話してください、と言っても聞く耳を持たない。
こっちもpardon me?(もう一度言ってもらえますか?) と繰り返すしかない。

挙句、最後は唐突に
「行ってよろしい」
こちらをチラとも見ずに言う。

「あなたの乗る列車はもう出発しました。次の列車に乗りなさい。」
え?
次って1時間半後よ?
1時間半もあればブリュッセルの街を見れたじゃーん!
しかもまたネットカフェに戻って友達inロンドンに連絡しなきゃならないじゃーん!!

ぷっつん。

あのね、ヨーロッパでこんなの初めてなんだよね。
多分テロ警戒なんだろうけどね、もうちょっととるべき態度とか対応とかあるでしょう。
こちらはお客ですよ。
プッツン来たよあたしゃ。


回された先は若い男性のチケット係だったので、次の列車のチケット発行後、彼に質問をぶつける。
「どうしてここのシステムはこんなに厳格なの?」
「これがここのやり方だからさ」
「でもUKはEU加盟国でしょ?」
「そうだけど、これがここのやり方なんだ。」
「アイルランドに対しても同じなの?」
「全て同じだ」
「私ヨーロッパ来てからこんなの初めてよ」
「おいおい、非難しているのかい?しょうがないよ、これがここのやり方なんだよ」
肩をすくめ、逃げるように去ってしまう。
あんたー!ここで働いてるんでしょ!?自分のやっている仕事の理屈くらいきちんと答えられるようにしときなさいよー!!

ダメだ、あの人じゃ埒が明かない。
もう一度さっきの手ごわいおばちゃんのところに戻る。

「質問してもよろしいでしょうか。あなたは英国出身でらっしゃるしょうか?」
「…イエス」
「どうしてユーロトレインのシステムはこんなに厳格なのですか。」
「私たちは全てをコントロールしなければならないからです。」
「しかしヨーロッパに入ってからこんなの初めてです。」
「それがユナイテッド・キングダムのやり方だからです。」
「でもUKもEU加盟国ですよね?」
「ユナイテッド・キングダムは島国だから特別なのです。」
「アイルランドも島国ですよね。でもユーレイルにも加盟していますよね。」
「ユナイテッド・キングダムは特別なのです。」
「その理屈はよく理解できません。もう少し詳しく説明してくれませんか。」
「ユナイテッド・キングダムは特別で、我々は全てをコントロールしなければならないのです。わかりましたか」

わかりません。
もう話していても埒が明きません。
せめてテロ警戒くらい言ってくれたらまだ納得できるのに、その言い方じゃ理屈が通っていないでやん…。
かばんの中身を床にぶちまけて、人の顔も見ない。その高圧的な態度が嫌だったの。

結局ロンドン22時着になってしまった列車に乗り込み、いらいらしていた私は買ってあったベルギービールを一気飲み。
なんとかふうっと一息ついて落ち着く。

まぁ、国の安全のことを考えたら疑うのは当然か。
でも、私よっぽど怪しい人に見えたんだろうなぁ。がぼーん…。

イギリス人がプライド高いっていう話は本当なのかもしれないなぁと思う。


<今日のグルメⅡ>
CIMG2985.JPGブリュッセルの街中のチョコレート屋さんに行きたかったのに、失敗。
ロンドンで合う人たち向けに駅で買ったお土産チョコ。後から聞いた話によると、「ベルギーに行きたくなるくらい美味しかった!」らしいです。奥はベルギービール。

【イギリス】 £にかわって、おしおきよ!

2007年08月18日

昨夜。遅れに遅れ、ロンドン・ウォータールー駅22時着になった私を迎えてくれたのは、

スポ愛バスパ(バスケサークル)我らの女子代表たーまるのーりこー!
そしてバスパの先輩、ダースベーダーことびょんじゅんさーん!!

びょん様にはあとから登場してもらってたまちゃんを驚かせる、という私のカンペキな計画は、私が遅れたせいで脆くも崩れ去りました…先に二人が会う羽目に。こんな遅くなったのに待っててくれて本当にありがとう。

%E3%81%A8%E3%81%8F%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93has%20come%20to%20London.jpg到着したときの私はこんな感じだったらしいbyたまちゃん。あまりの嬉しさに…目がほんまに三日月形になっちょる…。
そして申し訳ないことにデジカメのイギリス分メモリーが吹っ飛んだ(楽しかったイギリスは何度も見返していたのでメモリーに入れっぱなしだった…)ので、なんとか他の写真と言葉でカバーしていきます。












HappyBirthday%EF%BC%81%EF%BC%81.jpg3月の代別試合。中央のラブリーなお人がたまちゃん。私はこれが苺最後の試合かもと思ってばかみたいに泣いて腫れてまんじゅう顔。












到着が遅くなり宿を取る時間が無くなってしまった私に、びょん様が泊まっているホテルの部屋を貸してくれ、自分は本田さんの部屋に移ってくれました。なんて優しい…。ぺ・ヨンジュンの時代はもう古い。今はお・びょんじゅん様の時代や。


さて、朝。他の先輩方にも挨拶して、今日はたまちゃんとデート。
たまちゃんは9月からロンドンにある寄宿舎学校で日本語教師として赴任することが決まっている。今はその準備段階で、ホームステイしながら語学学校に通っているところ。
小さい頃の「おちゃめなふたご」シリーズに始まり最近では「ハリー・ポッター」に至るまで、ずっとイギリスの寄宿舎学校に憧れていた私。たまる先生の寄宿舎生活に興味津々。ラクロスとかいたずらとか魔法とかそういうイメージ。楽しそー!!


オックスフォード・サーカス駅で待ち合わせ、ロンドンの街をたまちゃんに案内してもらう。

てか、ここは、どこ…??

国際色豊か過ぎやしない?白人はもちろん、アフリカ系、アラブ系、アジア系…とにかく沢山の人種がぞろぞろ歩いている。
周りの店もほとんどチェーンのブティックやファーストフード。レストランだってチャイニーズやトルコなどの他国料理ばっかり。
これ、もし街中に赤い二段バスと赤ポストと赤電話ボックスがなかったら、一体どこの街かわからない。

たまちゃんの話を聞くと、語学学校もとにかく国際色豊かなようで、生徒もスペイン人、イタリア人、ロシア人、中国人、タイ人…とみな訛りの強い英語を話すらしい。
「先生は最初に“本当に英語を学びたかったらロンドンに来てはいけません”って言ったんだよー(笑)」
でも逆に、わざとイタリア訛りで話すことが生徒の間で流行ったりして、なかなか面白いことになっているらしい。

そして物価が高い…。今世界中のマクドナルドで最も高いのはロンドンだそう。セットが1000円超えている。ユーロ€も高かったけど、ポンド£は高い。
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ピカデリー・サーカス方面に歩き、トラファルガー・スクエアを見た後、セント・ジェームスパークへ。生バンドの演奏があり、みんながそれぞれくつろいでいい雰囲気。
池のある公園をこうしてたまちゃんと歩いてると、なんだか井の頭公園にいるみたいだね~と笑っていたら、徹底的に違うところが!
なんとリス!!

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グリーンパークも見ながらバッキンガム宮殿へ。
ここの衛兵はたまちゃんお気に入り。よく見ると黒い帽子にはかわいらしい“耳”があるらしい。二人で「手乗り衛兵」や「衛兵を食べるの図」の写真を撮った。
そして宮殿前にでんと構える金ピカの像。あの高いところにいらっしゃるのは…女王ね。
すごい。王の像なんてどこにもない。王よりも断然女王が強く、国民の尊敬を集める女王。
…でもね。
私にはあの手を広げている金の像が、「セーラームーン」のミレニアムバージョンにしか見えないよ…。
ポンド£高と相まって、こりゃ「月に代わっておしおきよ!byセーラームーン」じゃなくて「£に代わっておしおきよ!by女王」だわよ。


それからノッティング・ヒルに向かい、スーパーへ。
イギリス人の胃袋チェック。
…なんだこの冷凍食品の多さは!!

たまちゃん曰く、「ホームステイ先のホストママも本当に料理が簡単だよー。レンジでチンしたピザとか、チキンとか。野菜は生ばっかり。さらしていない玉ねぎを切ってそのまま出てきたりするんだよ」
左様ですか…。すごいねイギリス人て…。
物価高を乗り切るため、たまちゃんのランチはスーパー御用達らしい。

その後、先輩たちとお会いする。
もともと友達だった淳くん、それから宇佐美姉さん、まっきー姉さん。
宇佐美姉さんが予約してくれていたイギリス料理のレストランへ。
相当いいお店のようで、チップ&フィッシュなのにめっちゃ美味しかった。店員さんも陽気。「でもここは珍しいよ。嬉しい~!ご馳走様でした。

その後、ホテルの部屋にお邪魔して
淳くんが春から始まった刺激のある生活を楽しそうに話すのを聞き、宇佐美姉さんからトルコ旅行のオススメポイントをもらい、「社会人になるのはね、今はそんなに心配しないくていいと思うよ。きっと人によって感じ方が違うから」とまっきー姉さんから深いアドバイスを頂く。

用事から帰ってきたびょん様と金坂くんも加わり、その後は女子恋愛トークで盛り上がって、楽しい夜が更けていった。


<今日のグルメ>
Steak%26ale%20pie.jpgお昼はたまちゃんとコヴェント・ガーデンのイングリッシュパブで。
牛肉のビール煮をパイで包んだもの。やはりというべきか値段が高かった(確か約6ポンド≒1560円)ので、二人で一皿を半分こ。なかなかいけるねこれ!
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夜は先輩たちにご馳走していただいた。ノッティング・ヒルにある有名なフィッシュ&チップスのお店。船をイメージした装丁で、店員さんも陽気。
フィッシュはCod・Haddock(タラ)、Sole(ヒラメ)、Swordfish(メカジキ)などから選べ、外はかりかり・中はしっとりに揚げてあって美味。ポテトと共にエールビールによく合う。海老のビネガー和えやデザートも素敵。

【イギリス】 スコットランド巨大学園祭

2007年08月19日

ハリーポッターの世界へようこそ。
キングス・クロス駅で“9と3/4番線”をしっかりチェック。
その後スコットランド方面行きの電車に乗り込む。


目的地はエジンバラ。目的は阿部田裕子、通称・阿βに会いに行くこと。高校時代からクラスもバスケ部も3年間一緒、二人して浪人して大学も一緒という大親友は、9月からエジンバラ大学の大学院に留学することが決まり、今月はサマースクールに通っている。


5時間半の列車は、最初バックパッカーでヨーク出身の女の子と隣の席になって話が弾む。
エミリーは夏季休暇を利用して2ヶ月間のアフリカ旅行を終え、ちょうど家に帰るところ。いい色に焼けている。たくさんのアフリカアドバイスをもらう。
スコットランドにある日本でいう自治大のような大学で機械工学の勉強をしていて、卒業後は英軍の整備士として働くという。

スコットランドとイングランドの違いは何?と聞いたら、
「イングランドの人が憧れる田舎暮らしがスコットランドにはある。人々も素朴で優しいし、食事も美味しい。私の実家は農家で、日曜の楽しみは母がヨークシャー・プディングを作ってくれることよ。」
ヨーク駅にて家族総出で出迎えられ、幸せそうな顔をしているエミリーを見て家族のあったかさを思う。


その1時間半後、エジンバラ駅到着。
実は、「UK入りしたらメールしてね!」と連絡がきたまま、メールをしても阿βから返信が来ていない。エジンバラのネットカフェで再度確認するも返信なし。
まぁ何とかなるっしょ~。もうここまで来ちゃったし。阿βの放置プレイには慣れてるし。今までこういうことがあっても何とかなってきたので、軽い気持ちでそう考えた。後から考えるとこれがまずかった…。


今、エジンバラはフェスティバル真っ最中。この有名なイベントは、最も人気が高いミリタリー・タトゥーというエジンバラ城で行われる行進式のほか、それぞれ劇・映画・コメディ・オペラ・ミュージカル・書物などをテーマにした祭りが3週間に渡って一斉に同時開催され、街中のあらゆるところが大勢の人で賑わう。学生のアマチュアから本物のプロまで幅も様々。
びっくりしたのは1日ごとにその日用のパンフレットが配布されていて、その日開催されるイベントの名前と場所が5分刻みでびっしりと書かれている。ページ数約30ページ!

世界中から集まった人で埋め尽くされたHigh Streetの人混みで私のテンションも最高潮。
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ecovered_1413.jpg














大道芸人があちこちで芸を披露し、様々な衣装を着た俳優たちが客の呼び込みに必死になる。
見上げるほどの一輪車に乗った人、テニスラケットと便座を身体に通す芸をしている人、二人連なってラクダの衣装を着ている人。強面のスキンヘッドのおじさんがスコットランド伝統のスカートを履いて風船を売っているかと思えば、道路に寝そべって血を流して死んだ振りをしている美女の周りに「ドラキュラ」と書かれた劇のビラが並ぶ。

この雰囲気はさながら学園祭。これは巨大学園祭!


楽しみながらもネットカフェで逐一返信チェック。返信なし。
こうなったら現場急行や。エジンバラ大学へと向かう。大学で学生寮の場所聞いて尋ねていけばいいやろ~。
が、しかし。今日は日曜のため大学オフィスはクローズ…。学生を捕まえて聞いてみるも、学生寮は学内外にいくつもあって、どこの寮か判断するのは難しいと言う。
しまった…。

とりあえず、万一のときのために宿を取ろう。
が、甘かった。
どこも満室。フェスティバルの時期に宿を取るには相当前から予約しないといけないらしい。
250のベッド数があるバックパッカー宿でも満室と聞いてがっくり。


陽が落ちてきた。やばいすでに吐く息が白い。
今年日本は猛暑らしいけど、ヨーロッパは冷夏。しかもスコットランドはさらに北部。
今日はロンTにパーカー、その上からトレーナー。さっき土産物屋でマフラー買っておいてよかった~とスコットランドチェックを首に巻く。

とりあえず夕食を食べ、夜11時の閉店までネットカフェで返信を待つ。その後はお祭り騒ぎのエジンバラ大学へと向かう。
ま、大学の駒場祭と同じと思えばいいじゃない。
あれは秋でもっと寒いし、それでも朝までみんな外にいるし。
どうやらエジンバラ大学も午前3時まで催しをやっているようで、笑い声が聞こえるコントの舞台に行って最後まで観る。

さーてとうとう終了。
どうしようかな。
駅に戻って寝ても、あの駅じゃ寒過ぎるよな。
パブも朝までやっているわけじゃなさそうだったし、マクドナルドも24時間営業じゃなかった。
そこでそのまま校舎内をうろうろしていたら、ペンキ缶が置かれた1畳半ほどの倉庫を見つける。
なんと鍵が壊れてる。

不幸中の幸い。ここならそこまで寒くない。
するっと入り込む。ドアを閉めたら中は真っ暗。デジカメでフラッシュを焚いたら、天井近くに電気操作盤みたいなのが見えた。ジーッという音はこれか。
手探りでペンキ缶を隅に寄せ、なんとか寝床を確保する。
うーんホコリっぽい。あ。確か北京でもらった高性能マスクがかばんの中に…あった!
お。これで眠れるやん。

一体阿βどこにいるのかな。
会いたいよ阿β。


<今日のグルメ>
ecovered_1403.jpg
今日は日曜日。どこのパブの店先にも、メニューに「Special Sunday Meal」が並ぶ。エミリーのヨークシャー・プディングの話を思い出してオーダー。
ビーフににんじん、ブロッコリーなどの茹で野菜とポテトフライがついてグレービーソースがかかっていて、味わい深い。日曜はスコットランドの家庭の味をシェフがつくる、というお決まりらしい。一緒にスコッチウイスキーを飲むと身体が温まる。

【イギリス】 阿β大捜査線・ミレニアムブリッジを封鎖せよ?

2007年08月20日

朝6時前。倉庫を開けようとする気配で目が覚めた。

やばい見つかる!!

必死で中から押さえるが、とうとうドアを開けられて見つかってしまう。
どうやら見回りの人みたい。引っ張り出されてめっちゃ怒られる。
ごめんなさい…。
外に放り出される。


夜明けのスコットランド。寒みーなー。身体あっためるか。
エジンバラ大学から1.5キロほど離れたCaltonの丘に歩いて行くことにする。


丘の上から眺めた景色。それはもう素晴らしい。
街全体が世界遺産に登録されているだけあって、古い建物が修繕されつつ残されている。
反対側にあるNew Cityでさえ、18世紀に作られた都市計画に乗っ取って建設されている、という歴史の古さ。
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イングランド方面と違うのは、建物の天を刺す三角屋根の角度がスコットランド方面ではよりシャープで、細かいというか触ったら痛い感じの装飾が施されていることか。街中で壁をよく見ると、レンガの色が2種類交互にあったりもして美しい。


その様子を遠く丘の上から眺める。

この街のどこかに阿βがいるのか…。

せっかく来たんだから、絶対に会って帰りたい。
午前中までならここにいられる。
もう一度探してみるか!


8時にレストランが開くのを待って朝食を食べ、もう一度エジンバラ大学に向かう。
月曜だからオフィスも空いている。
今朝怒られた校舎の前は足早に通り過ぎる。あちこちで聞くうち、語学の建物がある場所を突き止める。
そこの受付に行き、阿βのことと、サマースクールの語学学校に出席しているはずだということを言ってみる。
係の方が電話をして聞いてくれ、「語学教室は今ここの建物の2階でやっていて、あと30分で終わるようだから待っていたらどうかしら」と言ってくれる

やった!
とうとう会える!!


レンガ造りのキャンパスの中、大きな図書館の建物の近くで待つこと30分、生徒たちが出てきた。

あれ…。阿βはいない…。
先生らしき人に聞いてみても、その生徒は知らないと言う。

「でも午後にも授業があるから、もしかしたらそっちに出席しているかもしれないわよ」


終わった…。
ロンドンに帰らなければならない。午後まではいられない。
阿β捜索、大失敗。今までみたいに何とかなるだろう、絶対会えるって気がしていたけど、今回ばかりは甘かったみたい。


落胆しつつ、駅に預けていた荷物を取り、ホーム脇にあるコインシャワーを浴びて帰りの列車に乗った。




気持ちを切り替えて夕方6時半。キングス・ロード駅からバンク駅に直行し、約束にギリギリセーフで間に合う。

待っていたのはラトヴィアで会ったイギリス人・ダン。英国銀行で正式入所前のインターンをしている彼は、仕事終わりのスーツ姿。
今度は待ち合わせにちゃんと会えてほっとする。
ダン、スーツ着てると別人みたいねー!


Bankバンク駅のある地域、通称“シティ”周辺を案内してもらう。

ここはロンドン金融街の中枢部。

英国銀行と証券取引所を中心に、古き時代に使われていた王立証券取引所、名だたる銀行・証券会社が所狭しとひしめき合っている。


ecovered_1426.jpgちょっと奥に入ると3大ビルというのがあり、ピクルスみたいな形のビルと、工場みたいな形のビルと、ナナメに積み木を歪ませて積んだような面白い形のビルが見える。それぞれ様々な会社が入る商業用建物だ。

「通称ピクルス・ビルは、形がユニークだから次のテロではターゲットになるかもしれないと言われている。ヤバイヨネ」

と来月から日本に留学する彼は日本語交じりで説明してくれる。


ラトヴィアで「英国がユーロを導入しないでポンドを維持しているのはアメリカへの対抗カード」と話してくれたダンに、
「シティは面白いところね。英国はユーロを使っていないのにここでユーロの取引全てが決まるんだってね」
と言ったら、

「そうだよ。ヨーロッパの金融取引の中心は、ここだ」
とはっきりと答える。

テムズ川方面には、金融街&セント・ポール寺院をテート・モダンと結ぶミレニアム・ブリッジが掛かる。
もしここを封鎖したら、この街を封鎖したら、ポンドだけでなくユーロを始め全てのヨーロッパの金融取引が停止する。

ダン、あなたはこれからここで働くのね。



ecovered_1431.jpgそのうち、まるで中東に来てしまったかのような通りに出る。
建物も古ぼけていて低く、歩いているのは中東系の人ばかり。地価も安いという。

こんなところが金融街のすぐ近くにあるなんて。
面白いねロンドンは。まだまだ奥が深いね。








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103894087_218s.jpg阿β。会えなくてほんと残念。
私が連絡したのが土日だったのが運のツキで、彼女がメールを見たのは月曜。慌てて駅に走ってホームも電車の中も全部探してくれたけど、私の列車が出たのはタッチの差だったみたい(涙)。

でも、あべちゃん。私とアンタの仲だもん、絶対すぐにまたどこかで会えるよ!
留学がんばだよ!私も最後まで旅行やり切るからサ!
そして世界のどこかで、また会おうネ!!



<今日のグルメ>
朝食はエジンバラで。伝統的スコットランド風。
羊の胃袋に羊肉や臓物、オートミール、細かくした野菜を加えて煮込む名物のハギス。それを揚げたものと、つぶしたポテトを平たくして焼いたもの、焼きマッシュルーム、ソーセージ、大豆の甘煮などがワンプレートに載って出てくる。
ハギスは言ってしまえばごった煮と言ったところなのだろうが、歯ごたえがこりこりしていてコクもあって独特のおいしさ。


ecovered_1432.jpg夕飯はシティ近くにて。ダンが美味しいものを食べよう!と案内してくれたのは、中東系の店が並ぶ中にあるパキスタン料理屋。美味しいものと言ったらやっぱり他国料理なのね、イギリス人よ…(笑)
カレーの店として有名らしく、店外の中東系ばかりの雰囲気とは打って変わり、スーツを着たりした白人客も半分くらいを占める。
骨付き羊肉を焼いたものと、辛い羊肉のカレーを頂く。確かにこりゃイケる!

ダン:「日本の食べ物はいろいろ試したけど、日本のカレーはダメだね。ロンドンの方が美味しいと思う。」
私:「いやいやいやいや。これイギリスにあるって言ってもまるっきりパキスタン料理だし。日本のカレーは日本人風味にちゃんと工夫してあるんだよ。」
ダン:「でもあまり美味しくなかったよ。他の日本料理は大好きだけど」
私:「ダン!キミは勘違いしている!留学したら一番に日本のカレーを食べなさい!!」

【イギリス】 母上感謝デー24周年

2007年08月21日

母上が頑張ってくれたお蔭で、この世に生を受けて今日で24年。
ロンドンの真っ赤な電話BOXから日本に国際電話をかける。
お母さん、産んでくれてありがとう。


ecovered_1473.jpg今日最初に向かったところは“シティ”。
昨日ダンに案内してもらったところを改めて見回す。
小雨の中、スーツを颯爽と着こなしたビジネスマンやキャリアウーマンたちが急ぎ足で歩いていく。
その様子を胸に刻み、来春からの自分の決意を新たにする。


ロンドンに来てから疑問に思っていたことが二つある。

一つめ。コインに刻まれたエリザベス女王2世の顔が、コインが作られた年代によって全然違う。
集めることができたのは3種類。新しいコインになるほど歳をとっていく。古いコイン、私が生まれた1983年のときの顔が一番美しい。


昨日このことについてダンに聞いたら、
「女王の顔は約20年毎に変えている。興味があるなら銀行博物館に行ってみたら?」
と言われたので、英国銀行Bank of Englandの巨大な建物の北東の入口に向かう。


正直、紙幣デザインの変化や模造防止技術の変遷などは面白くなかったが、戦時の軍の資金調達や銀行が国有化された話は興味深い。

また、理事会と財政委員会の変遷や現在それを構成する全9人(女性2人含む)のバックグラウンドなども知ることができて面白い。


その後、世界で最も美しい建物の一つと言われるセントポール大聖堂へ。
うーんまぁ確かに美しいが…大陸側の聖堂によく似とるなぁ。
ここでも女王のモニュメントが正面に聳え立つ。


その後、最高裁判所へ。
Royal Courts of Justice様、英米法の授業で何度貴方のご様子を想像申し上げたことか!

荘厳で巨大な建物の中にはNo.1~82までの法廷があり、中には名前をつけられた法廷もある。
例えばCourt4はLord Chief Justice of England & Wales、Court5はThe president of the Queen’s Bench Division、Court15はThe Lord court…いかん、だんだん興奮してきた。

こんなので楽しいなんて、自分気持ち悪いな~マニアックだな~と苦笑していたら。

なんと裁判をやっている最中の法廷があった。
しかもガラス窓。

そして確認!!
黒いローブを身にまとい、グレーのカツラを頭に被ったバリスタ達!!

うきゃー本物だ~!!

うわー。今すぐにでも麗しきまいちん姫に伝えたい。
朝8:30コーヒー飲みながら眠い目をこすりこすり並んでノートとったねぇ、まいちん。バリスタの落書きしたよねぇ。

めっちゃ簡単に言えば、英国の弁護士には2種類あって、当事者から直接依頼を受けて事務処理をするソリシタと、ソリシタから依頼を受けて法廷弁論をするバリスタに分かれる。規制緩和が進んでいるが、バリスタは今でも伝統を守って黒いローブにグレーのカツラをつけて法廷に出る人が多数なのである。
いや~かわいいなぁ。
カツラを頭の上にお皿のように載せ、後ろ側にはぴょんっと三つ編みが跳ねている。

イギリス人のこういうところ、憎めんなぁ。

その後、語学学校が終わったたまちゃんと落ち合って街歩き。

ロンドンに来てから気になっていたこと2つめ。

「トラファルガー・スクエアはわかるけど、オックスフォード・サーカスって何や!ピカデリー・サーカスって何や!サーカスゆうて曲芸かいな!」

と私が言っていたので、たまちゃんが調べてくれて、
「スクエアが方形広場なら、サーカスはやっぱり円形広場のことらしいよ。」
と教えてくれた。

いざ確認!

ecovered_1468.jpgピカデリー・サーカスをよく見ると、道路が緩やかにカーブを描き、両側に並んだ建物も並行してずっと先まで曲がっていってる。
円形広場って本当だった!








たまちゃんが、
「今、日本では英国発のアニヤハインドマーチのエコバッグが人気らしい。」
というので、実物を求めて歩くがどうやらどこも品切れ。

パチモン屋で偽物を見てがっくり。これが銀座で行列ができて喧嘩になるほどの大人気…。さいですか~。

たまちゃんが誕生日祝いに衛兵の形をした歯ブラシを買ってくれた。めっちゃいいセンス!これの方が断然素敵。




その後、ダブルデッカー=赤い2段バスに乗ってテンプル教会へ。
ダン・ブラウンが書いた『ダ・ヴィンチ・コード』の最終場面に出てくる場所はここかぁ。でもあいにく開いてない。

ecovered_1494.jpgそれからロンドン・アイの下に行ってライトアップされた国会議事堂とベン様(ビッグ・ベン様)の姿を対岸から拝み、ロンドンの夜景の美しさにしばし見惚れる。

たまちゃんと、
「働く意味ってなんだろうね」
と話す。
渡英するため相当ハードにバイトに励んだたまちゃんが感じた、周囲のローモチベーションへの違和感。
仕事より旅が優先と言い切るバックパッカーに会って私が感じた、仕事の位置づけへの違和感。

結局、正解はないね。自分なりの「仕事」の位置づけを決めて、いかに”楽しもうとするか”じゃないか。
そういう結論になった。


ecovered_1522.jpgそして地下鉄でノッティング・ヒルへ。
先輩たちが誕生日祝いに飲み会を開いてくれた。
びょん様、淳くん、宇佐美姉さん、まっきー姉さん、初日迎えに来てくれると言ってくれていた金坂くん、アフリカ旅経験からアドバイスと貴重ーな物品をくれた千ちゃん、買って行った「女子禁制」チョコバーをむしゃむしゃ食べてくれた森さん、絶口調で笑わせてくれたキヨモトさん。

みなさん、本当にありがとうございました。
ほんまに最高の誕生日でした。


<今日のグルメ>
今日はお菓子編。

「英国式のお茶がしたい」
と私が言い出し、たまちゃんとあちこちの喫茶店を覗くが、これがなっかなかスコーンがないの。コーヒーを出すカフェは山のようにあるけど、紅茶専門の店はほとんどない。そしてスコーンを出しているのはスターバックスしかない。
探し続けてやっと見つけた店ではスコーンは売り切れ…。仕方が無いのでコーヒーにサンドイッチで妥協。

それから、たまちゃんが「旅の荷物にならないものを」と考えて誕生日祝いに用意してくれていたお菓子の詰め合わせ。見ているだけで楽しい。大事に大事に食べてます。

ecovered_1521.jpgたまちゃんとスーパーで買って食べた、ロンドン名物の赤い2段バスと同じ名前を持つ「ダブルデッガー」というチョコバー。フレークとヌガーの2段構成になっていてかなり甘め。
他にも「女子禁制」というチョコバーや、塩分除去して味のしないポテトチップスなど、面白いお菓子をいろいろ発見。

【フランス】 スコーン!スコーン!パリジェンヌスコーン!

2007年08月22日

CIMG3461.JPGボンジュール!Paris!!















朝ダンが見送ってくれて、ウォータールーWaterloo駅からユーロスターに乗り込んだ。
日本で買った格安チケット、ロンドン-パリ間がなんと6000円、通常の4分の1。大学生協さん、いい仕事してますねぇ。
イギリス出国の方はパスポートチェックも緩く、楽々クリア。
ドーバー海峡を越え、昼前に到着。


CIMG3603.JPGパリはロンドンと同じ首都とは言え、全く感じが違う。
まずフランス人が多い。そして予想以上にアフリカ系も多い。一方アジア人は少数。
雰囲気がゆったりしている。街並みが落ち着いている。
フランス料理屋が多い。カフェもフランス流が多い。
そして何より、店々のショーウィンドーには見るだけで幸せな気分になるお菓子がずらりと並び、その奥にフランスパンが無造作に立てられている…ここは天国!?

地下鉄はBastrille駅で降りて革命の女神を拝み、目当てのホステルと交渉し終え、さてチェックインの時間までお茶でもしようかウキウキ….と思ったら。

なんと。

ロンドンであれだけ探してもなかったスコーンが目の前に!大量に!!
なんだー。今時スコーンはロンドンじゃなくてパリで食べられるのねー。

象徴的やなぁ。
ロンドンは世界中のあらゆる人・食・文化が集まりまさにコスモポリタンといった感じで、もはやイギリス固有のレストランなど見つける方が苦労する。ま、あったとしても大体Fish&Chipsだけどね。のどが渇いて何か飲もうと思っても断然紅茶よりコーヒーの方が早い。
一方、パリは昔植民地化していたアフリカ系の人も多いものの、まさにワタクシおフランス、といった雰囲気。自分たちの文化を大事にし、そのテイストに合うならばという条件付きで外部からの取り入れを行う。フランス菓子とスコーンのように。


おそらく頑なにフランス語を守ろうとしている姿勢も同じような現象で、「英語表記なんて嫌いヨー!」というのが伝わってくる。看板を見ても案内図を見ても、英語がきちんと併記されているものは多くはない。
理解するのにちと苦労する。
このパリの雰囲気を楽しみたい。この通りの名前が、このメニューの内容が、この説明書きの意味が知りたい。フランス語勉強したくなってきた。

…はっ。いかん!こりゃフランスの思惑どおりやないか!!

フランスが世界で一番と思っている彼らは、フランスに足を踏み入れた者にはフランス文化とフランス語を要求するようだ。
いつものように「ハロー」と話しかけても、絶対「ボンジュール」と返してくる。その後の会話が英語でも、だ。
しかも、試しに最初と最後だけ「ボンジュール」「メルシー」と言ってみたら、なんとなくこっちの方が上手く交渉できるような気が…。
このプライドすごいなー。

ちと風邪引いたみたいなので今日は宿で薬飲んでもう寝ます。
日本は猛暑だってね。こっちは寒くて厚手長袖必須よ。


<今日のグルメ>
ユーロスターで着いたのはGare du Nord駅。その近くにあったau Quaide l’Esperance Restaurantでランチ。
美人でワイルドなパリジェンヌがたった一人でめっちゃ忙しそうにホールを担当していて、その笑顔がやばい素敵。
Tartare de Boeutをオーダー。ユッケのフランス版のような感じで、生臭くなく上品。ポテトがあってもフランスパンがついてくるところがイギリスとの大きな違い。
ついでにクリームブリュレも。卵をたっぷり使っている味がする!

そしてBastill駅近くの喫茶店。ショートカットの元気いっぱいなパリジェンヌがてきぱき注文をさばいている。散々目移りした挙句選んだ苺のタルト。スコーンも発見したので紅茶で頂いてみました。店内のメルヘンなインテリア。
あ。パリ来て数時間で3つも焼菓子食べてる…。

【フランス】 おシゴトです

2007年08月23日

CIMG3391.JPG格安の6人用ドミトリー、中はめっちゃ洒落ていてきれい。幸せでやんす。
今日も雨のパリ。同部屋の人によると、天気が良かったのは8月第1週までだそうで、ずっと機嫌の悪い空模様が続いているという。

そこで、フィンランドで瀕死状態になっていた折り畳み傘殿にご臨終を告げ、新しい傘を買うことにした。

ヨーロッパ人がよく持っている虹色の傘が何年も前からずっと欲しくて、下北沢や吉祥寺に行く度に探していたのだけど、結局日本では見つからず仕舞い。
旅に出てからは折りたたみタイプを探していたけどなかなかない。

ええい。もう買ってしまおう。
折りたたみじゃないけれど。雨天を楽しく過ごすのじゃ!
ecovered_1530.jpg虹色16色の傘。
やっぱり綺麗~!あーめあーめ降ーれ降ーれー♪












さて、今日はおシゴトです。
日本法令「社労士V」の原稿締め切りが明日に迫ってます。
実は連載打ち合わせをしたのは出発10日前。
普通なら辞退するお話だったけれど、社労士と聞いて即引き受けた。

私の祖父は航空学科を出た経緯などで戦中戦後に恐ろしく働かなければならず、結局身体を壊して母が小学生のときに亡くなった。
これまで祖父が残した手記を読んだり、療養中に諳んじていたという石碑の文章を見に行ったりして、社会保険や労働管理の重要性について未熟ながら考えることがあった。
私の力が少しでも受験生の方のお役に立てば幸いです。

出発前に1回分は書き上げていたので、今回は第2回以降の分。
母上に頼んでたまちゃんのホームステイ先に送ってもらった資料をパリの喫茶店で開き、今から集中モード入りまっす。んでは。


<今日のグルメ>
CIMG3319.JPG宿の朝食…パンだけ!?
でもさすが。このフランスパンとクロワッサンめっちゃ美味しいわ。

【フランス】 ワカパリ

2007年08月24日

えー、タイトルに他意はありません…たぶん。ゴロがよかったの。
わかったアナタにエロス賞(笑)。

パリでステイしているのはMIJE・Fourcyという宿で、バスティーユとルーブル美術館を結ぶリヴォリ通りにある。安宿ながらセーヌ川を1歩入った最高のロケーション。
5人部屋ドミトリー内はみな一人旅の女の子。オーストラリア人や韓国人、日本人のお姉さんもいて様々だが、パリって素敵!フランスが好きでたまらない!といった雰囲気である。1~2ヶ月以上の長期滞在者もいる。
なんだか私のテンションとちょい違う。場違いな気分。

パリに来て3日目、そろそろ歩き回りたい。しかし風邪でまだ結構身体がしんどいので午前中はおとなしくし、夕方から外に出た。


CIMG3390.JPGノートルダム寺院前で出会ったこの家族、最高!!
左から“P・A・R・I・S”と読みます。Sのお父さんが一番がんばってます。


わおー。よっしゃ、私も“ワカ”流パリを見つけに行ってきます!








CIMG3444.JPGエッフェル塔前にて。


















CIMG3494.JPGシャンゼリゼ通りから見た凱旋門。












CIMG3521.JPGルーブル美術館の透明ピラミッド。












こんなもんかね♪
体調悪いため決めポーズのキープ力が落ちているのはご勘弁を。


さて、パリにいる人々について。

CIMG3454.JPG生粋のパリジェンヌももちろんいるが、圧倒的に肌の黒いアフリカ系が多い。
これはエッフェル塔の下で出会った家族。あまりにもかっこよかったので撮らせてもらった。なんてクールな家族なの!
パリに住む右側の姉家族のところに、ロンドンに住む左側の妹家族が遊びに来たんだって。

そして何より観光客が多い。
上のポーズ写真はシンガポール人やチリ人が撮ってくれた(チリ人は南極情報もくれた。あざっす!)。


みんなに愛される街、パリ。
お上品でお高くとまって、なーんて敬遠するのは筋違い、でした。それぞれの楽しみ方があっていい。



<今日のグルメ>
CIMG3388.JPG街中のあっちこっちにあるオープンテラスカフェは、たいていテイクアウトのフランスパンを売っている。間にハムやチーズを挟んだサンドイッチだ。
と思ったら、注文を受けると波型のホットプレート挟んで潰して焼いてくれる。
なるほど、パニーニに早変わりというわけね!

【フランス】 だピョンdeコード・バスケ勝負フランス編

2007年08月25日

開館1時間前、先頭から10番目くらいのところで列につく。
朝靄にけぶるルーブル美術館である。

いよいよ開館。もちろん最初に目指すところは決まっている。
どきどきする。
この通路の展開のさま、まさに「ダヴィンチ・コード」と同じ。

いた!

CIMG3569.JPG微笑み勝負、やっぱり彼女には敵いません。












超有名作品ばかり集まっているとは言え、今まで世界史や美術の資料集で眺めていたのと本物とではまるで違う。

CIMG3584.JPG繊細な肉感に見惚れたり、















迫り来るような大きさや細かい筆遣いに圧倒されたり。
CIMG3604.JPG


すごいなぁ。
本物に触れるとはこういうことか、としみじみ。


さて、実は今日はバスケの約束が♪
昨日エッフェル塔に行ったときに約束を交わしたフランス人・ノーディーン。

CIMG3601.JPGエッフェル塔下の南東に広がる公園でストリートバスケ。
ガードタイプで動きが細かく、ドリブルでマタ下を抜かれたときは、湘北りょーちんに抜かれた山王「だピョン」深津のように足が動かず。うう。
でもねノーディーン、ディフェンスが素直過ぎるんじゃありませーん?そんなにフェイクに引っかかってたら私の思うツボよー?
こんな感じでずっと1on1やり続けてたから詳しい点はよくわからなくなったけど、まぁノーディーンの3ポイントを考慮しても多分私が勝った。ふっふー。

終わっていろいろ話していたら、なんとノーディーンはフランス料理のシェフだという。
しかもエッフェル塔のすぐ近くの“Vinet Maree” というPoissonポワゾンのお店を自ら経営。

シェフってどういう仕事?
「とてもインスピレーションと集中力が要る大変な仕事。だから毎日へとへとになるし、週末は休みを取ることにしてるんだ」
と言って、ソニーエリクソンのケータイでお店やシェフ姿、創作料理などの写メをたくさん見せてくれた。

めっちゃ美味しそう!うーん残念!今日明日が平日だったら絶対食べに行ったのに。
今度パリに来るときは必ずお店に行く!と再会を約して別れる。


CIMG3621.JPG遅い昼食でワインを飲んでほろ酔い気分でいたら、なんと晴れてきた。パリ初の青空。
陽光を照り返すセーヌ河沿いをいい気持ちでゆっくり散歩。

気付いたらなんだか身体の調子がいい。
バスケして酒飲んだら風邪治る、っていつものパターン…(笑)。

うーん。噂のパリは私にとっても素敵なところやったなぁ。
もし毎週末、ルーブル行って、エッフェル塔見ながらバスケして、食事に舌鼓してワインを飲み、セーヌ川散歩して、なんてできたらどんなにいいかなぁ。


<今日のグルメ>
ノーディーンのお店は“Vinet Maree”、月~金営業。住所:71 Avenue de Sufferen H007 Paris.

CIMG3608.JPGあら大変、フランス来てからまだワイン飲んでなかったわー!と、だいぶ遅いランチでワインを頼む。宿近くのオープンテラスレストラン“L’ELEPHANT DU NIL”.中央はオムレツOmelet Parisienne(jambon)。これがまた繊細な味で、たっぷりの卵にチーズがとろけてマッシュルームでアクセント、迷わず私のオムレツ過去最高位を贈呈。赤ワインは庶民の味Chateau de Pennautier.

【スイス】 陽気なアメイジング・グレイス

2007年08月26日

ローマから北へ向かうつもりで夜行列車に乗った。
目が覚めると、ん?私以外乗客が誰もいない…?
電車はもう止まっている。窓から見えるのは…倉庫の中!?

しまった寝過ごした!もう回送電車になっちゃった!?
頭混乱、慌てて飛び起きる。

と、ふとしたことに気付く。
あれ…なんか床が動いてない?
てか、周り全部振動してない?
不思議に思って外に出る。倉庫の中に出口らしいものはなく、近くに階段を見つける。
上って行った先は…

突き抜ける青空と、見渡す限り真っ青な海。

なんと電車ごと船の中に乗っていた。
気持ちのいい風に吹かれ、しばらく見とれる。

とっくに甲板に上がってきていた他の乗客たちに聞いて合点がいく。どうやら間違えて南行きの列車に乗っちゃったみたい。
見えてきたのはシチリア島。
島の奥から港の方へ延びてきている線路は波際でぷつんと切れていて、船はちょうどそこに停泊。
船底の線路と島の線路を繋ぎ、列車はその上を走って上陸した。

乗り間違えるなんておばかな私。でもせっかくだからシチリア島も見ていこうかな。
頭の中にゴッドファーザーのテーマソングが流れ始める…。

***********

これは2年前の春休み、試しに一人旅したときの思い出。
おっちょこちょいぶりはこの頃からちっとも変わっていない。
このとき回ったイタリア・フランス南部・スペインは、今回割愛。
パリからスイスの首都ベルンへ。

今朝。目が覚めたのは屋根裏部屋。
これにはこういうわけがある。
昨日夕方、セーヌ川を見た後にパリを発ち、ベルンに着いたのが夜10時。
宿はどこもいっぱいで、途方にくれる満天の星空の下。
空きがなかったバックパッカー宿の警備員さんが「あそこに行くといい」と紹介してくれたHotel Golden Schlusselを訪ねると、
「満室だけど…内緒で秘密の部屋に泊めてあげよう」
と屋根裏部屋にあるスタッフ用の部屋に50スイスフラン≒5000円で泊めてくれた。
枕元に置かれた一口チョコレートを食べ、安心してぐっすり。


鳥の鳴き声と遠くで聞こえる鐘の音で目が覚めて、朝10時前、晴れ渡った外に出る。
都市と言っても、Old Townは本当に小さくて街のような雰囲気。日曜だからいつもよりさらに静かなのだろう。
すると、街の人がぞろぞろ同じ方向に歩いているのに出くわした。

なんだろう?
着いて行ってみると、Bundesplatzの広場に市民が大勢集まっている。
聞いてみると、今日はキリスト教の特別な日で、今からイベントが行われるという。
“Glaube Hoffnung Liebe”と書かれたプログラムをくれたので、街の人と一緒に広場で待つことにした。


10時ぴったり、コンサートが始まった。
どうやらどれも聖歌を陽気にアレンジした曲のようだ。ポップス調になっていてノリノリの音階。
CIMG3663-.jpg小さな子からおじいちゃん・おばあちゃんまで、スイス人がみな楽しそうにバンドと一緒になって歌を口ずさみ、身体を揺らして踊っている。
その様子に、なんだか私は感動してしまった。
プログラムに書かれた歌詞を見ながら私も一緒になって歌う。
ほとんどがドイツ語で意味がわからなかったが、英語歌詞の“Lord, I lift your name on high”などは理解できた。
神様も、こんなに楽しく愉快に祭ってもらえたらさぞかし嬉しいに違いない。

そして神父さんによる話が始まる。みな座って神妙に聞いている。
それが終わると、ジャズ調にアレンジされた“アメイジング・グレイス”をトランペットが高らかに演奏する。澄み渡った空にトランペットの音が吸い込まれていく。

それから、近くの人と5~8人組をそれぞれ作り、円くなってみんなで祈りを捧げる。
私のグループでも1人のお兄さんが祈りの言葉を言い、それを違うお姉さんが次いで言葉を述べた。私も神に心から祈りを捧げた。何よりこのイベントに参加させてくれたことを神に感謝した。

11時半にイベントはおしまい。みな知り合いを見つけたり握手を交わしたりしながら笑顔で談笑している。


CIMG3675-.jpg私が一緒に祈りを捧げた人たち。
別れ際、みなに「よい時間を過ごしてね」と心からの声を掛けられて嬉しくなる。
スイス人たちの祈りと心はここの空のように澄んでいる。














CIMG3684-.jpg
その後、アール川添いを散歩。
ここは自然と見事に合体している街!
全然アルプス山脈じゃないのにスイスってだけでもう気分はハイジ。










おじいさーん、ハイジはここよー!
CIMG3742-.jpg




















そして午後、ベルンから列車で1時間ほど西のチューリッヒへと向かう。

駅から南、日曜のため店が閉まっているBahnhofstr通りを行くと、行き着いたのはチューリッヒ湖。
まるで海みたい!


湖の周りで大勢の市民が思い思いに休日を過ごしている。
CIMG3861-.jpgCIMG3855-.jpg泳いでいる人、飛び込み台からジャンプしている人、日光浴をしている人、本を読んでいる人、子どもを遊ばせている人、白鳥にえさをやっている人、ヨットに乗っている人、さまざま。
駅のコインロッカーに入りきらなかった虹色の傘を、これ幸いとパラソル代わりにして湖に面したベンチに腰を下ろす。すぐ足元まで白鳥が悠々と泳いでくる。
平和だなぁ。幸せな休日だなぁ。
しばし風に吹かれてぼーっとする。


CIMG3764-.jpg街の方に目を向けると、時計塔が多い。
さすが精密機械の国、スイス。ベルンのOld Townの中心にあった時計塔も含め、どれもこれもが凝っていて、精巧なデザイン。
そのうち、街中の時計塔の鐘が一斉に鳴り始め、30分ほども続いた。
街中の細い坂道で、右からも後ろからも上からも下からもあらん限りの鐘の音が響き渡り、
音の洪水に飲み込まれてしまったような感覚に陥る。

その中で一番大きく聞こえる時計塔に行ってみた。下は教会、Christkatholische Kirche Zurich Augustinerkircheと書かれている。
中に入るとミサが始まったところだった。
ああそうか。チューリッヒでもベルンのように特別なキリスト教の日を祝うんだな。
そう思って端っこに座っていると、そのうち聖歌の合唱が静かに始まった。
鐘の音の後の静けさに染み渡るような、ベルンの陽気さとはまた違った崇高な感じの歌が次々と歌われる。
驚いたのは、パートが分かれていて上手にハモっていること。練習してるのかな。
みなが心を合わせて清らかな歌を歌う様子は心打たれる。

今日は幸運な日。
偶然にもベルンとチューリッヒでキリスト教徒のイベントに参加することができた。
それぞれ個性があったが、どちらも市民が心から楽しみ、聖歌を歌い、祈りを捧げていた。生活に根付いた心あたたまる宗教観。
昨夜親切にしてくれたホテルの人も含め、澄み渡ったスイス人の心を想った。


<今日のグルメ>
CIMG3643-.jpgホテルの朝食。ヨーグルトも牛乳もバターも、さすがスイス。乳製品が美味しい。
ウエストの太さほどもあるのを輪切りにされたパンは柔らかくってふわふわ。












CIMG3778-.jpg
ホームで買い、列車の中で食べた昼ごはん。ヨーグルトにグラノーラといろんな種類の果物が入ってヘルシー。スターフルーツの飾りもかわいい。

チューリッヒ湖畔でお気に入りの虹色16色傘の下で食べたアイスクリーム。この味はずっと覚えているだろうな。

【オーストリア】 モルダウ川合唱・天才の悩み

2007年08月27日

チューリッヒから寝台列車に乗り、朝ごはんつきのサービスに感激しながらオーストラリアに到着。

首都Viennaヴィエンナ(もしくはWienウィーン)。
ここに来た最大の目的は、モルダウ川をその目で確かめることである。

中学時代、毎年クラス単位で歌った校内合唱コンクール。
1年生のときの課題曲が「モルダウ川」。
その後有志でつくった合唱団でも歌い、馴染み溢れんばかりの曲。

でも。一体モルダウ川はどんな川だったのか。
想像しながら歌っていたはいいけれど、結局見たことなっしんぐ。
歌詞のように歴史を持ち、青くて光が満ちる川なのー?確かめてみようじゃなーい。


宿“Wombat”の近くのレンタサイクル屋で自転車を借りる。
「他の外国人、例えばアメリカ人なんかは街の写真だけ撮って帰っていくけど、日本人はみなヴィエンナを音楽の都だと思っているよね。どうして?」
と受付のロン毛ドレッドのお兄さんが聞くので、へぇ~と思いながら、
「日本の有名な音楽家がよくオーストラリアに来るのと、最近では“のだめ”という漫画が流行っているからかなぁ。」
と答える。

自転車を借りて街の外までこいでいく。
車道、歩道に加えて“自転車道”がしっかり整備されているのを半ば無視してこいでいたら警官に2度も注意される。ごめんちゃーい。

Recovered_1575-.jpg街に一番近いモルダウ川(ドナウ川)の土手に着く。
確かに緑色の川だ…しかしそこは、そこまで大きくも無い川幅で、ビルに囲まれ、土手にはいっぱいの落書きがあった。
でもこれは自転車屋のお兄さんから調査済み。現在、ウィーンの街をぐるっと取り巻くように建っている近代的な建物群は、モルダウ川の氾濫時に備えて造られていた塀の跡地に建っており、今なお川を囲って防水提の代わりをしているらしい。

ここからが本番。
自転車で緑色の川のそばのサイクリングロードをせっせと南東に向かって漕ぎ始める。
ぎらぎらに照り返す太陽の下、この川の部分は曲で言ったらまだF#マイナー(短調)のところだなと思い、マイナー調の部分ばかりを口ずさむ。

汗だくになって漕いで行く。だんだん街が消えて郊外になり、そのうち煙突を構えた工場が建ち並び、空港の方向を示すでかでかとした看板が見えてくる。

すでにソプラノパートもアルトパートも男性パートも何度も歌って飽きてしまった私は、中学時代のことをあれこれ思い出し始める。
今思い出すと赤面するような恥ずかしいことばかり。

合唱コンクールは練習で揉めるのが通例で、毎年クラスの誰かしらが泣いて解決するのが大変だったなぁ。
有志の合唱団でコンクールに出たとき、会場前で練習していたら実は館外は練習禁止で先生を困らせた。
自分で前髪切りすぎてパッツンになってたのって一体何度あったかな。
入学したての頃は髪が腰まであって、前庭で遊んでいると2階の窓から「髪結べよ!」と先輩女子に怒鳴られ、「結んでやろうじゃん!」と言い返して結んでたら、実はバスケ部の先輩で冷や汗かいたり。
隣のクラスのちょいワル女子たちが他の子のロッカーに雪だか水だか入れて水浸しにしてるのを偶然見つけて、「小学生でもしないことしてんじゃねぇよ」とぷっつんキレたら逆に恐れられたり。
ホームセンターの中でケイドロしてやろうとか言って、今と同じように自転車こいで10人近くで行って、着いたらへとへと。最後は結局海に行ったんだっけ。
歌詞募集して学年合唱曲とか作ったなぁ。どんな曲だったかな。
親分って言われてたなぁ。今考えるとなんつうゴツイあだ名…。茉莉は元気かな。

あれこれ思い出すうちに、あっという間に1時間。
川と川がぶつかるところに出て、これがモルダウ川の真髄か…!と思う。
頭の中で繰り返していた短調がBマイナーを経て、いよいよG♭メジャー(長調)のクライマックスへと変調した。


CIMG3319%20-%20%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.JPG
♪ボヘミアの河よ モルダウよ 光満ち 我が心にも常に響き 永遠(とわ)の平和を我はゆかん 称えよ故郷(ふるさと)の流れ モルダウ♪



向こう岸まで一体何十、いや何百メートルあるだろう。
広大な河はどこまでも文字通り本当に緑色をしていて、太陽の光を反射しながら悠々とたゆたっている。
ああ、この河のことをずっと歌っていたんだな。中学時代の楽しかった思い出がぱぁっと溢れ出てきた。


街に戻り、黒光りするカールズ教会やペスト流行の後に建てられた大聖堂を見ながら宿に帰り、シャワーを浴び着替えてオペラ座へ。
ウィーンが誇る巨匠の作品を専門に演奏する。モーツァルト交響楽団のコンサートにGO。

今朝ウィーンに着いてすぐ予約したのだけど、ちょっと奮発したからかなりいい席、2階席の中央だ、やったね!
館内の案内係やパンフレット係はみなモーツァルト時代の服装をしていて、ドレスだったりタキシードだったりと華やか。

出てきた演奏者たちも、みな白い縦ロールのカツラを被り、色とりどりのタキシードを着ている。
しかし、演奏は本物だ。レベルがめちゃくちゃ高い。モーツァルトが活躍した18世紀にコンサートは「音楽アカデミー」と呼ばれていたらしく、当時の慣習に従って交響曲や協奏曲の合間にオペラの序曲やアリア、ドュエットなどを交互に入れて演奏していく。歌手たちの衣装も凝っていて面白い。

演奏も去ることながら、彼らのウィットに富んだ観客サービスがなかなか憎い。
例えば指揮者は「剣の舞」のとき観客に手拍子を求め、オーケストラではなく観客の指揮を始めたり、挙句の果てにフェイクを入れてみたり。

帰り際の観客はみなご機嫌。口笛でモーツァルトを吹いたりしている人もいる。
最高の技術と、それがあるからこそ許される気の利いたパフォーマンス。モーツァルトを心行くまで楽しめたひとときだった。




Recovered_1549-.jpgさて、その後。
ランチしていたときに話しかけてきた韓国人がいて、飲みに行こうと誘われていたので待ち合わせ場所へ。韓京冊、ハン・キョンスウくん30歳。ソウル大学を出て兵役も終えてウィーン大学院に留学し、そのままここで仕事をして7年目。いまや英語よりドイツ語の方が堪能。
連れて行ってくれたのは博物館が集まるMuseamsquartierの中庭。屋外バーが開店し、酒を楽しむ人で溢れている。
「昼間は博物館、夜はバーになる有名スポットだよ。地元の人もみんなここへ飲みに来る」らしい。

今日はどこに行ったの、というので、見たものをあれこれ話したら、ドナウ川でよくそんなにサイクリングしたもんだと笑った後、ああ、あの建物はペスト病鎮魂で建てられて高さ○○m、その教会は○○mでヴィエンナで一番高い、とすらすら言う。
また、昼にスロヴェニアに行きたいと話していたことを覚えてくれていて、以前行ったときに使った地図をくれた、そこにも○○mなどと記入してある。はて…?

よくよく聞いてみると、彼の専攻はコンピューター・グラフィック技術での建築設計だとか。今はウィーン大学院で研究者として、教授と一緒に産学連携のような形で企業と協力して仕事をしているらしい。オーストリアだけでなく他国にも彼自身が作った建物があり、ベルリンには彼の名前が付いているビルさえあるという。
建物の高さを覚えていたのは職業病だったのね。
ウィーンって音楽の都とばかり思っていた、と言ったら、ウィーン大学は本当にいい大学で早稲田大学出身の人なども同じ研究室にいるよという。

仕事の話を聞くうち、ああ、この人は天才タイプなんだな、と合点する。謙虚な人なので理解するのに時間がかかったけど、どうやらやっている研究はドイツ企業も巻き込んだ最先端のもので、研究室でも彼が最も将来を嘱望されているようだ。

ヨーロッパ中の建物を観に行っている彼は、
「本当は、いつか古い建物と新しい建物が融合したような、いつまでも人々の記憶に残るような、そんな建物を作りたい」
と言う。

しかしワインが進むうち、
「家族も友人も韓国にいるから本当は帰りたい。今すぐにだって帰りたい。いつ帰ろうかと考えている」
と弱気なことを言う。
そろそろ結婚もしたいし、ゲルマン系の女性は苦手だし相手は絶対韓国人がいいし(私のことは背が高いので始め韓国人だと思ったらしい。よく言われるわーみんな日本人女性は小さいというイメージがあるのね)、将来を考えると不安なんだ、…。

うーん。きっとあなたのやっていることはあなたにしかできないことで、後世にまで残る大仕事になるんじゃない?ここで投げ出すのは惜しいよ。
でもどうしても帰りたいなら休みをとって帰ってみるのもいいかもしれない。そしてリラックスしてもう一度仕事のことを考えてみたらいいんじゃないかな。そうしたら自分の仕事の重要性が改めてよくわかるかもしれないよ。

むーん、無責任なことは言えない。それに母国に帰りたくなる気持ちはよくわかる。私も旅に出て初めて、これまで当たり前に思っていた些細なことに対してすらも、ときどき懐かしい気持ちでいっぱいになるようになった。でも彼には頑張ってほしい。彼の才能があれば、100年経っても200年経っても、私のような旅人が世界中から見に来る建物を創れるかもしれないのだから。




(後日談)
実は、私がサイクリング中に張り切って脳内合唱していた川は、モルダウ川ではなくてドナウ川でした…。
自分の勘違いパワーにトホホ…。勘違いしてこれだけ盛り上がれる自分ってある意味幸せ者かも…ずーん。
お詫びして訂正します。


<今日のグルメ>
ランチは自転車屋のお兄さんがおすすめしてくれた“Gasthaus Weisse Rose”にてオーストリア料理を。キョンスウが写っている写真の下の方を参照してね。
Wiener Schnizel vom Schneir=escalope “Vienna Style”という、ウィーンスタイルの子牛肉のソテー。子牛肉を顔の大きさほど薄く平べったくして揚げてあり、レモンをかけていただく。これがお肉かと思うほど柔らかくて止まらない。Liverdumping soupというレバーのスープも意外とくどくなくてイケた。出ようと思ったら、水だけ飲んで慌しく仕事に戻っていったはずのキョンスーがいつの間にか支払いをしてくれていて感謝。

サイクリングの休憩でモルダウ川沿いにある“Land haus”でおやつ。名物のApfelstrudel mit Schlog、いわゆるアップルパイをクリームをかけていただく。モルダウ川の緑色を眺める木陰のテラス席で、かわいらしく運んできてくれた小さな男の子のウエイター姿が濃厚な味と共に忘れられない。

キョンスーがオススメ~と言って飲ませてくれたのは、“Gruner Weltneiner”.Green Worldという意味のオーストリア産白ワイン。爽やかで酸味がある味、気付いたら二人で3本目空けてた。

【スロヴェニア】 なつやすみ 風アザミ

2007年08月28日

ウィーン西駅から高速列車EC(ユーロシティ)に乗って6時間。
最初はオーストリア人で満員だった1部屋6人席も最後は私1人。窓の外には青々とした森が広がる。
着いたのは、スロヴェニアの首都Ljubljanaリュブリャーナ。

正直に言うと、スロヴェニアはユーゴスラビアから最初に独立した国ということ以外はほとんど知らない。一体どんなとこやろ。

午後2時到着、ここが本当に首都かと驚く。
全てが手の平に乗ってしまいそうな、こじんまりとした街である。
駅の南1キロ四方に全てがあり、一番太い道路(といっても2車線×2)以外は車はほとんど通らず、のんびり歩く人たちと小道が続いている。
駅南すぐに宿をとり、さらに南へ、街の中心の広場に向かうことにする。

まるで秘密の迷路に迷い込んでしまったかのような、レンガ続きの細い道。
人は多くない。信号を待っていたら、横断歩道の向こう側で1人か2人待っているくらいの割合。
真っ青な空の下、丘の上にそびえるリュブリャンスキー城の頭上で旗がはためいているのが見える。
細いリュブリャニカ川を渡ると、野菜と果物の市場。のんびりおしゃべりするおばちゃんたち、ラジオからゆっくり音が流れている。
色彩があふれる。ニンジンやブロッコリーに加えて珍しいのは、柔らかそうな白いパプリカと白いトウガラシ、顔の大きさほどあるずんぐり黒々としたしたナス、大きなユリ根のような茶色い根菜。紫は玉ねぎとピート。

青果マーケットの奥には服の出店も並び、その横のロシア正教徒のカラフルなろうそくの出店を過ぎると、ふいにぱぁっと華やかな匂いに囲まれる。
色とりどりの花たち。何種類もあるユリ、背の高いグラジオラス、バラにカーネーションにガーベラにカラー。

そして川沿いに伸びる白い石柱のアーケードの下でハンドメイドのグッズが並ぶ。
木や皿に細かい絵を描いたおばちゃん、木細工の可愛らしいおもちゃを売っているおじいちゃん、ビンに花の絵を描いて中にアンズや胡桃を漬け込んだ自家製ハチミツを入れているおじちゃん、カラフルでセンスのいいガラス細工でアクセサリーやグラスを売っている若いお兄ちゃんお姉ちゃん。
それが終わるとシルバーアクセサリーの店が並ぶ。木や貝を使った不思議なデザインが多くて、聞いてみたらそれも全て売り子が自分で作ったという。

その脇、小さな橋が3つ続くところにPresenov Trgという街の中心の広場がある。Annuneciation教会とオープンテラスのカフェに囲まれた、25メートルプールほどの大きさしかない小さな広場。車はバスと小さな汽車型トラムしか通らない。面白いことに、広場の真ん中はいつも雨。人工で降らせる雨の下で子どもたちがはしゃいでいる。
広場から先の川沿いには柳が枝垂れ、カフェの白帆のパラソルが続き、のんびり川辺を楽しむ人たちがいる。

広場からたった300メートルくらいのところは、もう郊外。寂れたレンガ作りの家が各々庭に広い畑を持ち、市場で売られていた野菜や花はここで育てられたのね、と納得する。
照りつける夏の太陽と真っ青な空の下、ある家の中から小さくラジオの音が聞こえ、ある塀の前では背高く育ったひまわりたちが頭を垂れ、ある庭にはホースで水を蒔いている上半身裸のおじちゃんがいて、あぁこれは夏休みの原風景だわ、と思う。歩きながら井上陽水の『少年時代』が口をついて出る。麦わら帽子が欲しいな~。

歩いていると驚くほど教会が多くて、地図でざっと数えても30くらいはある。
1つ1つの教会がそれぞれ凝ったつくりになっているのが面白くて、教会を見つける度に中に入る。

広場に臨み、内部はびっくりするほど荘厳で緻密なAnnuneciation教会。中でミサをやっていた。
蔦が絡まるSt.Jacob教会。隣接する中庭から見ると、壁面にナスカの地上絵のような模様が描いてある。
後部がガラス張りなので、入口から見るとちょうどステンドグラスの模様が映ってハッとさせられるSt.Jamez教会。恐らく練習中なのだろう、下手くそなパイプオルガンの音が鳴り響く。

図書館を見つける。黒い石をふんだんに使い、創意を凝らした堂々としたつくり。中でたくさんの学生が勉強していた。

人々はとてもチャーミング。目が合うだけで口角が上がる。道を譲ったりドアを押さえてあげたときにこちらが微笑んでも笑みを返さない人はどこの国にもいたが、ここには滅多にいない。
St.James教会で話したこのスロヴェニア人のおばちゃんに至っては、「良い時間をね」と言ってゆっくり投げキスまでしてくれた。

緑に囲まれた川沿いを広場へと戻る。犬の散歩をする少年、ベビーカーを押すママ、絵を描いているお姉さん、木陰でギターを弾いて楽しそうにふざけあっている若者たちに出会う。
細い小道に入ると、弱く吹いてきた風が肌に気持ちいい。道の真ん中にテーブルを出すカフェが続き、夕食をとろうと席に着く。

陽が落ちてから広場に戻ると人が増えていて、パラソルの下カフェバーでゆっくり酒を飲みながら川辺を楽しむ様子が広がる。淡くライトアップされた教会の下で、懐かしい洋楽メロディラインを奏でるライブが始まり、カフェの各テーブルにろうそくが灯る。
ドリンクに黄色い花を添えて持ってきてくれた金髪ショートヘアのウエイトレスさんは、「くつろいでいってね」と言ってにっこり笑顔を残していった。


何という穏やかな日だっただろう、今日は。
この小さな国では、たった数時間で首都の全てを見ることができてしまう。人口200万人、その8割以上をスロヴェニアンが占める、ほとんど単一民族国家に近いバルカン半島の1国。
ゆったりと流れる夏休みの時間に癒された。


<今日のグルメ>
スロヴェニアのビール“UNION”。あっさりして飲みやすい味わい。名前から、この国がバルカン半島・旧ユーゴスラビアで生きてきた歴史を感じさせる。
オリーブオイルがかけてあるカッテージチーズのサラダは、ピーマンや紫玉ねぎが生のままふんだんに盛り込まれているのに苦いどころかほんのり甘い。あの畑で陽射しをいっぱいに浴びて作られたのかな、と想像。

【クロアチア】 紅白の市松模様とサッカーファンたち

2007年08月29日

バスケLoversでもある『地球の歩き方』編集部の小西姉さんから、
「今大注目している国!」
とオススメされたクロアチア。ユーゴ解体後EU加盟で政局安定傾向、見所もいっぱいらしい。行きまっせ~!!


朝リュブリャーナを出て2時間ちょい、首都Zagrebザグレブ到着。
駅前にはオレンジ・青・ピンク・紫などの色をした古びたトラム(路面電車)がぎゅうぎゅうに人を乗せて走っていく。
そこまで近代的でもないが、人は多い街だ。

駅から北上すると街の中心Trg Jelacicaという広場があるが、そこまでの500mほどの間に大きな公園がなんと4つもある。建物前の広い緑地も含めたら7つ。
そして公園に植えられた木々がでかい!!
最北端のTrg Nicole Subica Zrinjskogの遊歩道の両脇に並ぶ木の幹は、私が2人手をつないだくらいの太さ。
円周が2ワカコ≒3.5mだから、直径1.1mほどもある。


広場を通り抜け、丘の上にあるLotrscak Towerに登って、さらに北に見えるSt Mark’s Churchの屋根を望む。
その屋根には、おそらく昔統治をしていた侯爵あたりに起源を持つのであろうザグレブ地域の紋章が、タイルを市松模様に敷き詰めたような形で色鮮やかに描かれている。赤、緑、ピンク、水色…。この色の使い方、ロシアっぽいな、と思う。
近くのSt Catherine’s Churchの中を見ても、荘厳で黒っぽい色調のまさにロシア正教会である。


親切に道を教えてくれた背の高いクロアチア人男性に、オススメスポットがあったら教えて?と言って聞いたBotanic Gardensという公園。
中に入ると、まるで森の中に迷い込んだよう。
左にいくと、常葉樹独特の深い緑色をした木々の奥にケイトウやマリーゴールドが咲き乱れ、小さな池には橋が掛けられて睡蓮の花が咲き、その影をたくさんのカメが泳いでいく。
反対側はひらけていて、よく手入れされたバラや珍しい花が噴水を中心として咲き誇り、そばにある温室や掛けられたプレートなどから、ああここは植物園的役割もしているのね、と思い至る。
電車とトラムのゴーッという音が聞こえるのが玉にキズだけど。

でもムードは満点、最良の森林浴地だわ。
しばし昼寝。


広場や街には、クロアチア国旗と同じ赤と白の市松模様グッズを売っている店が多い。クロアチアのサッカー選手のユニフォームのあの模様である。たまにユニフォームを着た人も見かける。さらに、赤いハート細工があちこちで見られ、可愛いことこの上ない。昼寝から目覚め、街をぶらぶら歩く。

あちこちに見られるオープンテラスのレストラン。ちょっと奥に入ったTrg Petra Preradovicaという広場で夕食をした8時。近くの屋外カフェバーに人がどんどん集まっている。なんだなんだ?
好奇心に駆られて座ってみると、どうやら白いパラソルの下に掲げたスクリーンにテレビを映している。どうやらサッカーの試合が始まるらしい。みな一様にビールを飲みながら待っている。

始まったのはDinamo 対 Werderというゲーム。みんな固唾を飲んで見守っている。意外なことに女の子が多く、待ち合わせしていたらしい金髪の女の子たちもだんだんと集まって8人ほどになり、私の前に座っている。

あ、ゴール前にいいパス!シュートが…入ったー!!ゴール!!!
その瞬間、湧き上がる拍手!立ち上がってハイタッチ!キス!ハグ!の嵐!
でもそれも一瞬で終わり。すぐにまた静かになって画面を見守る。

だんだん立ち見も増えてきた。観客は合計70人強くらいかな。

そのうち、いいボールが来て…あちゃー外れた~。
その瞬間、みな一様に頭を抱えてOh me Godのポーズをして唸る。
そしてまたすぐに画面に戻る。

…おもろいなぁ。
サッカー好きのクロアチア国民たち、憎めません。


<今日のグルメ>
Trg Jelacica広場で行列ができていたパン屋PAN-PEKでランチを買って公園で食べる。
ひとつはパイ、具は卵とチーズと玉ねぎを塩味で炒めたもの。できたてであったかく、ランチにぴったり。
もうひとつ、5センチ四方のパイ生地で挟まれた高さ15センチほどもある白い長方形はふわっふわに泡立てたメレンゲ。舌触り最高!
ただ、どちらも味濃い目。

オープンテラスのカフェやレストランはあちこちにあり、ディナーはTrg Petra Preradovica広場で。この“Vip”という店は、どうやらバルカン半島に広がるチェーン店らしい。
ザグレブスタイルステーキZagrebacki odrezak。チーズに柔らかい子牛の薄切り肉を幾重にも巻き、衣を着けて揚げてある。レモンを絞ってタルタルソースで戴く…やばいよ、これは!意外にも付け合せのパンがしっとりしていてイケる。
そしてMade inクロアチアのザグレブビールOzujsko。あっさりしているが強いキレがある。スロヴェニア語だけじゃなくクロアチア語でも“Pivo”はビールの意味なのね。

【クロアチア】 アドリア海の真珠

2007年08月30日

もう気分最高――――!!!!

目の前いっぱいに、白い岩に囲まれて広がるアドリア海の青緑色。
思う存分、海を堪能!


すでに夜行列車が宿代わりと化している私は、昨夜サッカー観戦後にZagrebザグレブを発ち、朝7時に港町Splitスプリット到着。
でも目的地はここじゃない。
さらにここから100kunaクナ≒3000円払い、バスに乗って約5時間。アドリア海を右手に見ながら南下して着いたのはDubrovnikドゥブロヴニク。
蝶のような形をしたクロアチアの西側の羽の最南端、“アドリア海の真珠”と呼ばれる街である。


部屋貸しをしている家を見つけてそこにホームステイすることにし、近くの砂浜に直行!
海に突き出た形をしているドゥブロヴニクはどこもかしこもビーチだけど、教えてもらったビーチはホームステイ先から5分ほどのところに隠れ家のように佇んでいて、広さは幅200メートルほど、白い岩に囲まれ白い砂浜を持つどこまでも透き通っていた。

波にはしゃいでいる幼い子どもたち、崖の中腹5~6メートルほどの高さから飛び込みしている中学生くらいの男子女子グループ、悠々と泳いでいくおばあちゃん、日光浴で焼いているお姉さん、パラソルの下で優雅に話している夫婦、岩陰で本を読んでいる女の子など、ビーチのサイズにふさわしいだけの決して多くない人数がそれぞれ海辺を楽しんでいる。
みなヨーロッパ人の顔つきで、着ている色鮮やかな水着が水面に映える。

この旅で初泳ぎだわー!
ここまで活躍の場所がなかった水着を着て、ワクワクして波に入っていく。
最高の波。最高の色。最高の風。
“アドリア海の真珠”の名に違わない、最高の海だった。


泳ぎ疲れてホームステイ先に帰る。
私に家先から声を掛けて130kuna≒3900円というユースホステルと同額の金額で話をまとめてくれた75歳のおばあちゃん、アニーチェが出迎えてくれる。ふくよかな体つきをして眼鏡をかけ、海辺の街によく似合うワンピースを着ている。
息子家族も一緒に住んでおり、アニーチェの孫で私と同い歳の男の子Nikoニコも加わって、家の前でのんびりおしゃべりをする。
ニコは鼻筋がすっと通った顔立ちで、地元の大学で機械工学を勉強しているらしい。人口2万人の街に大学があることに驚いたが、卒業後もドゥブロヴニクで働くと言うのを聞いて微笑ましく思う。

ビーチに行くときにホテルの工事をしているのを見たと言ったら、今この街はリゾート開発が進んでいる真っ最中だという。
二人ともあまり英語が話せず特にアニーチェとは単語だけのやり取りが多くなるが、二人の話すクロアチア語は耳に心地いい。ありがとうという意味のhvala(ハヴァら)の発音を教えてもらうが、これまた難しい。


シャワーを浴びて散歩に行き、夜、部屋に戻ると、なにやらリビングから歓声が聞こえる。
覗いてみると、ニコの家族・父母姉兄ニコが仲良くゲームをしている。
その手元をよく見て思わずびっくり。
クロアチア人が、家族団欒に、プレステ2で、ウイイレしてる!

もう一つの貸し部屋に3人でホームステイしているドイツ人の1人、ポールに
「クロアチア対ドイツで戦ってたよ~」
と言ったら、「なにー!」と敵意むき出し(笑)。
ポールはずっとサッカーをやっていて、ドイツW杯のときはスタジアムでビールを売るバイトをして間近でゲーム観戦、最高だったよ~という。

青い目が綺麗なPaul Bertho、ドイツで生物学を学ぶ大学生。ベルリンからここまで友達3人で高速飛ばして車で来たというから驚いた。1日目は約1200kmを一人4時間ずつ運転してザグレブまで。1泊してからここへ。
今までもバックパッカーにはたくさん会ってきたけれど、車旅は初。
家の外に出て、眼下に広がる真っ黒なアドリア海を見下ろして静かに聞こえる波の音に耳を澄まし、ポールとクロアチアビールを楽しんだ。




次の日、早朝。
「ドゥブロヴニク、グッド。ワンデー、ノーグッド」
と言ってアニーチェが寂しがってはくれたが、今日はもう出発しなければならない。

でもその前に。少し離れた東側にあるOld Townに行ってみた。町はまだひっそりとしている。

ドゥブロブニクは今や観光地として急速に注目を集めつつある。建物だけでなく道さえも艶やかに光る白い石で作られたOld Townの通り、両側に並び開店を待つ店はどうやら観光客向けの土産物屋だったり両替所だったりするようだ。
教会から真っ白な服に真っ白なベールを着けたシスターが出てくる。朝市が始まるのか野菜を並べ出す人たちがいる。そんな地元らしい風景もある中、明らかに観光客向けに作られたカフェも開店を始める。

要塞が開く8時を待ち、登ってみる。そこからOld Port、小さな港を見下ろして溜息をつく。海を挟んだイタリアの影響を受けていると思われる赤い屋根屋根が広がり、その向こうに見えるアドリア海の水面に朝陽が反射する。


昨日散歩にいったとき、気付いたこと。
ドゥブロヴニクのバス停にはなんと名前が無い。町の人はよくバスを利用するが、みなここらへん、という感覚で降りていくのだ。道端のあちこちにあるキオスクもみんな顔見知り。小さな町の習慣。
そしてもうひとつ。町の東側は山になっていて、斜面にはいくつものクレーンがそびえていた。ここがリゾート開発として急速に注目を集めている現状を改めて確認した。

このOld Townも、あと数時間したら近隣のホテルから掃き出される観光客でいっぱいになるのだろう。街の経済に潤いをもたらす観光地化は決して悪いことではない。

でも、バス停に名前が無いような人口2万人のこの町で、美しいアドリア海を愛し、ニコのように地元の大学に行って地元に就職し、祖父母と共に住んで夜は家族で団欒するようなそんな生活は、リゾート開発の余波で壊されることなく、いつまでも続いていってほしい。


<今日のグルメ>
アドリア海の海の幸!!
ドゥブロブニクから発つ前、バスターミナル近くのスーパーにてブランチ代わりにシーフードの惣菜ゲット。
Meso Raksa Kap Rfzと書かれたエビのオリーブオイル漬け。色鮮やかな赤いエビに緑色の豆を入れて、オリーブオイルとレモンをかけているみたい。歯ごたえがなくなるほど柔らかくなったエビがマッチしている。
Srdela Bez Glay Rinfというイワシの塩漬け。これ大失敗やった…。舌が焼けるほどしょっぱくてこの世のものとは思えない味。塩を洗い落として食べるものなのかもしれない。
Salata moluntska Rfzはいろんな魚介のマリネ。ムール貝、一口サイズのタコ、切ったイカなどが入ってビネガーであえてある。アドリア海の味やなぁと味わう。

【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】 内戦の痕

2007年08月31日

ドゥブロヴニクからは列車がないのでまたユーロバスに乗る。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都Sarajevoサライェヴォに着いたのは夜10時過ぎ。
真っ暗な中、宿をどうするかな~と思ってバスを降りると、待ったましたとばかりに地元の人が話しかけてくる。
彼らは長距離バスや電車の到着時間に待ち受けている、恒例の部屋貸しの人々。
1泊いくらでうちに泊まりに来ないか、という声を半ば無視していたら、ジャパニーズウェルカム!と熱心に言ってくる40歳ほどの女性がいた。

背は165センチほど。ひどく痩せていて、あごまでの金髪の髪のてっぺんをピンクの髪ゴムで留め、ピンクのTシャツの上からフリースを着ている。かなり挙動不審で、めちゃくちゃに単語を並べるくせに無理矢理意味を通じさせてしまう不思議な英語を話す。
変わってる。でもこのひと、目が綺麗。
信用してみるか、という気になる。1泊の値段も20KM(コンバーティブル・マルク)≒1400円でぼったくりではない。

一緒にトラムに乗って彼女の家に向かう。名前はJasnaヤスナ。しきりに、寒くないか、荷物は重くないか、かばんの口をしっかり押さえろ、お金には気をつけろ、と繰り返す。どうやら心から心配しているみたい。大丈夫、他に乗客は2~3人しかいないし、貴重品もしっかり持ってるよ。


サラィエヴォの中心、Bascarsija地区の中央を通るMula Baseskije通りから歩いて3分、古びたアパートの1階にヤスナの家はあった。
2部屋と洗面所。広い方の部屋は10畳ほどで、隅にぽつんとガスコンロ。壁際におおきなタンスとソファ、真ん中に大きなダブルベッド。自分はソファで寝るから、そのベッドを使えという。
ヤスナがタンスの傍からウチワを取り出した。そこには、「ありがとうヤスナ。健太郎…」などと日本語で3人ほどの名前が書かれている。よく見ると、ベッド脇にも折鶴やら日本の10円玉やら、ここに泊まっていった日本人からの贈り物がたくさん、大事に並べられている。
「ジャパニーズ、グッド。フェリフェリーグッド。グッドピープル。マイフレンド。」
とヤスナは言う。

どうやらヤスナはここに1人暮らしをしていて、小額ながら部屋貸しをすることで生計を立てているようだ。日本人の旅行者はみな礼儀正しいし優しいから大好きだという。


申し訳ないけど今日はもう遅くて疲れたから晩ごはんを作る気がない、外へ食べに行かないか、というようなことをヤスナが言う。いやいや、作ってもらうなんてとんでもない。行こう行こう。
連れ立って外に出る。ライトアップされた街の中を、流行の格好に身を包んだ沢山の若者が歩いて行く。下北沢みたいな雰囲気。
心配性のヤスナはつないだ私の手を離そうとしない。二人手をつないで、なんだか楽しい気分になって人混みをかきわけて歩く。

通りを渡ったらヤスナが立ち止まった。足元の道路を指差して言う。
「戦争。銃。」
と言う。それを見て私はびっくりした。
道路に銃弾によるものらしき破壊穴が残っている。よく見れば、小ぎれいでおしゃれな店に紛れて、無数の銃痕が空いた壁がある。
これは90年代の内戦の痕!?ここの繁華街ですらまだ残っているの!?

平然としてヤスナは歩いて行く。


突然、道は、背の低い昔ながらの木造りの店が並ぶ通りになる。
すべて、旧市街を利用した土産物屋。車は入らないFerhadijaという通り。これがライトアップされた光の中、えんえんと続いていく。
そこを少し行ったレストランにヤスナは入って行き、そこで遅い晩ごはんを食べることに。

注文を待つ間にあれこれ聞いてみたら、どうやらヤスナはクロアチア系住民で、1992年に両親とドイツに移住し、1997年に一人で戻ってきたらしい。つまり、ユーゴスラビア解体後、クロアチア系カトリック教徒+ボスニア系イスラム教徒 VSセルビア系ギリシア正教徒の内戦が始まったときに国外脱出し、内戦後に戻ってきたということだ。セルビア人についてどう思う、と聞いたら、昔は悪い、今は(自分たちと)同じ、という返事。


私の「Hvalaフヴァアラ=ありがとう」が上手なのに驚くヤスナ。ドブロヴゥニクで練習したからね~。すると私のノートを取り上げて1~30までの数字を不器用に一生懸命書き出した。書き終わると、今からクロアチア語で1度読んでみるから全部覚えろテストするから、という。きゃースパルタやねヤスナ!!

部屋に帰り、ベッドが大きいから一緒に寝ようと言うのを私は疲れているからダメだと断固拒否し、ヤスナは服を脱いで狭いソファに身体を押し込むようにして眠った。


<今日のグルメ>
ヤスナが連れて行ってくれたFerhadijaにあるレストランで、ヤスナがお勧めするcevapciciケバチチ。スポンジ状のナンの中にケバブ、つまり肉が一口サイズにして焼いてあり、玉ねぎと一緒に入っている。サライェヴォでは最初にこれを食べないと、とヤスナは胸を張って薦めてくれた。味は塩味で薄め。ドリンクはプレーン味の飲むヨーグルト。

プロフィール

徳田和嘉子

  • 徳田和嘉子
  • 1983年生まれ。東大法学部卒。
  • 来年春から社会人。その前に夢だった世界一周へ。
  • 「東大生が教える!超暗記術」著者。
  • 尊敬:緒方貞子さん。
  • 趣味:バスケットボール、ベリーダンス、サーフィン、バイク。

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