【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】 タイトなジーンズにねじ込む戦うバディ
2007年09月01日
肉を食べないヤスナが昨夜買っていたburekビュレックというパンの残りと、サライェヴォ名物と言って淹れてくれたリプトンの苺味の紅茶で一緒に朝ご飯。
小さい方の部屋に泊まっていると聞いていたハンガリーボーイが、もしゃもしゃ頭のおじさんだったのに驚く。
あいにくシャワーは壊れている。一昨日泊まっていったイングリッシュボーイとやらが使っているときに壊れてしまったという。
ヤスナと一緒に家を出て、ガラの悪そうな男たち(ヤスナの知り合いのよう)にからかわれたのにヤスナが喰ってかかるのをなだめて、お金が心配だ銀行に行かなきゃと始終言い続けるヤスナに部屋に戻る時間を何度も確認してから途中で別れ、私はMiljacka川にかかるラテン橋へ。
第一次世界大戦の引き金となったサライェヴォ事件。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺されたのがここにあるラテン橋。
着いてみると、ちょろちょろと流れる橋にかかる拍子抜けするほど小さい橋。
川に沿う狭い道路には古びたトラム(路面電車)を待つ人が何人も立っている。
これが、世界を最悪の戦争に引き込んだきっかけをつくった舞台?
橋は幅2メートルほど、長さ10メートル弱。
一応、橋の反対側には小さな博物館もあり、周りのごみごみした建物に隠れてしまいそうになりながら「1914年」という数字と皇太子夫妻の行進や葬式の写真が道路に向けて貼り出されている。
そう、きっかけは何でもよかったのだ。
こんな小さな橋の上でよかった。刺激を与えればよかった。当時のバルカン半島は火薬庫。
街の中心を歩く。
こんな面白い風景は始めてみた。
ネオゴシック風のカトリック教会、古風なギリシア正教会、1500年代に建てられたイスラム教のモスクが100m四方くらいの1ブロックに同時に存在しているのだ。よく見ると、なんとユダヤ教のシナゴーグまである。
ここは昔から異教徒・異民族が交じり合って住んできた土地だったのだ。
折り合って共存できていた時代もあり、内戦という最悪の形で露呈した時代もあり。
そんな異教混じりあった区域には、同時に、ベネトンを始めとする洋服やCDのチェーン店が立ち並ぶ。
サライェヴォの女の子たちはみなお洒落で、金髪を格好良く伸ばして、その長い足で格好よくスキニージーンズを履きこなしている。
ショップのラインナップを見ても、スキニーが流行中みたい。
そんな決まっている格好をしながら、昼時にはレストランでケバチチの肉を手づかみで食べているのが面白いけど。
戦場になってきたこの場所で、内戦の痕が未だ残るこの街で、颯爽と歩く女の子たち。
#タイトなジーンズにねじ込む 私という戦うバディ
というBoAの歌声が聞こえてくる気がする。
帰る前にちょっと遠出をして、郊外の空港に続く道路脇を歩き、真っ黄色のビルに立ち寄る。
ここはHoliday Inn、内戦時にジャーナリストたちが居城としたホテルだ。周りはひらけた丘になっていて、そこにはセルビア人の暗殺者たちが潜んでいたらしい。ここから報道を続けたジャーナリズムの魂を思う。
夕方ヤスナ宅に帰ると、何を思ったのかヤスナは私に荷物をまとめろという。
半分荷物を持ってくれたヤスナが向かった先は彼女の友達の家。
「プリーズ。日本から友達が5人来るって言って。プリーズ。」
とヤスナが言うので、何がなんだかわからないまま、言うとおりにする。
どうやらその友達は小さなホテルを経営しているようで、ヤスナの家は5人も入れないから部屋を貸してくれと頼んだみたい。本当の思惑は、ヤスナの家はシャワーが壊れているから、二人でその友達の宿にタダで泊まってシャワーを浴びようということらしい、多分ね。どうやら私のパスポートがその証明になったみたい。なんでシャワーが壊れているから貸してくれってそのまま言わないのか不思議なところだったけど、ヤスナはこの作戦に大満足しウインクまでしてみせたので何も言わないでおいた。ヤスナが私にシャワーを浴びさせてあげたいがゆえにそうしているのが何となく伝わった。
夜、ヤスナの仕事にくっついて行くことにした。
長距離バスで着いた乗客に部屋貸しを呼びかけるが全て空振り。
その後は1日に10本ほどしか電車のない駅でお客を待つ。こちらの仕事は、とある宿に迎えの係を依頼されているらしい。同じように予約客を迎えに来ていたLjubicicaという宿の22歳の金髪美女と話して暇を潰す。彼女も例に漏れずスキニージーンズを履いている。
ヤスナが迎えたのはハンガリーから着いたアメリカ人カップル。バックパッカー姿の30歳くらいの二人は新婚旅行で世界一周中という。賢そうな雰囲気の人たちだなーと思っていたら、ギターを持った夫はソフトウェアのセールスマン、ソバージュ頭の妻は弁護士。二人とも転職するつもりで仕事を辞めてきたという。それで世界一周か、素敵やねぇ。
ヤスナがいつもの調子でめちゃくちゃ英語を連発してしきりに二人のお金のことなどを心配するので、弁護士の奥さんスーザンが疑い深い目をしている。ヤスナ、心配しなくでも大丈夫、この人たちは旅のプロフェッショナルだから、と言ってもヤスナはしゃべるのを止めなかったけれど、スーザンの顔はほころんだ。ほっよかった。
その後ヤスナと二人で、なぜかヤスナの家ではなくてヤスナの友達のホテルで、わいわい言いながら眠りについた。
翌朝、サライェヴォ発ベオグラード行のバスは6時発。
ヤスナが朝4時に起こしてくれ、夜明け前の真っ暗な中、バス停までタクシーで送ってくれた。
彼女は挙動不審なところもあるし、ちっとも落ち着いていないし始終おかしな言い回しでしゃべり続けるし、考えていることを理解するのには苦労する。でも、心配性で、不器用で、いつも一生懸命で、単なる部屋貸しに留まらない友情というか愛情をくれた。ヤスナとの出会いは奇妙だったけど、それ以上にあったかいものを感じて、しかもこんなに早起きして見送りに来てくれたことに心から感謝して、いつまでも手を振って別れた。
<今日のグルメ>
街のあちこちで見掛けるBurek。小麦粉を薄く何層にもして焼いた柔らかい油っこい生地を、渦巻きにしたり細長く並べたりしたパン状のもので、いろんな味がある。ヤスナが好きなチーズ味や、スピナッチという味、ポテト味など。手に油がつくがなかなか美味しい。
ケバチチはトルコのケバブが伝わったもので、スポンジ状のナンはどこも一緒だが、肉は一口サイズ、ひとかたまりのサイズなどいろいろあってそれぞれ名前が違う。有名店Zjelo’sでランチ。
壮大なアヤ・ソフィア大聖堂に挨拶したら、まずはシーシャ(水タバコ)バーで積もる話でもしよっかね♪
いやー…何とも形容しがたい摩訶不思議さにしばし圧倒されて言葉が出ず。この頭の傾きは、この衣装は、この回り方は一体どんな意味があるのか。神との一体感に恍惚を覚えているような。瞑想に溺れているような。
さて夜は、Wakakoを迎えに行ったホテルのスタッフの夜遊び誘いに乗ってクラブへ。ボスポラス海峡を一望できるバーで飲んだ後、クラブでダンスナイト。連れてきてくれたトルコ人男性2人をほったらかし、彼らが呆れるほどWakakoと二人で踊りまくりましたとさ。
再会を祝したランチは、王道ケバブ。ケバブは本来鶏肉か羊肉のひき肉を棒状に焼いたもので、最近日本でも見かけるグルグル回る肉の削ぎ落としはケバブではなくシュワルマという。バルカン半島でケバチチと呼ばれていた。柔らかくてスパイシー、間にナスを挟んだものもあり、「世界一美味しい」と言われるトルコのパンによく合う。
本日最初のTo Doはイランのビザ申請。
旧市街の南に宿をとっている私たちが街に出るには、対決するように向かい合うイスラム教の巨大なブルーモスクと、元イスラム教モスクでその後キリスト教大聖堂になったこれまた壮大なアヤソフィアの間の広場を通って北に歩く。ここは宗教がコングロマリットしている。
巨大な物品市場のグランドバザールを覗いてから、ブルーモスクのはずれにある地下宮殿へ。
でも紳士的なトルコ人もいる。ベリーダンスフェスティバルにいらしていた日本人のマヤ先生とWakakoと昨日夕食を食べながらダンス話をしていたら、近くに座っていた初老の男性が事情を聞いて、イスタンブール最大級の“GAR”というホールに「私はここのなじみだから」と言って予約を取ってくれたのだ。さらに今日、迎えの車まで出してくれた。
ステージ真ん前の一番良い席でトルコダンスを堪能。ベリーダンスはもちろん(マヤ先生がおっしゃるには商業用でレベルはそれほどではなかったらしいが)、トルコの地方ダンス、歌、さらに…腹踊り!爆笑。
6品選べて8TurkishLira(トルコリラ)≒640円の店でランチ。野菜サラダ、甘辛く煮込んだ金時豆、ブドウの葉で包んで蒸した米、緑色のスピナッチをチーズ味で絡めたもの、マッシュポテトのトウガラシ風味、ナスとトマトの炒め物、といったトルコ風味。これにふっくらとしたトルコパンがつく。ドリンクは「アイラン」という飲むヨーグルト、混乱しないようにメニューにはYogurt&Waterと併記されている。デザートはライスプディング。ご飯の入ったプリン風味で表面をバーナーで焼いてある。
トルコのパンは病み付きになるけれど、野菜がこれまた素晴らしく美味しい。ただのサラダがとんでもなく高級な食べ物に感じる。昨晩マヤ先生と食べた晩ごはんも、ふんだんに使われた野菜はもちろんのこと、チーズを落としたトマトスープが忘れられないほどの味。Wakako曰く、トルコは日本と違って食料自給率ほぼ100パーセントで新鮮美味らしい。
まずはグランドバザールでお買い物。様々な店を冷やかした後、ムスリム(イスラム教徒)女性がやっている店で私はベリーダンス衣装を調達し、仲良くなったついでにスカーフの巻き方をきちんと教授してもらった。
帰りにキレベホテルに遊びに行く。何百というランプが下がり、トルコ模様の布で埋め尽くされたここのインテリアは絶大な人気を誇り、Wakakoが予約を取ろうとしたら半年後までいっぱいだったという。ご主人はよく来日し、日本通でも有名。突然訪問したのに歓迎してくれ、トルコ名物のチャイをご馳走になって日本話をしながらまったり。
宿のみんなが集まって、まずは私が“Habibi Ya Elni”の曲で踊る。さっき買ったばかりで大慌てで直した衣装だけど、なかなかいい感じ。最初は緊張したけど、音に身を任せて踊るうちにだんだん楽しめるように。踊ってる途中、衣装にチップを挟んでもらっちゃった。
そしてWakako。1週間の集中レッスンを終えたばかりで以前よりさらに動きにキレが出たような!美しか~!!お客さんを立たせて一緒に踊る余裕もさすがやなぁ。
終了後、屋上のバーでみんなで宴会。公認会計士をしている中国系カナダ人ジョシー、ハンガリーで建築の勉強をしているドイツ人へンドリッヒ、桜美林大学の一般教養課程で英語講師をしている日本語ペラペラのアメリカ人マイク、その他フランス人、ポルトガル人、そしてトルコ人たちと国籍豊かにわいわい。最後はメキシコ人の女性小説家アレクサンドラとテキーラ勝負、5杯で引き分け。
ベリー後、オーナーがケバブとライスを作ってご馳走してくれた。ライスが付こうとパンは必ず付いている…笑。トルコ赤ワインで一緒にほろ酔い。その後メキシコ人の女性小説家とテキーラ勝負、5杯で引き分け。
しかし私にもトラブル発生。
道端のどこでも売っているゴマ付きパン。子どもがお盆に載せて売ってきたりする。2個で1トルコリラ≒80円ほど。
朝、トラム(路面電車)でボスポラス海峡に架かるガラタ橋を通って、町全体のモスクの多さに驚きながら新市街方面に行く。
その前に、トルコのスーパースター・ババズーラに会いにGo!この用事もベリーダンスつながり。彼らのバックダンサーとして少し前まで日本人ベリーダンサーがいて、彼女からのお届け物をWakakoが預かって来ていたのだ。
そのトルコ話がむっちゃくちゃ面白い。
めちゃくちゃ大きいパンを発見!人の胴体くらいあり、中は空洞で、ヨーグルトを浸けて食べるのとどんどんいける。
おっいるいる。
この海に面した宮殿は、内部がまたすごかった。巨大なシャンデリアがごろごろあるかと思えば、山水画風の貝細工の装飾がある、といった調子。

ベリーダンスのため私より先にトルコ入りしていたWakakoが、ここのライスプディングが一番おいしい!とオススメした店で。なるほど、外はかりっかり、中はとろっとしていて卵濃厚、今まで食べたのとひと味もふた味も違いまんな!!お気に入りのアップルティーと共に味わいました。
…ここは本当に地球か?

まずは私。初めてスカートでなくパンツにトライ。
Wakakoは一昨日買ったおニューの真っ赤な衣装で。うーんよく似合ってる!!今日は気分上がってるねーWakaちゃん!今まで観た中で一番ノリノリで踊っていたように思うよー!!
ベリーダンスのお代として、かよ姉さんがカッパドキアワインを出してくれた。この地の白い岩肌の隙間には、びっしりとブドウの木が生えている。それで作られたワイン、あっさりしているのに豊穣な味わい。



