【オランダ】 鎖国日本の足跡
2007年08月17日 19:20
昨日、現代のオランダの様子は垣間見ることができた。
でも、まだオランダの中にかつての鎖国日本の姿を見出せてなーい。
当時、和蘭(オランダ)から持ち込まれる品々は日本人の目を奪い、和蘭千里眼と言ったらメガネ、和蘭墨はインク、和蘭石竹はカーネーション、和蘭三葉はセロリ、和蘭芹はパセリ、和蘭雉隠しはアスパラガス、和蘭焼は白身魚に卵を使った料理…さすが私、だんだん食べ物ばっかりになってきたわい(笑)。
情報に高値がつき、オランダの知識を持っているものは金持ちになれた時代。
日本はオランダから西洋文明の影響を受けただけ?
江戸幕府はオランダに何も影響を与え返していないの?
朝一番で向かった先はヴァン・ゴッホ美術館。
浮世絵にインスピレーションを受けたゴッホについて知りたかった。
ノルウェーで触れたムンクと真逆で、19世紀に生きたヴィンセント・ヴァン・ゴッホは本当に恵まれなかった画家。
貧困を極め、独学で絵を学び、当時世間にはほとんど認められず、恋に破れ、病に苦しみ、最後には援助をしてくれていた弟テオの足手まといになっているのではと悩んだ挙句自殺…。
オランダでミレーを目標として素朴な農民たちを題材とした後、パリに移り住んで技法の革新を試みる。モデルを雇うお金がなかったため自画像で技法の実験を繰り返し、その数なんと27点。
そしてこのとき浮世絵に出会う。江戸日本から持ち出されていた歌川広重らの浮世絵を集めて模写に没頭。
彼が油彩で一生懸命描いたであろう「振り返り美人図」や「吉原八景」を観て、その後作風の画面構成・色彩・輪郭がくっきりと変化したことに魅入る。
この後、南フランスの田舎アルルに移り住む。絵から、貧しさと絶望感と、絵を描ける喜びが伝わってくる。
そして1枚の絵に釘付けになる。あまり有名ではない絵のため、他の人が素通りして同時代に描いた「ひまわり」へと移動していく中、私はその「Field with flowers near Arles」がすごく気になった。
手前にはアヤメの花。遠くに木々といかにもヨーロッパ風の赤い屋根と白い壁を持つ家々が並び、その間には一面の麦畑のようなものが広がる。
そしてテオに宛てた手紙の文面が添えられていた。
「牧草地いっぱいのキンポウゲ、水路にはアヤメの紫の花と緑の葉。遠くに映える街。グレーの柳が2~3本、そして青い空。テオ、知っているかい?これこそが日本の風景だよ」
ああ。
彼は見たことのない日本の風景をフランスの田舎から懸命に想像して描いたのだ。
浮世絵から始まって、どんなに日本のことを想っていたのだろう。
田んぼも藁葺き屋根も日本のそれとかけ離れた様に描かれたその絵は、でもどこか日本人の私に懐かしさを覚えさせる雰囲気を持っていた。
ゴッホの真摯な姿勢に打たれ、また日本とオランダの文化が確かに相互交流をしていたことを思い、私はおそらくその絵の前に一番長くいた。
その後彼の作品は、独特の色遣いと点・線の見事な融合を見せて終わる。
弟テオを想って自殺。わずか半年後にテオも亡くなる。本当に仲の良かった兄弟の墓は今も並んで葬られている。
<今日のグルメⅠ>
ゴッホ美術館の開館を待つ間、水路を越えながら駅まで散歩。
大航海時代、1633年に港に建てられた見張り塔に起源を持つ由緒正しいVictoria Hotelでちょっとリッチにオランダ式朝食をとることにした。
①Hollandse “Polderbol”
通称「農民ロール」というらしい。メインは肉ではなく何枚もの古チーズ!オランダ名物の丸型をそのまま輪切りにされた巨大なチーズはとても素朴な味がする。
②Etwtensoep
伝統的なエンドウ豆のスープで、さつまいもやじゃがいも、ソーセージをとろっとろになるまで煮込んである。つけ合わせとして黒麦パンにカラシとスモークベーコンを挟んだものがついて、味に飽きさせない。



