アフリカ縦断報告vol.7
2008年02月13日
【南アフリカ共和国】
悩んだ末、ジンバブエから南ア・ヨハネスブルグまでは空路を使うことにした。
ヨハネスブルグは世界で最も危険な街。
途中で会った旅行者みなに、滞在しないことを勧められた。
隣国のボツワナ人ですら、友達が新婚旅行で行ったら死体になって帰ってきた、やめておけ、と言う。
睡眠薬のことが頭にあったので、バス入国の危険を回避して、飛行機で入って空港からタクシーで宿まで向かうことにした。
到着して最初にツッコミ。
「…欧米か!」
ヨハネスは北京やモスクワ並みにでかい。その空港から宿までの郊外の街並みが、まるで北欧のような趣なのよ。植木までも手入れが行き届いていて欧米系の白人がジョギングしてる。中古車じゃない新車の渋滞、アフリカ入ってから始めて見た。
ポスト・アパルトヘイト(人種隔離政策)の南アって一体?
アパルトヘイト記念館へ行く。
アジア人の私は「白人用」入場口ではなく、「カラー人・黒人用」入場口の方へ割り振られた。
ほんの15年前にまで、平然とこういった差別が行われていたことが信じられない。
黒人を管理するために、100を超える法律がオランダ人の手によって作られた。
条文で、オランダ人に取り入った中国人3人が「名誉白人」になった。
黒人に味方した欧米人が「黒人」になった。
「法律」の意味を、法思想や法学を学ぶことの意味を思った。
ヘクター・ピーターソン追悼記念館へ行く。
「アパルトヘイトはおかしい!」
「アフリカーンス語(Afrikaan、オランダ語を元にした言語)じゃなくて、自分たちの言葉で勉強がしたい!」
と言ってデモをした学生・生徒たちに警官が発砲し、犠牲になった13歳の少年の追悼記念館である。
子どもたちを啓蒙し立ち上がらせた、「教育」の力を思う。
一番の危険地帯と言われるSOWETOという街に、ガイド(ラッキーという地元民)着きツアーで行ってみた。
South West Townの略であるSOWETOは、南アで金が見つかってオランダ人が入植した際、奴隷やメイドや工場労働力としての黒人を全て入居させた街。
ここには白人は一人もいない。

そしてびっくらこいたことに、超高級住宅が並んでいる。
訪問して話を聞いたのは、病院経営をする老婦人・イザベル。
黒人を診る病院がなかった時に献身的に介護をし始め、その後政府から援助を受けるようになり、今では立派なビジネスに成長したという。そして今や豪邸が建つまでに。


一方、ぼろぼろの掘っ立て小屋が広がる地区が、なんと高級住宅の隣に広がっている。
訪問したボトツの家は、自分たちでベニヤや捨てられていたものを集めてきて建てたようだ。
自分の街は好き?と聞いたら、「嫌いさ。…この状況だもの。」

危険を承知で、1時間だけヨハネスブルグの中心街を歩いてみた。
もちろん手ぶら。行き帰りのタクシー代だけ持つ。
犯罪が頻発する駅とバスターミナルの周辺。
遠くから見ると、超高層ビルがばんばん建ち並ぶ。
が、その下では路上で物を売る人が果物や生活用品といった商品を広げているギャップ。
ビルの下にも、白人、それから黒人ビジネスマンは歩いていない。
みなベンツや通勤。
チャンスを掴んだ黒人は、白人同様の処遇になっていく。
アパルトヘイトは、白人による黒人差別の歴史だった。
ポスト・アパルトヘイトは、黒人同士の所得差別を生んでいるみたいだと思った。
そしてケープタウンへ。
またもや、思いっきり
「…欧米か!」
ツッコミ。(タカアンドトシさん、拙著の紹介ありがとうございました。)
本気でヨーロッパかいなと思った。
ヨハネスと違い、中心部から西欧風の建物や教会が建ち並ぶ。
石畳の上、オープンカフェでのんびりくつろぐ白人が多い。
黒人の警官(警備員や警官や道路掃除は黒人しかいない)は馬に乗ってるし。
喜望峰までバイク飛ばす。
海辺で野生のダチョウがエサをついばむ。なんちゅうコントラスト。
土の上にペンギンが群生していた。
インド洋と太平洋の境目。
アフリカ最南端の海はソーダ色をしていた。
これにてアフリカ縦断終了。
<抜粋グルメ>
アフリカのなのに路上に屋台がないことにびっくり。ファーストフードとオッサレーなレストラン。
レストランで南アフリカ風ピザなるものを発見。カレー味のミートパイにバナナとジャムがトッピング、不思議な味覚。
<日記タイトル>
1月
22日 ポストアパルトヘイトの現在
同日 世界で1番危険な街
23日 …欧米か!
24日 やっぱり差異は存在する
25日 「だからここでW杯ができるのよ」
26日 アメイジングジャパン
27日 先達に学ぶ
28日 喜望峰ソーダ色の境目
29日 テーブルクロスは洗濯中
30日 グッバイ、アフリカ!!



