【エストニア】 アットホームな順応性
2007年08月04日 17:08
サデママの家にホームステイしているのは、イタリア人エド(エドアルド)、アイルランド人アン、私の計3人。
昨夜は初対面5分でエドにクラブに誘われ、「さすがイタリア人、誘いがめちゃ早いな~」と感心しつつノリ良く合意。え?2週連続だって?いやいや今回は受動態ですって(笑)
エドは英語を学びたかったので、物価(つまり学費)が安く古き良きヨーロッパの風情も残るエストニアの大学を選んで留学し、そのままここで社会人になったらしい。サデママと同居して2年。
2ヶ月前にエストニア人の彼女と別れてブロークンハート中、金曜は毎週クラブ通いをしているが、今夜は誰も女友達が捕まらなかったところにタイミング良く私が現れた、幸運だー、ということらしい。さいでっか~。
しかも私が撮った写真が気に入らず、Eメール添付で自分の写真を大量に送ってきた。はいはいはいはい、仰せのままにこちらの写真に致しますデス。はい~エドくんです~。
今日はアンがオープンエアー(野外)博物館に行くと言うので一緒に行くことにした。
アンはアイルランドの大学で化学の研究者をしていて、1年間休みをとって世界一周。私と逆の東回りコースで、ちょうどサデの家で出会ったというわけ。
タリンの中心からシティーツアーバスに乗り込み、インターホンで流れるガイドを聞きながら博物館へ。
ここは農民たちの家を歴史ごとに保存してあり、彼らの生活の変化を垣間見ることができる。
…てか、アン!
私、日本の田舎にいるみたいよ!!
日本農家とのクリソツさに驚いていたら。
…ってここは登呂遺跡か!!
弥生時代と変わらぬ竪穴住居的保存庫が19世紀製?
原始的だよなぁ、ロシアから移民してきたばかりで大変だったのかなぁ
そう思っていたら。
その後の変化が凄まじい。
あっと言う間に江戸時代を乗り越えて明治維新、昭和初期の農村形態へ。
そのスピードに驚いていたら、
「急激なmodernization(現代化)ね」
とアン女史も言う。
帰りのバス内の説明で、エストニアは中世にドイツ荘園の一部となり、その後ロシア、スウェーデン、デンマークの影響を経て、ソ連の支配下になったことを知る。
順応性の高さはその歴史の中で磨かれたものか。
サデ家に戻る。
ここで繰り広げられる会話は凄まじい。
私の英語はJapanese+English=ジャングリッシュどころか、
まぁ通じればいいジャン!グリッシュといえるノリのテキトー英語だが、
それに加えて、アンのアイルランド訛りのクイーンズ・イングリッシュ、エドのイタリア系巻き舌発音(インターネットがインタルラネットに聞こえる)、そしてサデのエストニア的スタッカートが利いたブツ切れ英語で、もはや誰もきちんとした英語ではない。
それでも会話が成立するから面白いもんである。
そして圧巻は、サデママの話せる言語の数!
エストニア語、英語に加えて、ロシア語、フィンランド語、スウェーデン語、スペイン語、ドイツ語の実に7ヶ国語!!
エストニアの学校では、第一言語でエストニア語、第二言語で英語とロシア語、第三言語でドイツ語かフィンランド語かどちらか、を勉強するらしい。
それに加えて、サデママは昔何年か南米で暮らしたことがあり、スペイン語もカバーしている。
私がびっくりした顔をしていたら、
「これはヨーロッパ人のスタンダードよ。みな母国語と英語は話せるし、それ以外にもいくつか話せるという人は多い。似たようなアルファベット文字だと単語の形が似ているものも多いから覚えやすいのよ」
いやいやいやいや。恐れ入りました。
ヨーロッパ人の言語能力の高さにはびっくり。
その中でも特にエストニア人の言語に対する順応性の高さは群を抜いていると思う。
確かにスーパーひとつに行くにしても、全てがエストニア語・英語・ロシア語・ドイツ語の4ヶ国語で表記されてるんだよね。
複雑な歴史と、そこに支配されていた中で言語や文化を柔軟に吸収していった様子が容易に想像される。
サデのお嬢さんはフィンランドでのプロの演奏家をしており、サデ家にも高価なチェンバロがあった。
ピアノの起源となった楽器だ。
私の祖母と母はピアノの先生だ、とサデに言ったら、
「あなたは伝統を受け継がなかったのね」
と言われる。ほんまや!確かにそうや。
触らせてもらう。ハンマーでなくて爪で弦を弾くので、ギターに似た音がする。
サデママが丁寧に説明してくれ、楽譜も見せてくれる。
サンクトペテルブルクで観たオペラの話をしたら、
「それはきっとチャイコフスキーね」
と言っていろいろ教えてくれた。
なんだか包容力のあるサデママが私の第二の母に思えてくる。
ヨーロッパにおけるマイ・マザー。
サデママと話していて、彼女の持つ雰囲気はエストニア全体にも通じるかもなぁと思う。
エストニアは様々な国に侵略されてきた歴史を持つのに、全く悲しげな感じがしない。
むしろ、それらを全て包み込む形で自国自体も変容してきたような印象を受ける。
象徴的なのがスカイプだ。エストニアはインターネットの普及が世界でも驚くほど速かった国で、選挙もインターネット投票、口座振込みも97%がネット経由と言う。その文化が私たちが日常使っているスカイプを生み出した。
昨日見た旧市街と新市街の見事や融合やよりどりの自然の種類の豊富さも、今日見た農村の現代化の速さも、この国の言語や文化の幅の広さも、こんなフレキシブルな国民性があるからこそ維持できるのかもしれない。
エストニアは変化に対する順応性が驚くほど強い。しかし、それは全く主張することなく、静かにしなやかに、まるでサデ家のようにアットホームな雰囲気で進行している感じがする。
本当に強い変化というのはこういうものではないかと思う。
<今日のグルメ>
オープンエアー博物館でアン女史がご馳走してくれたカツレツセット。昔の農民の食事を再現したものらしい。
円形に焼いた豚のひき肉。フォークで触れるとすぐ崩れるほどの柔らかさ。
ポテトとサラダ、ライ麦パンがつく。
アンが手にしているのはりんごで作ったサイダー。



