アフリカ縦断報告Vol.1

  • 2007年12月25日(火)
  • 15:39

現在、エチオピア にいます。

アフリカ南下縦断敢行中!ざっと経過報告。


まずお礼です。
アフリカ入りしてすぐ、拙著の第10版増刷が決まったとの連絡がありました。
日本の状況を知らなかったので驚きました。累計15万部(+韓国版)とのことです。
お手にとって下さった方々、日頃お世話になっている方々に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
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さて。

【エジプト】
紅海の街ダハブで1ヶ月ダイビング留学。
カイロでエジプシャン式ベリーダンス(トルコのはオリエンタル式)堪能。
ナイル川沿いを古王国→新王国時代と遡って遺跡を辿る。

予定は押してはいるものの、ここまでは想定の範囲内。

そしてここからが想定の範囲外…。

*******


【スーダン】
陸路入国不可、オンリー水路。
アスワンハイダムでナイル川を堰き止めて造られたナセル湖から、週1便のみのおんぼろフェリーに乗り込む。
時速たったの20キロ、距離300Kmを所要時間18時間。

ま、しょうがない。
ジル(金属製のカスタネット)片手に、ヌビア人たちとるんるんベリーダンスを踊っていたら。

しょうがない、どころじゃなかった。
そうなのよ。南下してるのにナーンデ朝日が右から昇るかなぁと思ってはいたのよ。


船長以下航海士3人酔い潰れ、針路を逆走。
あれ?イスラム教って酒禁止よね?(笑)
定員500名フェリー、路頭に迷う。
さらに深夜、寒さのせいか甲板で1人死亡…。

+9時間で計27時間。待ち時間含めて37時間…。
それでも、イスラエルで出入国スタンプを回避していた甲斐あって、入国拒否されることなく無事入国。

到着したワディハルファ村、宿に床はなくドアは鍵もない。
スーダン人はめっちゃ親切。女性はめっちゃオシャレ。
そこからバスに乗り、砂漠をぶっ飛ばして首都へと向かう。

もちろん道なんかない、むっちゃ悪路。
1950年製のバスは、エンストして止まっては運転手が修理してまた走り出す、の繰り返し。


しかし。

とうとう運転手でも直せない破損が。
見渡す限りの砂漠のど真ん中で、6時間立ち往生。

一緒にスーダン入りした私ワカ、モンゴル人トゥメ、日本人コーヘイの朝食トリオ(ヌビア人の発音で"water","tomato","coffe"のように聞こえる)は途方に暮れる。

…あぁ、おかげで女度上がったわ。あたし、待てる女になれた(笑)

一方、気長なスーダン人は誰も慌てない。

「インシ・アッラー」(アッラーの神の御心のままに)
と言って、じりじりと直射日光に照らされながら、メッカに向かってお祈りを始める。

つられて私も
「ラーイラハイッラッラー・ムハンマドゥンラスゥドゥッラー」(偉大なるアッラーは唯一神、預言者はムハンマド)
などと、ムスリム修行時代に覚えた祈りの言葉をのんびり呟く。

そしてそのまま夜。

満天の星空。月光は砂上に影を作るほど明るい。
でもね。砂漠地帯の夜はめっぽう冷える…おぉ寒い…。

そこへ。

静寂を切り裂いて、ドゴォーッッという爆音が辺りに響き渡る。

……銀河鉄道だ!!!
カンパネルラーーーーーー!!!!!


砂に隠れてわからなかったが、実は200mほど離れたところに線路があったらしい。
やってきたおんぼろ貨物列車に拾われて、真っ暗な貨物車の中、どこへ行くともわからないまま揺られていく。

そのうち途中の村に臨時停車。電球が1つしかない集落は深夜にも関わらずご飯を出して出迎えてくれた。
そこで修理されたバスが来るのを待ち、翌日16時にやっと首都ハルツーム着。


驚くとはこういうこと。

ハルツーム、普通に「都会」。

整備された道路、お洒落な店に高層ビルも建つ。
なんじゃこの地方との落差は!

その後仲良くなった地元大手建築会社マテリアルステストのゼネラルマネージャー・サラヘルディン氏によると、高層ビルは中国、リビア、マレーシアなどの石油会社のもの。

この国は、石油利権を外国資本に売ることで成立している。

スーダン服を着用して犠牲祭を祝い、断食月から始まったイスラム教国巡りもとうとうこれにて終了。

**************

【エチオピア】

独特のキリスト教、エチオピア正教の国。
丸1日バスに揺られた後、スーダン西部のガラバート泊。翌朝歩いて国境を渡ると…。

これが驚いた。
村中にがんがん流れるエチオピア正教の聖歌、昭和初期の日本の流行歌そっくり。
北部の村々は子どもたちが走り回り、折れ曲がった木製の電柱や砂埃の立つ通りや掘っ立て小屋や焚き火が、映画「Always3丁目の夕日」の世界そのまま。
いや、舞台を東京ではなく地方の田舎にした感じ。

昭和日本がここにある。


一方、色彩感覚は突出している。
チベットの色彩とフィンランドの色彩(共にブログ記事有)の中間くらいのところに、羊毛フォークロアのセンスを混ぜ込み、そしてきっと、まだ見ぬ南米山岳地帯のポンチョを巻いた感じ。

ほとんどの村人が極貧だが、そこに存在する色は至宝。

エチオピアは日の出の6時を0時とする、オリジナルの時刻呼称を持つ。例えば、学校が始まるのは2時。
日の出後は「寝るもの」と決まっている。
だから夜行バスなんていう感覚はない。夕方着く途中の村で泊まり、日の出と共に起き出してバスに乗り込む。


そしてデジュン村で。
地元ギャル娘たちと片言のアムハラ語でキャアキャアおしゃべりしていたら。
突如、鏡の前に拉致られ、4人がかりで私の髪をいじり始めること30分。

おかげで今じゃこーんな髪型になってます。


……誰????

仲良くなった不良少年ガウィッチと共に2日かけて首都アディス・アベバ到着。
今頃日本じゃクリスマス。
エチオピア正教のクリスマスは1月7日。残念…。
24日夜はクラブ行って自己流イブ祝い(笑)でもアフリカンミュージックの変則リズム、激ムズ。何度教えられても掴めず。

その代わり、今はエチオピア歴2000年のミレニアム祝い中。
国旗色の赤・黄・緑が街中を彩る。

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とまぁ、今こんな状況です。

2007年も年の瀬ということで、ここまでを振り返ってみると。

あーんなことやこーんなことがあったナァと思いながら、
「一緒に旅してるみたい!」
  ↓
「今どこ?」
  ↓
「…生きてる?」

とブログ感想が七変化した現状を反省…。

ほぼ毎日分記事はあり、

―――――――――― 今日のグルメ ――――――――――
も継続しているので、いつかは全アップしたい。いつかは…。
時間と環境がなかなか整わない。今も超ノロいダイヤルアップと格闘中。
Youtubeの動画アップは夢になりつつあります。

それまでの間、罪滅ぼしで(笑)、“未アップ分あらすじ”と“こぼれ話ランキング”を前の2記事に載せました。
「ほほぅ、こういうことがあったのねー」と察してくれればこれ幸い。

元旦は確実にアフリカど真ん中。
2008年を迎えるにあたって一言。

まさか、こんなエチオピア流ラスタヘアーで新年を迎えようとは…

シャンプーが使えない。

これからエチオピア南部の少数民族に会ってきます。
珍しさはウルルン滞在記で堪能すればよろし。観光需要に気付いた彼らがどれだけしたたかに振舞っているか見て来ます。

皆様、良いお年を!

<抜粋・今日のグルメ>


エジプト

よく食べていたのは、1個20円の揚げたてターメイヤ(ソラマメのコロッケ)サンドイッチ。ダハブにはスペシャル版を出す店がある。エッグスペシャル、美味。
意外に普通だったのは、代表料理コシャリ。最初は冷蔵庫残り物処分の感覚で作られたに違いない。鳩のごはん詰めもイマイチ。
まずかったのは、ラクダ骨で出汁をとったラクダ腸と、ラクダ乳。


スーダン

意外にもパンがおいしい。
しかし、得体の知れないネバネバ赤ソースに遭遇。これを顔パックに使うような薄い膜で食べる…自分史上最高のまずさ。うぇ。


エチオピア

主食の“インジェラ”。テフという植物を発酵させてまぁるく焼く。酸っぱいスポンジ状。意外にこれがイケる!ただし酢っぱいもの苦手な人には地獄。
具は、牛の生肉に溶かしバターとすり潰したバナナの葉などを混ぜた“クットフォー”が地元民のオススメ。
ちなみに水曜と金曜はエチオピア正教の断食デー。さらに今は1月7日クリスマス前の断食期。

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旅人

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1983年生まれ。東大法学部卒。
社会人としてスタートを切る前に、夢だった世界一周へ。

尊敬:緒方貞子さん
趣味:バスケットボール、ベリーダンス、サーフィン、バイク

著書

メディア出演履歴

【雑誌】
『Zai』(ダイヤモンド社)「ミニ株バトルコーナー」連載(06年7月号〜07年7月号)
『社労士V』連載(日本法令)(07年10月号〜)
『メモ ノート200%活用ブック』(日本能率協会)
『クロワッサン』(対談 高田万由子さん)
『週刊現代』『女性セブン』
『CIRCUS』『日経キャリアマガジン』
『月刊人事マネジメント』
『週刊ダイヤモンド 別冊特集』
【テレビ】
テレビ東京『ガイアの夜明け』
日本テレビ『きょうの出来事』
テレビ東京『豪腕!コーチング』
【ラジオ】
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