【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】 タイトなジーンズにねじ込む戦うバディ
2007年09月01日 00:35
肉を食べないヤスナが昨夜買っていたburekビュレックというパンの残りと、サライェヴォ名物と言って淹れてくれたリプトンの苺味の紅茶で一緒に朝ご飯。
小さい方の部屋に泊まっていると聞いていたハンガリーボーイが、もしゃもしゃ頭のおじさんだったのに驚く。
あいにくシャワーは壊れている。一昨日泊まっていったイングリッシュボーイとやらが使っているときに壊れてしまったという。
ヤスナと一緒に家を出て、ガラの悪そうな男たち(ヤスナの知り合いのよう)にからかわれたのにヤスナが喰ってかかるのをなだめて、お金が心配だ銀行に行かなきゃと始終言い続けるヤスナに部屋に戻る時間を何度も確認してから途中で別れ、私はMiljacka川にかかるラテン橋へ。
第一次世界大戦の引き金となったサライェヴォ事件。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺されたのがここにあるラテン橋。
着いてみると、ちょろちょろと流れる橋にかかる拍子抜けするほど小さい橋。
川に沿う狭い道路には古びたトラム(路面電車)を待つ人が何人も立っている。
これが、世界を最悪の戦争に引き込んだきっかけをつくった舞台?
橋は幅2メートルほど、長さ10メートル弱。
一応、橋の反対側には小さな博物館もあり、周りのごみごみした建物に隠れてしまいそうになりながら「1914年」という数字と皇太子夫妻の行進や葬式の写真が道路に向けて貼り出されている。
そう、きっかけは何でもよかったのだ。
こんな小さな橋の上でよかった。刺激を与えればよかった。当時のバルカン半島は火薬庫。
街の中心を歩く。
こんな面白い風景は始めてみた。
ネオゴシック風のカトリック教会、古風なギリシア正教会、1500年代に建てられたイスラム教のモスクが100m四方くらいの1ブロックに同時に存在しているのだ。よく見ると、なんとユダヤ教のシナゴーグまである。
ここは昔から異教徒・異民族が交じり合って住んできた土地だったのだ。
折り合って共存できていた時代もあり、内戦という最悪の形で露呈した時代もあり。
そんな異教混じりあった区域には、同時に、ベネトンを始めとする洋服やCDのチェーン店が立ち並ぶ。
サライェヴォの女の子たちはみなお洒落で、金髪を格好良く伸ばして、その長い足で格好よくスキニージーンズを履きこなしている。
ショップのラインナップを見ても、スキニーが流行中みたい。
そんな決まっている格好をしながら、昼時にはレストランでケバチチの肉を手づかみで食べているのが面白いけど。
戦場になってきたこの場所で、内戦の痕が未だ残るこの街で、颯爽と歩く女の子たち。
#タイトなジーンズにねじ込む 私という戦うバディ
というBoAの歌声が聞こえてくる気がする。
帰る前にちょっと遠出をして、郊外の空港に続く道路脇を歩き、真っ黄色のビルに立ち寄る。
ここはHoliday Inn、内戦時にジャーナリストたちが居城としたホテルだ。周りはひらけた丘になっていて、そこにはセルビア人の暗殺者たちが潜んでいたらしい。ここから報道を続けたジャーナリズムの魂を思う。
夕方ヤスナ宅に帰ると、何を思ったのかヤスナは私に荷物をまとめろという。
半分荷物を持ってくれたヤスナが向かった先は彼女の友達の家。
「プリーズ。日本から友達が5人来るって言って。プリーズ。」
とヤスナが言うので、何がなんだかわからないまま、言うとおりにする。
どうやらその友達は小さなホテルを経営しているようで、ヤスナの家は5人も入れないから部屋を貸してくれと頼んだみたい。本当の思惑は、ヤスナの家はシャワーが壊れているから、二人でその友達の宿にタダで泊まってシャワーを浴びようということらしい、多分ね。どうやら私のパスポートがその証明になったみたい。なんでシャワーが壊れているから貸してくれってそのまま言わないのか不思議なところだったけど、ヤスナはこの作戦に大満足しウインクまでしてみせたので何も言わないでおいた。ヤスナが私にシャワーを浴びさせてあげたいがゆえにそうしているのが何となく伝わった。
夜、ヤスナの仕事にくっついて行くことにした。
長距離バスで着いた乗客に部屋貸しを呼びかけるが全て空振り。
その後は1日に10本ほどしか電車のない駅でお客を待つ。こちらの仕事は、とある宿に迎えの係を依頼されているらしい。同じように予約客を迎えに来ていたLjubicicaという宿の22歳の金髪美女と話して暇を潰す。彼女も例に漏れずスキニージーンズを履いている。
ヤスナが迎えたのはハンガリーから着いたアメリカ人カップル。バックパッカー姿の30歳くらいの二人は新婚旅行で世界一周中という。賢そうな雰囲気の人たちだなーと思っていたら、ギターを持った夫はソフトウェアのセールスマン、ソバージュ頭の妻は弁護士。二人とも転職するつもりで仕事を辞めてきたという。それで世界一周か、素敵やねぇ。
ヤスナがいつもの調子でめちゃくちゃ英語を連発してしきりに二人のお金のことなどを心配するので、弁護士の奥さんスーザンが疑い深い目をしている。ヤスナ、心配しなくでも大丈夫、この人たちは旅のプロフェッショナルだから、と言ってもヤスナはしゃべるのを止めなかったけれど、スーザンの顔はほころんだ。ほっよかった。
その後ヤスナと二人で、なぜかヤスナの家ではなくてヤスナの友達のホテルで、わいわい言いながら眠りについた。
翌朝、サライェヴォ発ベオグラード行のバスは6時発。
ヤスナが朝4時に起こしてくれ、夜明け前の真っ暗な中、バス停までタクシーで送ってくれた。
彼女は挙動不審なところもあるし、ちっとも落ち着いていないし始終おかしな言い回しでしゃべり続けるし、考えていることを理解するのには苦労する。でも、心配性で、不器用で、いつも一生懸命で、単なる部屋貸しに留まらない友情というか愛情をくれた。ヤスナとの出会いは奇妙だったけど、それ以上にあったかいものを感じて、しかもこんなに早起きして見送りに来てくれたことに心から感謝して、いつまでも手を振って別れた。
<今日のグルメ>
街のあちこちで見掛けるBurek。小麦粉を薄く何層にもして焼いた柔らかい油っこい生地を、渦巻きにしたり細長く並べたりしたパン状のもので、いろんな味がある。ヤスナが好きなチーズ味や、スピナッチという味、ポテト味など。手に油がつくがなかなか美味しい。
ケバチチはトルコのケバブが伝わったもので、スポンジ状のナンはどこも一緒だが、肉は一口サイズ、ひとかたまりのサイズなどいろいろあってそれぞれ名前が違う。有名店Zjelo’sでランチ。



