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2007年09月 アーカイブ

【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】 タイトなジーンズにねじ込む戦うバディ

2007年09月01日

肉を食べないヤスナが昨夜買っていたburekビュレックというパンの残りと、サライェヴォ名物と言って淹れてくれたリプトンの苺味の紅茶で一緒に朝ご飯。
小さい方の部屋に泊まっていると聞いていたハンガリーボーイが、もしゃもしゃ頭のおじさんだったのに驚く。
あいにくシャワーは壊れている。一昨日泊まっていったイングリッシュボーイとやらが使っているときに壊れてしまったという。

ヤスナと一緒に家を出て、ガラの悪そうな男たち(ヤスナの知り合いのよう)にからかわれたのにヤスナが喰ってかかるのをなだめて、お金が心配だ銀行に行かなきゃと始終言い続けるヤスナに部屋に戻る時間を何度も確認してから途中で別れ、私はMiljacka川にかかるラテン橋へ。


第一次世界大戦の引き金となったサライェヴォ事件。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺されたのがここにあるラテン橋。

着いてみると、ちょろちょろと流れる橋にかかる拍子抜けするほど小さい橋。
川に沿う狭い道路には古びたトラム(路面電車)を待つ人が何人も立っている。
これが、世界を最悪の戦争に引き込んだきっかけをつくった舞台?
橋は幅2メートルほど、長さ10メートル弱。
一応、橋の反対側には小さな博物館もあり、周りのごみごみした建物に隠れてしまいそうになりながら「1914年」という数字と皇太子夫妻の行進や葬式の写真が道路に向けて貼り出されている。

そう、きっかけは何でもよかったのだ。
こんな小さな橋の上でよかった。刺激を与えればよかった。当時のバルカン半島は火薬庫。


街の中心を歩く。
こんな面白い風景は始めてみた。
ネオゴシック風のカトリック教会、古風なギリシア正教会、1500年代に建てられたイスラム教のモスクが100m四方くらいの1ブロックに同時に存在しているのだ。よく見ると、なんとユダヤ教のシナゴーグまである。

ここは昔から異教徒・異民族が交じり合って住んできた土地だったのだ。
折り合って共存できていた時代もあり、内戦という最悪の形で露呈した時代もあり。

そんな異教混じりあった区域には、同時に、ベネトンを始めとする洋服やCDのチェーン店が立ち並ぶ。
サライェヴォの女の子たちはみなお洒落で、金髪を格好良く伸ばして、その長い足で格好よくスキニージーンズを履きこなしている。
ショップのラインナップを見ても、スキニーが流行中みたい。
そんな決まっている格好をしながら、昼時にはレストランでケバチチの肉を手づかみで食べているのが面白いけど。

戦場になってきたこの場所で、内戦の痕が未だ残るこの街で、颯爽と歩く女の子たち。
#タイトなジーンズにねじ込む 私という戦うバディ
というBoAの歌声が聞こえてくる気がする。


帰る前にちょっと遠出をして、郊外の空港に続く道路脇を歩き、真っ黄色のビルに立ち寄る。
ここはHoliday Inn、内戦時にジャーナリストたちが居城としたホテルだ。周りはひらけた丘になっていて、そこにはセルビア人の暗殺者たちが潜んでいたらしい。ここから報道を続けたジャーナリズムの魂を思う。


夕方ヤスナ宅に帰ると、何を思ったのかヤスナは私に荷物をまとめろという。
半分荷物を持ってくれたヤスナが向かった先は彼女の友達の家。
「プリーズ。日本から友達が5人来るって言って。プリーズ。」
とヤスナが言うので、何がなんだかわからないまま、言うとおりにする。

どうやらその友達は小さなホテルを経営しているようで、ヤスナの家は5人も入れないから部屋を貸してくれと頼んだみたい。本当の思惑は、ヤスナの家はシャワーが壊れているから、二人でその友達の宿にタダで泊まってシャワーを浴びようということらしい、多分ね。どうやら私のパスポートがその証明になったみたい。なんでシャワーが壊れているから貸してくれってそのまま言わないのか不思議なところだったけど、ヤスナはこの作戦に大満足しウインクまでしてみせたので何も言わないでおいた。ヤスナが私にシャワーを浴びさせてあげたいがゆえにそうしているのが何となく伝わった。


夜、ヤスナの仕事にくっついて行くことにした。
長距離バスで着いた乗客に部屋貸しを呼びかけるが全て空振り。
その後は1日に10本ほどしか電車のない駅でお客を待つ。こちらの仕事は、とある宿に迎えの係を依頼されているらしい。同じように予約客を迎えに来ていたLjubicicaという宿の22歳の金髪美女と話して暇を潰す。彼女も例に漏れずスキニージーンズを履いている。

ヤスナが迎えたのはハンガリーから着いたアメリカ人カップル。バックパッカー姿の30歳くらいの二人は新婚旅行で世界一周中という。賢そうな雰囲気の人たちだなーと思っていたら、ギターを持った夫はソフトウェアのセールスマン、ソバージュ頭の妻は弁護士。二人とも転職するつもりで仕事を辞めてきたという。それで世界一周か、素敵やねぇ。

ヤスナがいつもの調子でめちゃくちゃ英語を連発してしきりに二人のお金のことなどを心配するので、弁護士の奥さんスーザンが疑い深い目をしている。ヤスナ、心配しなくでも大丈夫、この人たちは旅のプロフェッショナルだから、と言ってもヤスナはしゃべるのを止めなかったけれど、スーザンの顔はほころんだ。ほっよかった。


その後ヤスナと二人で、なぜかヤスナの家ではなくてヤスナの友達のホテルで、わいわい言いながら眠りについた。


翌朝、サライェヴォ発ベオグラード行のバスは6時発。
ヤスナが朝4時に起こしてくれ、夜明け前の真っ暗な中、バス停までタクシーで送ってくれた。

彼女は挙動不審なところもあるし、ちっとも落ち着いていないし始終おかしな言い回しでしゃべり続けるし、考えていることを理解するのには苦労する。でも、心配性で、不器用で、いつも一生懸命で、単なる部屋貸しに留まらない友情というか愛情をくれた。ヤスナとの出会いは奇妙だったけど、それ以上にあったかいものを感じて、しかもこんなに早起きして見送りに来てくれたことに心から感謝して、いつまでも手を振って別れた。


<今日のグルメ>
街のあちこちで見掛けるBurek。小麦粉を薄く何層にもして焼いた柔らかい油っこい生地を、渦巻きにしたり細長く並べたりしたパン状のもので、いろんな味がある。ヤスナが好きなチーズ味や、スピナッチという味、ポテト味など。手に油がつくがなかなか美味しい。
ケバチチはトルコのケバブが伝わったもので、スポンジ状のナンはどこも一緒だが、肉は一口サイズ、ひとかたまりのサイズなどいろいろあってそれぞれ名前が違う。有名店Zjelo’sでランチ。

【セルビア】 2種類のPivoとフォークダンス

2007年09月02日

早朝出発したユーロバスでSerbiaセルビアの首都Belgradeベオグラードに着き、まずは長距離バス乗り場に隣接する駅にて列車の時刻表を確認する。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナまでと違い、ここではロシア語アルファベット、つまりキリル文字での表記になっている。スラブ系や。…ぶっちゃけ全然読めん。行き先わからーん。
大きけれど寂びれたベオグラード駅であれこれ予定を考え、結局ギリシア・テッサロニキ行きの夜行列車に乗ることにして切符を買う。

ホームの外れにある吹きっさらしの荷物預かり所で1個あたり100dinディナール≒160円で荷物を預けたら、出てきた薄い緑色の目をしたガタイのいいおっちゃんが、コーヒーでも飲んでいかないかと言う。
荷物を運び入れるのと同じ穴からヨイショっと中に入って、おっちゃんの淹れてくれたコーヒーを有難く頂く。ラジオや小さな冷蔵庫のある片隅のガスコンロで、金属製の小さな取っ手つき鍋の湯に挽いた豆をそのまま入れて煮立て、小さな小さな金属製のカップに注ぐ。そのどろっとした黒い液体はむちゃくちゃ濃くて、砂糖をたっぷり入れて飲む。最後には溶け残った豆がスプーン1杯ほども残る。

ボスニア&ヘルツェゴヴィナあたりから見るようになったケバブ(ケバチチ)もトルコ起源(もっと後から考えてみるとこの料理はイラン以降中東・アラビア半島にまで及んでいる)だが、後から考えるとこのコーヒーもトルコスタイルの流れを汲んでいた。食べ物の波及は面白い。


おっちゃんはどうやらセルビア人らしい。
あまり英語が得意ではなさそうなので簡単に聞こうと思い、ミロシェビッチの名前を出してみたら顔をしかめた。アルバニア人についてどう思う?と聞いたら、「ノー(何も)。(自分たちと)セイム(同じ)」と明確な答え。


私がここまでで訪れたスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビアにモンテネグロとマケドニアを加えると、1918年に成立したユーゴスラヴィア連邦の構成国になる。
チトーの死後、80年代にミロシェビッチ大統領が“Great Serbia”を掲げてセルビア人優遇政策開始。92年にユーゴが解体し連邦共和国になると自治権を与えられなかったコソボ系アルバニア人が反発、内戦でマケドニアやアルバニア方面にコソボ難民が大量発生した。

6年前にミロシェビッチは逮捕されてその後死去。去年の住民投票でセルビア・モンテネグロはセルビアとモンテネグロに分離することになった。


とまぁ、現代史の授業っぽくなっちゃったけど。複雑なので自分のために簡単におさらい。


ロシア正教会★の流れを汲むオレンジとピンクのレンガを組み合わせた巨大なSveti Marko教会まで歩き、そこから街の北側にあるKalemegdan Citadelの要塞まで歩く。ここはクルト人の時代から残る要塞で、トルコ風呂やイスラム式の墓が残ると共に、ユーゴスラビアの首都だったこの国で内戦時に使われた戦車や大砲を展示した軍事博物館まである。

そしてなーんと!要塞のお堀にあたる部分が、全て屋外バスケットコートになってる! お堀の淵に立って足元を見下ろす。全部で10面近くあるんじゃないかな。子供向けのバスケ教室が開催されてフットワークをしているコートがあれば、シューティングをしているコート、がちんこで5対5をやっているコートもある。そういえばセルビアってバスケ強かったな~。お堀ってこんな使い方できるんやな。コートにペイントされているのはバスケ用品メーカーAND1の広告、お堀の壁にはセルビアチームのポスターがでかでか。


要塞全体の雰囲気は、今や市民の憩いの場、といった感じ。ここに続くKneza Mirkova通りにもたくさんのオープンカフェや出店が並ぶ。

そこの1軒で面白いもの発見!
2種類のPivo(ビール)が売っている。一つはセルビアのビール“Niksiscko”、もう一つはモンテネグロのビール“Telen”。
セルビアでもモンテネグロのビール売ってるのねー!
きっとちょっと前まではユーゴスラビアPivoなんてのがあったんだろうな。
思わず2本買って、要塞からDanube川を見下ろして飲み比べ。


夕陽の中を歩いていたら、川沿いのひらけた芝生の上に50人ほどもおじいちゃん、おばあちゃんが集まっていた。
そのうちアコーディオンと★で陽気な音楽の演奏が始まると、隣の人と手を繋いで大きな輪になり踊りが始まる。

おっフォークダンスか。中学のときの宿泊学習キャンプファイヤー以来やなぁ。どうやら日曜夕方の恒例みたい。

私も仲間に入れてもらって、手を繋いだ左隣の陽気なおじいさんにステップを習い、それを右隣の上品な白髪の老婦人に褒めてもらいながら踊る。

このフォークダンスみたいに、異なる民族がひとつになって共存し続けていられたら、内戦もなかったのに。今もコソボの住民が苦しみ続けることもなかったのに。


<今日のグルメ>
スロヴェニア以降、ビールは全て“Pivo”と表示される。同じ言語起源を持っていることが伺える。今日飲み比べたのはセルビアのビール“Niksiscko”とモンテネグロのビール“Telen”。モンテネグロの方があっさりしてるかな。セルビアの方が煙みたいな苦味がある。もちろんburekも売っている。
夕食に食べたのはpljeskavicaというスパイシーなハンバーガー。肉の種類も野菜などの具も辛さも自分で指示できるファーストフード。ケバブが進化したような感じで、辛い香辛料が加わってきたところに東へ来たなぁという気がする。

【ギリシア】 アレクサンドロス大王呼称争い

2007年09月03日

夜行列車でベオグラードを出て、ギリシア南東の町Thessalonikiテッサロニキへ。
夜中2時に叩き起こされてセルビア出国手続き、しばらくしてマケドニア入国手続き。マケドニアはユーロトレイン加盟国ではないのでユーレイルパスで下車できないが、通過手続きは有り。出国や入国では、パスポート回収、荷物チェック、出入国カード提出、質問、返却などを1回1回行うので、その度に起こされる。

現在、マケドニアの正式名称はFormer Yugoslav Republic of Macedonia、略してF.Y.R.O.M.、「元ユーゴスラビア共和国のマケドニア地方」という意味。
ナーンデナーンデナンデ?なーんでそのまま“Macedonia”じゃないの?

この国名は対ギリシア政策。ユーゴ解体で、マケドニアがMacedoniaという国名にしようとしたら、ギリシアが文句をつけたのだ。「マケドニアはギリシアの地方名だ!勝手に取るな!」
紀元前300年頃、アレクサンドロス大王によってマケドニアは大帝国となり、ギリシアを手中に収めて東方文化と融合させたヘレニズム文化を生んだ。
アレクサンドロス大王はいわば英雄。当時のマケドニアという呼称を巡ってこの国は1歩も譲らず、マケドニアはF.Y.R.O.M.という名を採用してMacedoniaをキープしたというわけだ。

寝付く度に起こされて、眠い目をこすりながら、F.Y.R.O.M.に上る朝陽を眺める。


到着後、エーゲ海を右手に見ながら、ギリシアにおけるマケドニア地方代表格の町・テッサロニキの海岸沿いを歩く。
残念ながらテッサロニキのエーゲ海は港になっていて、ムードといった類のものはほとんどない。突き刺すような陽射しを発光している青空がせめてもの救い。海に張り出した15世紀建立のWhite Towerは全く白くない茶色いレンガ造りの塔だが、街のランドマークに相応しく堂々とそびえ立っている。


工業ちっくな海に飽きた私は海沿いから通りを1、2本内陸方面に入ってみることにした。
こっちはなかなか面白い。マンションが立ち並ぶ街だが、その合間合間にロシア正教会やらカトリック教会やらアルメニア福音教会やらローマ帝国の遺跡やらがわんさか。ギリシア正教会の教会が多いのも、元ビザンツ帝国の首都Salonicaサロニカらしい。古代からギリシアが地中海地方征服の要地であった性格がよく反映されている町だ。


せっかく海まで来たし魚食べたいな~と魚専門レストランへ。おすすめの白身魚をチョイス。
店のギリシア人マネージャー・パパロッティPaparetroyは以前世界一周旅行をして来日したらしく、「東京、千葉、横浜、四日市、大阪、境、九州に行ったよ。懐かしいなぁ」と言いながら食前酒ラクをサービスしてくれた。
別のテーブルで食べていたマントジョイスMantjouisも話に加わってきた。ワイン製造会社の経営者で奥さんが福島出身の日本人らしい。ワイン作りを学ぶためフランスに滞在していたとき、画家である奥さんと出合ったらしい。彼が作っているワインをご馳走してくれた。わざわざ取りに戻ってくれて、作りたてでまだラベルも貼られていないワインを3人で乾杯★!
あれーパパロッティ仕事中じゃないの?(笑)
まさかギリシア人と日本のローカル話を肴にして飲むことになるとはねー!


 朝まで飲み明かそうぜ~と二人に、残念だけどと別れを惜しみつつ店を出る。

そろそろ行かないと。
 普通はここから南のアテネに行くのだろうけど、東が私を呼んでいる。
さあ行こう。
私を待っている人がいる。


<今日のグルメ>
 海辺の魚レストラン。エーゲ海で獲れたて、鯛の仲間の白身を頂く。オリーブとバジリコで外側かりっと焼いてあり、中はふっくら。サイズ大だったけど、ぺろっと平らげた。
パパロッティが出してくれた食前酒。ブドウから作られるラクという強い酒。水で割ると白く濁る。
マントジョイスが作っているワイン。ラベルなし。少し酸味がある赤、3人であっという間に空っぽに。お仕事中のパパロッティが一番飲んでたわ(笑)

【トルコ】 ダブル和嘉子

2007年09月04日

私がヨーロッパを超高速移動してまでも会いたかった相手。大嶽和嘉子。

珍しいこの名前を同じように持つ同い年に、大げさに言えば私は運命を感じちゃっている。

彼女は一言で言えば“魔性の女”。
女の私でさえフェロモンを感じて仕方ない。もしも私が男なら、一度は彼女のような女に振り回されたいと願うに違いない。

彼女は学生でありベリーダンサーでもある。
出会ったのはほんの7ヶ月前、FRIのイベントを通じて。ちょうど私が東大ベリーダンスサークルの愉快な友人たちに誘われて、ハヤティ先生に習い始めた時期だった。
サークルで6月に開いたベリーダンスイベントには特別ゲストとしても参加してくれ、忘れられない思い出になっている。


ダブル和嘉子は面白いほど正反対である。
私が左脳系の女なら、彼女は右脳系の女である。
私がよく言われる長女タイプなら、彼女は永遠の妹タイプである。
私が言葉を紡いで自分を表す人間なら、彼女は身体を動かして自己表現する人間である。
私がまず会話を楽しんで相手と交流し、心を許した瞬間に感情を見せる女なら、彼女は感情と感情を緩急つけてキャッチボールし、ふとした一瞬に鋭い見解を放つ女である。

お互い全く違うので、刺激を感じずにはいられない。


Wakakoは昨日までの1週間、イスタンブールで開かれていた「ベリーダンスフェスティバル」という世界級ワークショップに参加していて、今日からしばらくフリー。
到着したSirkaci駅からダッシュで彼女のいるホテルに行って待ち伏せし、ちょうど彼女がロビーに入ってきたところに背後から「ハァイ、my sweeeeeeeeeeet Wakako!」と呼んだら飛びついてきた。


Wakako、トルコで会えて本当に最高よ!

CIMG5169-.jpg壮大なアヤ・ソフィア大聖堂に挨拶したら、まずはシーシャ(水タバコ)バーで積もる話でもしよっかね♪












最初に話すのはラブと相場が決まっている。
ワカコダンナ探しの報告をして、Wakako日本のラブ現状を話す。

それから、9月はワカコとWakakoの真ん中バースデイ。てわけでプレゼント交換。
私からはスロヴェニア産の揃いの赤いネックレス。
Wakakoからは、本庄兄さん小渕兄さんと一緒に「旅に必要不可欠なものは…!」と頭を絞ってくれたという、
『人志松本のすべらない話』全4回分
『ビリーズ・ブート・キャンプ』全コース
他お笑い系DVD。
…さすが!わかってまんなぁ。確かに笑いがないとあきまへん!あざっす!
しっかしビリー全巻って(笑)…ちと食べ過ぎ気味なんもお見通しかい。ガンバリマスワ。


昨日までのベリーダンスワークショップはハードながらも相当面白かったらしく、1日7時間×1週間も踊り、さらにベリーダンスの歴史や分析を学ぶ授業もあったという。
 ベリーダンスは中東が起源で、女性たちによる豊穣や繁栄を祝う踊りとして始まった。地域によってそれぞれ異なる特徴を持つが、現在は大きく分けてトルコ系とエジプト系がある。
トルコ系は創造性がより自由なのに比べ、エジプト系は伝統的な型を重視する。最近はロシア人女性が出稼ぎに来て安い給料で踊るという現象が各地でよく見られるが、トルコではそれが公然化しているのに比べ、エジプトではそれを問題視して国内ダンサーに免許を発行、エジプト人しか踊れない体制をとっている。さらにエジプトでは、ここは露出していいとかこういう動きは禁止とか、規制も厳しい上にころころ変わる。
そのエジプトでアメリカ人にして免許を取得した凄腕ダンサーがナイル川流域のダンス特性の研究結果を講義してくれたり、世界各地のベリーの踊り方を比較する映像を鑑賞したり、と知的刺激も満載だった、とWakakoは詳細に話してくれた。


んじゃー今日は二人でダンス三昧といくかー!
まずはスーフィーダンス鑑賞へ。会場はなんとSircaki駅の一室。駅舎内にステンドグラスで装飾されたステージがあるとはね…!

スーフィーとはイスラム教神秘主義者の意。スーフ(羊毛)の衣装をまとって踊って神への祈りを捧げる面白いイスラム教一派だ。
CIMG5186-.jpgいやー…何とも形容しがたい摩訶不思議さにしばし圧倒されて言葉が出ず。この頭の傾きは、この衣装は、この回り方は一体どんな意味があるのか。神との一体感に恍惚を覚えているような。瞑想に溺れているような。








CIMG5199-.jpgさて夜は、Wakakoを迎えに行ったホテルのスタッフの夜遊び誘いに乗ってクラブへ。ボスポラス海峡を一望できるバーで飲んだ後、クラブでダンスナイト。連れてきてくれたトルコ人男性2人をほったらかし、彼らが呆れるほどWakakoと二人で踊りまくりましたとさ。








<今日のグルメ>
CIMG5168-.jpg再会を祝したランチは、王道ケバブ。ケバブは本来鶏肉か羊肉のひき肉を棒状に焼いたもので、最近日本でも見かけるグルグル回る肉の削ぎ落としはケバブではなくシュワルマという。バルカン半島でケバチチと呼ばれていた。柔らかくてスパイシー、間にナスを挟んだものもあり、「世界一美味しい」と言われるトルコのパンによく合う。

【トルコ】 イスタンブールの男たち

2007年09月05日

CIMG5204-.jpg 本日最初のTo Doはイランのビザ申請。
 適当な布を調達し、長袖を着て写真屋へ。イラン入国には女性はスカーフ必須、肌の露出も厳禁。光沢のある水泳帽のようなキャップに髪の毛を押し込み、街を歩いているイスラム教徒のトルコ人女性を真似て巻いてみる。うっわーマヌケ…。
 出来上がったスカーフ写真を持って、スカーフのままイラン大使館へ。ここからが山場。
ビザがいつ出るのか、さらには出るのか出ないのかも大使館スタッフのご機嫌によって全てが決まる。許可してもらえなかったとか、2週間待たされたなんて話はざらに聞く。
 
 初めて見るペルシア文字を横目にしながら、窓口のイラン人男性の詳細な質問に答えていく。どうして入国したいのか、知り合いはいるか、その連絡先は、その知り合いとはいつどこでどうやって出会ったのか、滞在先の住所は。こういうときは相手の目を見ながら、少し高めの声トーンで、一言一言をゆっくり丁寧に答えていくに限る。
建前上、知り合いに会いに行く、ということにしたので、あらかじめ調べておいた適当なイラン人名、適当な住所、“女性の”友達がいる、などと答える。
 
順調にいったが、最後の質問に行き詰る。
「なぜそんなおかしな格好で来たんだ。お前はイスラム教徒なのか?」
 うっわー意地悪な質問ー!イスラム教徒じゃない外国人女性にも全てスカーフ着用を義務付けているくせにー!

 そこへWakakoが助け舟。
「彼女はイスラム教徒に誠意を示したかったのです。」
これで空気が一変。にっこり笑って「ジャパニーズガール気に入ったよ。明日来い。」だって。まさか翌日発行してくれるとは!



CIMG5329-.jpg 旧市街の南に宿をとっている私たちが街に出るには、対決するように向かい合うイスラム教の巨大なブルーモスクと、元イスラム教モスクでその後キリスト教大聖堂になったこれまた壮大なアヤソフィアの間の広場を通って北に歩く。ここは宗教がコングロマリットしている。 

CIMG5217-.jpg 巨大な物品市場のグランドバザールを覗いてから、ブルーモスクのはずれにある地下宮殿へ。
 貯水場として使われていたここは、魚が泳ぐ水の合間をライトに照らされた柱が立ち並ぶ幻想的な空間。奥には、メデューサの姉妹の頭部がひっくり返され、封印の意味で柱の下敷きにされている…ぎょえー。






 トルコは噂どおりナンパが絶えない。特にアジア系女性に対してはなおさら。街を歩くと「ニィハオ?アニョハセヨ?コンニチハ?」と10m毎に声がかかる。アジア系が似たような感じに見えるのはわかるけど、なんつーテキトーなあてずっぽう…。こんにちは~などと挨拶を返そうものなら、「ジャパニーズガールズ アー ビューティフル! どうしてきみはそんなに美しいんだい?」と畳みかけてくる。これが街のあちこちで繰り広げられる光景。

 昨日も、Wakakoいますかー?とホテルのフロントに聞いただけで携帯番号が書かれた紙を渡され(仕事中ちゃうんかい)、クラブの紙ナプキンで作ってくれたバラの中にはメールアドレスが書いてあり、シーシャバーでまったりしていたらひっきりなしに誰かしら話しかけにやってきた。
 店で買い物して値段交渉しようものなら、「きみにだけ特別に割引してあげる。ついでに僕のガールフレンドにならない?日本にボーイフレンドがいたって構わない。僕の目を見て。キミの人生を変えてみせる。」
 
 あーハイハイ。イスタンブールでは日本人の女の子旅行者もちらほら見かけるが、みんなさらっと無視している。そうだよねー相手してたらきりがない。

 ただ、みな英語が堪能なのにはびっくり。聞いてみたら、「トルコ語は難しいからね~英語なんて簡単。」との返事。日本語も難しい言語だけど、ここまで英語は普及してないなぁ。ヨーロッパとアジアの架け橋であるこの国は訪問者も多いし、日常でよく英語を使うみたいね。そして主にナンパに使っているみたいね…。


CIMG5223-.jpg でも紳士的なトルコ人もいる。ベリーダンスフェスティバルにいらしていた日本人のマヤ先生とWakakoと昨日夕食を食べながらダンス話をしていたら、近くに座っていた初老の男性が事情を聞いて、イスタンブール最大級の“GAR”というホールに「私はここのなじみだから」と言って予約を取ってくれたのだ。さらに今日、迎えの車まで出してくれた。


CIMG5224-.jpgCIMG5228-.jpg ステージ真ん前の一番良い席でトルコダンスを堪能。ベリーダンスはもちろん(マヤ先生がおっしゃるには商業用でレベルはそれほどではなかったらしいが)、トルコの地方ダンス、歌、さらに…腹踊り!爆笑。

 一緒に楽しんだおじさまは、元ホテルの経営者だったらしい。確かにお金持ちで高級な雰囲気が漂っている。でも、あくまで私たちのダンス鑑賞のサポート役に徹し、送り迎えをしてくれたり居心地がいいように店員にさりげなくいろいろとオーダーしてくれたりしても、全く恩着せがましくしなかったところにWakakoと私はしびれてました。
テュシュケイディドゥン(ありがとう)、おじさま。



<今日のグルメ>
CIMG5207-.jpg 6品選べて8TurkishLira(トルコリラ)≒640円の店でランチ。野菜サラダ、甘辛く煮込んだ金時豆、ブドウの葉で包んで蒸した米、緑色のスピナッチをチーズ味で絡めたもの、マッシュポテトのトウガラシ風味、ナスとトマトの炒め物、といったトルコ風味。これにふっくらとしたトルコパンがつく。ドリンクは「アイラン」という飲むヨーグルト、混乱しないようにメニューにはYogurt&Waterと併記されている。デザートはライスプディング。ご飯の入ったプリン風味で表面をバーナーで焼いてある。

CIMG5191-.jpg トルコのパンは病み付きになるけれど、野菜がこれまた素晴らしく美味しい。ただのサラダがとんでもなく高級な食べ物に感じる。昨晩マヤ先生と食べた晩ごはんも、ふんだんに使われた野菜はもちろんのこと、チーズを落としたトマトスープが忘れられないほどの味。Wakako曰く、トルコは日本と違って食料自給率ほぼ100パーセントで新鮮美味らしい。

【トルコ】 ベリーダンスで宿代稼ぎ

2007年09月06日

CIMG5232-.jpg まずはグランドバザールでお買い物。様々な店を冷やかした後、ムスリム(イスラム教徒)女性がやっている店で私はベリーダンス衣装を調達し、仲良くなったついでにスカーフの巻き方をきちんと教授してもらった。
 
 これがまた簡単なように見えて難しいの。髪をおダンゴにまとめて水泳帽に入れ込んだら、上からスカーフをかぶり、顎の下で交差させてその部分をマチ針で止める。スカーフの両端は後頭部で結び、上から結び目を隠すように余った部分を被せる。このとき両方のこめかみ部分の布がナナメに襞(ひだ)を形作っていることが重要で、ここにもマチ針をつけて調整する。
 
 ムスリムトルコ人の女の子たちがマチ針でスカーフを止めているのは気付いていて、頭に針なんて怖いな~と思っていた。でもコツを掴めば簡単らしい。
さらに、家柄によって少しずつ巻き方が違うらしい。お嬢様巻き、とか。日本にもあるよー神戸嬢巻きとか名古屋嬢巻きとか!最近はどうやらシルク地の水玉模様スカーフが流行っているようで、街のあちこちで見かける。

CIMG5235-.jpg 帰りにキレベホテルに遊びに行く。何百というランプが下がり、トルコ模様の布で埋め尽くされたここのインテリアは絶大な人気を誇り、Wakakoが予約を取ろうとしたら半年後までいっぱいだったという。ご主人はよく来日し、日本通でも有名。突然訪問したのに歓迎してくれ、トルコ名物のチャイをご馳走になって日本話をしながらまったり。




トルコ人は、一日一体何杯飲んでるの?ってくらいにみんなチャイ、すなわち紅茶が大好き。取手のついていない小さなガラスのカップにアッツアツのチャイを淹れ、小さな受け皿に角砂糖を最低二つはつけて出す。みんなびっくりするくらい甘―くして飲む。いろんなところで飲まないか?と声が掛かり、アクセサリー屋ですら店で飲んでいきなよーってな感じである。


そしてトルコ人は男女問わずベリーダンス大好き。ベリーダンスの話をするとすこぶるウケがよく、携帯電話を取り出して音楽機能でアラビックミュージックをかけ始め、さぁ一緒に!と踊り始める。

そんな中、私たちが泊まるSultanahmetスルタナフメットにあるBahausバハウス・ゲストハウスのオーナーから、ベリーダンスのイベントをやってくれないかとの本格オファー。引き換えに宿代タダ、夕食もタダときた。よっしゃ乗った!

さーて準備準備。二人で選曲して衣装合わせ。といっても、アマチュアの私はほんの前座、ベテランWakakoがメイン。でも踊れるだけで嬉しいし光栄やー!

 
CIMG5242-.jpg 宿のみんなが集まって、まずは私が“Habibi Ya Elni”の曲で踊る。さっき買ったばかりで大慌てで直した衣装だけど、なかなかいい感じ。最初は緊張したけど、音に身を任せて踊るうちにだんだん楽しめるように。踊ってる途中、衣装にチップを挟んでもらっちゃった。








CIMG5251-.jpgそしてWakako。1週間の集中レッスンを終えたばかりで以前よりさらに動きにキレが出たような!美しか~!!お客さんを立たせて一緒に踊る余裕もさすがやなぁ。







 
宿代食事代にチップも合わせると結構な稼ぎになりました。

芸は身を助く!


CIMG5262-.jpg終了後、屋上のバーでみんなで宴会。公認会計士をしている中国系カナダ人ジョシー、ハンガリーで建築の勉強をしているドイツ人へンドリッヒ、桜美林大学の一般教養課程で英語講師をしている日本語ペラペラのアメリカ人マイク、その他フランス人、ポルトガル人、そしてトルコ人たちと国籍豊かにわいわい。最後はメキシコ人の女性小説家アレクサンドラとテキーラ勝負、5杯で引き分け。


<今日のグルメ>
CIMG5222-.jpg ベリー後、オーナーがケバブとライスを作ってご馳走してくれた。ライスが付こうとパンは必ず付いている…笑。トルコ赤ワインで一緒にほろ酔い。その後メキシコ人の女性小説家とテキーラ勝負、5杯で引き分け。

【トルコ】 おしり注射オーマイガッ

2007年09月07日

 朝、Wakakoが倒れた。
 
 どうやらベリーダンスフェスティバルの疲れが溜まっていたらしい。昨日夜遅くまで屋上で飲んだときの寒さが拍車をかけて、熱と吐き気で起き上がれなくなってしまった。
 
…心配だよう。近くのレストランに行って事情を話し、冷やしたフルーツの盛り合わせとレモン、ライスプディングを注文して特別デリバリーしてもらう。
 
Wakaちゃん、お疲れ様。今日はゆっくりお休みにしよう。


CIMG5271-.jpg しかし私にもトラブル発生。
 実はギリシアに移動したあたりから腕にぷつぷつ湿疹が出始めていたのだけど、それがどんどん悪化して広がり、今日の夕方にはもう最高潮、とうとう両手足とお腹周りが半魚人のように膨れ上がった。じんましんかな~そのうち消えるだろう~くらいに思っていた私はひどく慌てた。もう痒くて痒くて仕方がない。


不思議なことにトルコ人は、「あ、そいつ友達だよ。あいつも友達だし。」てな具合でどこかしらみんな繋がっている。

そんな関係で宿のオーナーのところにはよく友達がふらっと訪ねてきてチャイを飲んで行くが、今日ちょうどトルコ人薬剤師がやってきた。ついでなので肌を見てもらったところ、

「食中毒の腫れ方に似ている。急いで病院に行きなさい。」
というので、急遽オーナーにタクシーを呼んでもらって病院へ。
旅行で初病院や~!

具合の悪いWakakoが、心配だから一緒に行くと言い張ってくれたが、とても動ける体調ではない。Wakaちゃんありがとう。大丈夫だよ。ちょっくら行ってくるね~。


…大丈夫じゃなかった。
時間外診療の当直医に「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」と英語で怒られ、4日もかけてゆっくり進行してるなら食中毒の症状ではない、原因不明との診断。とりあえず血液検査。

呼ばれてやってきたナースさんに「ハイ腕出して~」的なことをトルコ語で言われて大人しく従っていたら、次に「ハイうつ伏せになって~」的なことを言う。

あれ?今もう採血したよね?

と思っていたら、パンツを脱がされ、おしりからも採血。


ぎゃー!!不意打ちはあかんやろー!!


涙目の私はそのまま車椅子に乗せられ、入院用のデラックスな個室に移動させられてベッドに寝かせられた。

いやはや、こんなにオオゴトになるとは。医者とナースのあの慌て様にこの腫れ物に触るような丁重な扱い。いや、実際に症状は腫れ物なんだけどさ。
もしかして私重病人?
ちょっと不安になって分析結果を待つこと1時間。

結果、血液に異常なし。今日は帰ってよし。明日の皮膚科に予約を取ったから再度来るように。


ダブル和嘉子、揃ってダウン。


<今日のグルメ>
CIMG5354-.jpg 道端のどこでも売っているゴマ付きパン。子どもがお盆に載せて売ってきたりする。2個で1トルコリラ≒80円ほど。










CIMG5284-.jpg 


夜、肌が痒くて眠れず、夜担当の宿スタッフがピスタチオをくれて、二人でぽりぽり食べて朝まで起きていた。
私がNight Owl(フクロウ、夜更かしする人)と名付けたこのトルコ人は毎晩受付に座っていて、オーナーが飲んだくれたときは昼も受付にいなければならないという過酷な使命を負っている。いつも表情を変えず淡々とブラックジョークを言う。
「ピスタチオ割るのって意外と面白いねぇ」と言ったら、「マイハニー、きみの頭も割ってあげようかー」。もうぐだぐだ。

【トルコ】 病院とババズーラとベリー人脈

2007年09月08日

CIMG5286-.jpg 朝、トラム(路面電車)でボスポラス海峡に架かるガラタ橋を通って、町全体のモスクの多さに驚きながら新市街方面に行く。
タクシム広場からタクシーに乗り換えて再度病院へ。










迎えてくれた皮膚科の女性担当医は、優雅なマダム。問診と念入りな触診でおっしゃったのは、

「これは恐らくインセクト(虫)ね」


虫…!


恐らく蚊の一種で、刺されたのは右太ももの一番大きな患部。そこからゆっくりゆっくり毒が回って表部に出てきたのだろう、と。


虫かよーーー!!!



心当たりは…そういえば、オーストリアでモルダウ川サイクリングしたとき、暑かったから短いパンツ履いてて、一部草むらに入ったなぁ…。


あのときかーーーーーー!!


かゆみ止めを飲み、朝晩2種類の薬を混ぜて全身に塗りなさい、肌を必ず清潔にして日光に当てず安静に、一週間後にもう一度見せてね、とのこと。


ありがとうございましたー。

それにしても、ここの医者はみな聡明やなぁ。ナンパじゃないトルコ人に会えてよかったなぁ。



心配して待っていたWakakoに報告。安心した彼女曰く、

「ワカちゃん…治るかわからなくて落ち込むっていうより、すごいめんどくさいって思ってるでしょう?」

あ、さすがWakaちゃん、わかった?

「うん。移動するのとか保険とかめんどくさいんでしょう?」

ピンポーン。すっごくめんどくさい…。
でも女だから肌は死守しないとねー。MUSTでケアしますー。






 私は原因判明して元気回復したし、Wakakoも休んで体調回復したしで、予定消化にお出かけ。
 ベリーダンスフェスティバルの主催者タイアーに連れられて衣装屋へ。

ベリーダンス衣装の最高峰はベラ、その次に有名なGulseren Camciがグランドバザールの中にある。様々な意匠を凝らした衣装の山!
 
高いものでは十万円以上もする中から、Wakakoは赤の衣装を選んで買うことに。フラメンコ風のデザインを取り入れたそれはめっちゃ似合ってる!やっぱりそこらへんに売っているのと全然違うね。
私もいつかこんな衣装が買えたらいいなぁとうっとり。


 ここの女性デザイナーは凄腕として有名、創意工夫もすごく気が利いている。どんな風にインスピレーションを得るのですか、と聞いたら、全て私の頭の中でどんどんイメージが広がっていくのよ、と言ってウインクした。以前日本のテレビ番組で取り上げられたことがあり、そのとき知り合いになった日本人女性を紹介してくれて、今夜彼女とも早速お会いすることに。
 
 ベリーダンスをきっかけに話が面白い方向へ進んで行く。




CIMG5298-.jpg その前に、トルコのスーパースター・ババズーラに会いにGo!この用事もベリーダンスつながり。彼らのバックダンサーとして少し前まで日本人ベリーダンサーがいて、彼女からのお届け物をWakakoが預かって来ていたのだ。
 
Levent Ahmanとその奥さんにお会いしてお茶を頂く。ライブの来日予定などを拝聴。サインもらっちゃったー!

 こんなスーパースターがこんなところに!?とびっくりするくらいイスタンブールに溶け込んでいた彼らと街角でまったり。






 さて、夜。
 Gulserenの紹介でお会いしたのは、作家の加瀬由美子さん。子育てを終えてからトルコに移り住んで12年、今やテレビでも雑誌でもトルコを取材したかったらまずはこの人に相談しろ、という人脈の持ち主でもある。
 
CIMG5305-.jpgそのトルコ話がむっちゃくちゃ面白い。

トルコが好きで好きで、勉強を始めるのは何歳になってからでも遅くはない、とトルコ語を習うところから始め、トルコ人と交流するうち、いつの間にか自宅がレストランになっていた。が、隣家の出した火事で全焼。

その後も騙されたりさんざんな目にあったりしながらも様々なトルコ人に助けられ、苦労しながら日本とトルコの架け橋的な役割を果たして今に至る。

このときの戦いの話が『犬と三日月 イスタンブールの7年』(新宿書房)にまとめられて出版されている。



苦労していたときは、自分は砥石になったんだと思っていた。いつか良いことがやってくると信じていた。生活のためを思ったら稼がないといけないけれど、自分のことだけ考えて得たお金は身に付かない。自分が動くことで、日本の関係者はもちろん、トルコのホテルやレストランや一生懸命働いている人が報われるでしょう、という言葉が印象的。


今最大のテーマは、コンヤ県の県庁に頼まれた仕事で、メブラーナという詩人が残した作品のうち、メスネヴィーという二行連句の日本語訳を完成させることだという。アフガニスタンに生まれたメブラーナは、子どものとき父親に連れられてトルコに来てスーフィー(イスラム教神秘主義)の英雄となった聖人である。


彼の残した言葉がまた良い。


「君はありのままの自分を見せなさい。
 あるいは
 見せた通りの人間になりなさい。」


膨大な量(なんと26000句!)だから余生を全部捧げることになるだろうけどね、と加瀬さんは笑うが、ぜひとも完成させてくださるのを願っています。




<今日のグルメ>
CIMG5295-.jpg めちゃくちゃ大きいパンを発見!人の胴体くらいあり、中は空洞で、ヨーグルトを浸けて食べるのとどんどんいける。
 オーダーした棒状のサンドイッチと食べたのはレンティル(レンズ豆)のスープ。レモンを落として頂く…ヘルシーな味!

【トルコ】 イケメンチェーック!

2007年09月09日

「ワカい子は得ダ、のトクダワカコですーよろしくー」


というのは、覚えてもらいやすいように私がよく使う自己紹介。もちろん、

「あと5年ほどしたら、ワカい頃(コろ)は得ダった、にしますー」と付け加えるのも忘れない。


そうしたら、


「棚か(タナカ)らボタもち、ひでえなぁ(ヒデオ)」


と乗ってくださったナイスな方がいらした。
日本トルコ協会監事の田中英雄さんである。

第一法規の社長でもある田中さんには、六法や法学問題集を頂いたりと大変お世話になっている。
と言っても、出会いは、カントリーミュージックのライブバーに紹介されて行ったとき、飛び入り参加で演奏してらしたのが田中さんだった、という不思議なご縁。実に多才なお方である。




トルコ入りしたとき田中さんにメールをしたら、オススメスポットの返信をくださった。

グランド・バザール、エジプシャン・バザール等について、「現在の市民の息吹が感ぜられ、雑然の中に秩序があり、しぶといエネルギーにあふれたところが個人的に好みです。」という表現。さすがやなぁ。


そして!
その中の注目すべき1文が、

「そうそう、軍事博物館の交代式の演奏も有名ですが、ドルマバフチェ宮殿のイケメン衛兵交代式もなかなかグーですヨ。」


…これは見に行くしかありませんね!!

というわけで、Wakakoとドルマバフチェ宮殿へ。


CIMG5353-.jpgおっいるいる。

イケメン、か!?





CIMG5336-.jpg

うーん、正直、目深に被った帽子でわからず…。残念!!

でも、鼻が高いところを見ると、なかなか整った顔立ちのよう。




CIMG5345-.jpgこの海に面した宮殿は、内部がまたすごかった。巨大なシャンデリアがごろごろあるかと思えば、山水画風の貝細工の装飾がある、といった調子。

さすが、栄華を極めたオスマン帝国。
旧市街にあるトプカプ宮殿が「不便だから」という理由で新たに建てたというこの宮殿、ヨーロッパとアジアの文化を融合させた贅沢の極み。










それから今日は、毎日眺めていたくせに入ったことのなかったイスタンブール王道中の王道、ブルー・モスクにもGO。

CIMG5312-.jpg

この街にはイスラム教のモスクが山とあり、お祈りの時間になるとスピーカーからアザーン(祈りの声)が流れること1日5回。

トップの大きさを誇るブルー・モスクは、普通はミナレット(尖塔)が4本なのに比べ、なぜか6本もある。Wakako曰く、黄金のモスクを造れと命令された建築家が、本当に間違えたのか予算節約の故意か、トルコ語で「黄金」という単語によく似た「6」本という命令としてで設計したらしい。結局、6はトルコで縁起のいい数字だったので事なきを得たようだけど。ほんまやったらすごい“とんち”やな。

CIMG5321-.jpg
内部がまたすごい。スカーフ着用で入ったそこは、タイルに描かれた繊細なブルーの装飾が全面に広がり、なるほど内部が青く見える。














…Wakakoと旅していて面白いのは、感じ方が全く違うところだ。

右脳系のWakakoは、その日の気分で予定を決める。今日は私の提案で結構忙しく回ったが、ドルマバフチェ宮殿、ブルー・モスク、さらにその横にあるスルタンたちの墓、と3つも観光名所に行った事実に感動していた。やろうと思えば詰め込めるもんだねぇと言う。

一方、左脳系の私ワカコは、ハイペースの旅行をするため1日1国も辞さないくらいで、歩きながら次の予定を考えるのが癖になっている。
でもこれまでWakakoと一緒にいて、なんとなーくで行き先を決めるのもなかなかいいもんだなぁと思い始めた。


衝撃の受け止め方も私たちは異なる。

例えばブルーモスクなどの究極に美しいものを観たとき。Wakakoは、胸がハッとして一瞬息が出来なくなるが、次の瞬間にはもう普通の自分に戻っている、という。でもそれは感動が去ったのではなく、自分の一部として取り込みが完了し、そこにいるのが心地いいなという状態に変化した、ということらしい。

一方、私ワカコは、胸がハッとすると、同時にそれを表現する言葉が頭の中に溢れてくる。今ブログを書くことがこれに拍車をかけていて、旅で感動したことは同時並行でここに書くのと同じ文章となって止め処なく脳の中を流れていくのである。
何かを見るときも感じるときも、右脳から左脳にダイレクトでパスが来て、意識しなくても文体が構成される。ちなみに文字にするときは、それを捕まえておいて文字化する、という感じ。


こんなにも違う私たち。その分、異なる悩みが発生する。

Wakakoは、なぜ自分がそう感じたのかという分析をもっとできるようになれば次に生かせるのに、と言う。
ワカコは、もっと感性に浸ることができるようになれば、アドレナリンが分泌され過ぎてたまにどうしようもなくショートしてしまうことが無くなるのに、と思っている。

Wakakoのことを私が尊敬するのは、自分の課題を克服するため努力をしているところ。彼女はずっと前から毎日欠かさず日記をつけている。どんなに何もなかった日でも、書かないことがない日はない、と言う。
一方の私はというと。何をしていても常に何かしら分析してしまう私は、特に大学時代かな、いろんなことに手を出して自分を解放する場所を探してきた。




お互い、自分の欠点は痛いほどわかっている。そして、自分の持っていない部分を持つ相手に憧れている。ワカコはWakakoの感性をこの上なく魅力的に思うし、Wakakoはワカコの分析の仕方を知りたいと言う。Wakakoと会ったこの数日、今まで以上にお互いへの質問が止まらない。


二人で過ごすトルコもいよいよ後半、今夜は夜行バスでカッパドキアへと移動。



<今日のグルメ>
CIMG5333-.jpg ベリーダンスのため私より先にトルコ入りしていたWakakoが、ここのライスプディングが一番おいしい!とオススメした店で。なるほど、外はかりっかり、中はとろっとしていて卵濃厚、今まで食べたのとひと味もふた味も違いまんな!!お気に入りのアップルティーと共に味わいました。

【トルコ】 スターウォーズ・ワールド

2007年09月10日

CIMG5380-.jpg

 「フゥ~~ジコちゃーん!!準備はいいかい?」
 「オッケーよ、ルパァン」

峰不二子、もといWakakoのノリのいい返事に気を良くして、ルパン3世、レンタルバイクのキーを回す。







 
早朝夜行バスで到着した、トルコ中部のCappadociaカッパドキア。
Nevsehirネブシェヒル地方の中心部Goremeギョレメに降り立った我ら。

車がほとんどいない坂道を、るんるん気分でアクセル全開、登って行くと…。


CIMG5439-.jpg…ここは本当に地球か?
なんだか別の惑星に来ちゃったみたい。

白い砂岩がまったりとうねるように広がり、ところどころに突起した部分には、人が住む家として使われているのであろう洞窟や、肥料にするためハトの糞を集める穴が影を落としている。
それが、見渡す限りどこまでもどこまでも続いて行く。




ここがスターウォーズ映画のロケ地として使われたのも頷ける。この浮世離れした雰囲気は、まさに異世界と呼ぶにふさわしい。


CIMG5383-.jpgCIMG5387-.jpg
Uchisarウチヒサルまで行って城に登ってみる。城と言っても白砂岩の山をところどころ加工して作られた、まるで巨大な…そう、巨大なメレンゲのよう。


どこまでもどこまでも、まったりとした色合いのホイップの岩が柔らかく続いて行く。全く攻撃性を感じない。気持ちの良くなったWakakoは深呼吸して体操を始め、私は瞑想に入った。


なんて優しい地なんだろう。
全身から力が抜ける。
自分自身がここの空気にどんどん溶け込んでいく。
 
Wakakoと顔を見合わせ、思わず二人でふふふっと笑った。
 






さーて、本日もベリーダンスで稼ぎまっせー!
 
 私たちが泊まったのはトラベラーズ・ケーブ・ペンション。なんと部屋は砂岩の洞窟の中にある!そこでお手伝いをしている日本人、かよ姉さんの依頼で、今夜もベリーダンスナイト。
 
 本日のプログラム、ワカコは清純イメージで、Wakakoは情熱イメージでいきまっせ~。

CIMG5411-.jpgまずは私。初めてスカートでなくパンツにトライ。
と言っても、実はめっちゃ大変やった。モスキート病(勝手に名づけた)のせいで手足の皮膚が荒れていたため、足はパンツでうまく誤魔化し、終始ベールで踊ることに。でも、隠しながらも何とかこなせましたぜ。ふぅ。
踊り終わった気分は最高。楽しくって仕方ない!










CIMG5421-.jpgWakakoは一昨日買ったおニューの真っ赤な衣装で。うーんよく似合ってる!!今日は気分上がってるねーWakaちゃん!今まで観た中で一番ノリノリで踊っていたように思うよー!!






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かよ姉さんを頼ってやってくる日本人も多いこの宿。少しは日本人にベリーダンスを知ってもらうきっかけになったかな。






<今日のグルメ>
CIMG5433-.jpg ベリーダンスのお代として、かよ姉さんがカッパドキアワインを出してくれた。この地の白い岩肌の隙間には、びっしりとブドウの木が生えている。それで作られたワイン、あっさりしているのに豊穣な味わい。
 カメラを向けたら恥ずかしがって顔を隠しちゃったかよ姉さん。ごちそうさまです!






CIMG5360-.jpg
CIMG5361-.jpg 












ランチは、ギョレメのオトガル(バスステーション)裏にあるツボケバブの店。素焼きの壷を金づちで割ると、中からアッツアツのケバブがドローッと出てくる!トルコの新鮮なトマトと羊肉を壷ごと火に入れて煮込んだ美味しさ、たまりませーん!

プロフィール

徳田和嘉子

  • 徳田和嘉子
  • 1983年生まれ。東大法学部卒。
  • 来年春から社会人。その前に夢だった世界一周へ。
  • 「東大生が教える!超暗記術」著者。
  • 尊敬:緒方貞子さん。
  • 趣味:バスケットボール、ベリーダンス、サーフィン、バイク。

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